新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

今日のコラム

2014-09-30 06:28:01 | 日記
☆ 9月30日はくるみの日

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


9月30日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

感謝する心

 今日の社会においては、われわれはどんなに力んでみたところで、ただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人びと、また人ばかりでなく、周囲に存する物や環境、さらには自分たちの祖先や神仏、自然の恵みのもとに暮らしている。そういうものに対して、素直に感謝する心を持つということは、人としていわば当然のことであり、決して忘れてはならない態度だと思う。

 もしそういう感謝の心を持たないということになるならば、お互いの生活はきわめて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ、他人の立場も尊重して行動するということも可能になってくる。


【コラム】筆洗

2014年9月29日 東京新聞TOKYOWeb


▼<山の動く日来(きた)る。/かく云(い)へども人われを信ぜじ><すべて眠りし女(をなご)今ぞ目覚めて動くなる>

▼昨日に続いて、山の話を書かざるを得ない。「魔の山」となった、御嶽山ではなく、別の山。途方もない夢や願いをなかなか動かぬ「山」と見て、それに挑み続けた女性のことである。女性初の衆院議長を務め社会党の委員長だった土井たか子さんが亡くなった

▼冒頭の詩は与謝野晶子の「そぞろごと」の一部である。一九一一(明治四十四)年、日本初の女性文芸誌「青鞜」の創刊号巻頭に掲載された

▼百三年前である。当時、女性の地位は低く、選挙権はもちろん、集会の自由さえ認められていない。詩が訴えたのは、押し黙る女性たちの目覚めだった。<その昔に於(おい)て/山は皆火に燃えて動きしものを>

▼八九年の参院選で社会党大勝を導き、自民党の過半数割れを実現した。その時「山が動いた」は晶子の詩が念頭にある。あの参院選では、土井ブームで大勢の女性が当選した。動かしたのは自民党という巨大な山と、女性の地位向上というもう一つの山だった

▼土井さんは、茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」を愛していた。茨木さんと同じ世代の土井さんも戦争で「きれいだったとき」を奪われた。平和という山だけは動かしてはならぬ。「平和憲法と結婚した」と言ってのけた人の願いであろう。



【私説・論説室から】東京新聞TOKYOWeb

恥ずかしい国返上したい

2014年9月29日


 二〇二〇年東京パラリンピックの開催国としても恥ずかしい限りだ。埼玉で全盲の女子生徒が脚を蹴られて負傷したり、盲導犬がフォーク状の物で刺されたりと、近ごろ目の不自由な人への襲撃事件が相次いでいる。

 埼玉県視覚障害者福祉協会が実施した緊急アンケートには、トラブル体験談が多く寄せられた。白杖(はくじょう)が当たったり、肩がぶつかったりして怒鳴られるのは日常茶飯事らしい。

 気になったのは、暴行や恐喝、強制わいせつといった犯罪被害に遭いながら泣き寝入りする人が少なくないと思われることだ。

 例えばこんな体験談。大阪のJR京橋駅前で昨年十一月、複数の人に取り囲まれ「ぶつかっただろ。金を出せ」と恐喝され、最寄りの交番に届けた。すると、警察官は「犯人の顔を見ていないので捕まえられない。証拠がない。今度からはケータイで撮影しておくといい」と言ったという。驚くばかりだ。

 十四年前を思い出す。神奈川や東京で視覚障害者を狙った恐喝や強盗が続発し、日本盲人会連合は捜査やパトロールの強化を警察庁に陳情した。折しも、警察は不祥事塗(まみ)れを厳しく批判され、改革を誓った時期だった。被害者に寄り添うという約束を覚えているか。

 表面化する事件は氷山の一角だ。目の見える人も白杖や盲導犬を見かけたらしばらく見守ることを心掛けたい。パラリンピアンが堂々と活躍できる国を目指して。 (大西隆)



☆ 昨日のカープ

29日マツダスタジアム、カープ12―9ヤクルト、勝ち投手永川3勝4敗1S、本塁打エルドレッド37号、会沢10号 詳しくは中国新聞朝刊で


今朝も良い天気です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆



9月29日(月)のつぶやき

2014-09-30 03:54:19 | 日記