☆ 9月10日は下水道の日(2001年(平成13年)に「下水道の日」に変更。)
お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆
9月10日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
不健康また結構
私は不健康が、必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし、また逆に健康なためにかえっていきすぎて、不幸になる場合もあるのです。肝心なことは「不健康また結構なり」という気分になることです。不健康は不幸なことだ、悲しいことだと考えて心を乱してはいけないと思うのです。
小さい頃から病弱だった私がそういう心境になれたのは、今日考えると、やはり前途に強い希望を持っていたためだと思います。不健康のために希望を失うということでは、失敗の上に失敗を重ね、不幸の上にまた不幸を重ねることになってしまうのではないでしょうか。
【コラム】筆洗
2014年9月9日 東京新聞TOKYOWeb
▼憲法制定をめぐる重い事実がある。戦争放棄という人類の理想をうたった新憲法案を議論した帝国議会に、沖縄県選出の議員は一人もいなかったという事実だ
▼終戦の四カ月後、衆議院で沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は訴えた。「これは、見ようによっては沖縄県に対する主権の放棄」「帝国議会における県民の代表を失うことは、まことに言語に絶する痛恨事であります」
▼批判の矛先は、衆院選挙法の改正案。憲法改正に先立って選挙も男女同権など新時代にかなうものにする。戦後民主主義の第一歩であったが、この改正で沖縄県民は選挙権を停止されてしまった
▼戦争の地獄を見た沖縄県民を「戦後の平和」から切り捨てるのか。漢那の悲痛な思いは昭和天皇にも届いていたろうか。皇太子時代に訪欧した際、お召し艦の艦長として随伴し厚い信頼を得た軍人こそ漢那だった
▼しかし、平和憲法制定と沖縄の基地化は、車の両輪のように進んだ。公表された『昭和天皇実録』にも、米軍による沖縄占領継続こそ日米双方の利となると、天皇が米側に伝えたとの文書が引用された
▼憲法制定史に詳しい古関彰一氏は、労作『「平和国家」日本の再検討』で、新憲法の審議に沖縄の声がきちんと届いていれば、戦争の実相と基地化の現実を踏まえた九条論議ができたのではないだろうかと指摘している。これは今へと続く問い掛けだ。
【社説】東京新聞TOKYOWeb
昭和天皇実録 未来を考える歴史書に
2014年9月9日
昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容が公開された。日中戦争や太平洋戦争に苦悶(くもん)した実像が記された文献といえる。百年、二百年先の未来を考えるための国民の資料と考えたい。
実録の中には、いわゆる「黒塗り」部分がなく、口語体で書かれている。国民に公開することを前提としていたのだろう。象徴天皇制を定めた日本国憲法第一条には「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と書かれている。条文に則(のっと)った考え方だと評価できる。
大正天皇の実録には「黒塗り」があることを踏まえても、従来の実録は後の天皇に対する門外不出の報告書で、公表は想定されていないものだった。今回は出来上がるとほぼ同時に公表された。やはり国民を強く意識したからだろう。未公開資料が多いのは、極めて重要な文献資料となる。意義は大きい。
ただ、日本の近現代史を根本から覆すような新事実はないとみられる。今回の公表でも明らかになっていない事実が潜んでいる可能性がある。実録の基となった資料でまだ公開されていないものもある。これらを公開し、検証可能にすることが今後の課題だろう。
大きな戦争の時代を生きた昭和天皇であったために、さまざまな場面での発言が重みを持って伝わる。一九三七年の日中戦争直前、宇垣一成陸軍大将に「厳に憲法を遵守(じゅんしゅ)し、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように」と語った-。
四一年に対米戦争に踏み切ったときは「今回の開戦は全く忍び得ず」と詔書に盛り込むように希望した-。四五年八月の御前会議では「戦争を継続すれば(中略)国家の将来もなくなる」と終戦の聖断を下した-。戦争に苦悶する昭和天皇の姿が浮かび上がる。
現在の日本国憲法についても「戦争放棄の大理想を掲げる憲法に、日本はどこまでも忠実でありたい」とも述べている。
一方、戦後に昭和天皇が米軍による沖縄占領の継続を希望したと記した米国の報告書も引用されている。「占領は米国の利益になり、日本の保護にもなる」と考えたとされる。果たせなかったが、沖縄訪問を強く望んだのも、天皇が沖縄に抱いた贖罪(しょくざい)の意識の反映ではなかろうか。
来年は戦後七十年を迎える。再び戦争の悲劇を招かぬよう、昭和という時代の歩みを振り返って、未来につなげたい。
☆ 昨日のカープ
カープVメール
9日マツダスタジアム、カープ2―1中日、勝ち投手中崎1勝2敗1S 詳しくは中国新聞朝刊で
昨日の月は綺麗でした。今朝は快晴です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆
お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆
9月10日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
不健康また結構
私は不健康が、必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし、また逆に健康なためにかえっていきすぎて、不幸になる場合もあるのです。肝心なことは「不健康また結構なり」という気分になることです。不健康は不幸なことだ、悲しいことだと考えて心を乱してはいけないと思うのです。
小さい頃から病弱だった私がそういう心境になれたのは、今日考えると、やはり前途に強い希望を持っていたためだと思います。不健康のために希望を失うということでは、失敗の上に失敗を重ね、不幸の上にまた不幸を重ねることになってしまうのではないでしょうか。
【コラム】筆洗
2014年9月9日 東京新聞TOKYOWeb
▼憲法制定をめぐる重い事実がある。戦争放棄という人類の理想をうたった新憲法案を議論した帝国議会に、沖縄県選出の議員は一人もいなかったという事実だ
▼終戦の四カ月後、衆議院で沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は訴えた。「これは、見ようによっては沖縄県に対する主権の放棄」「帝国議会における県民の代表を失うことは、まことに言語に絶する痛恨事であります」
▼批判の矛先は、衆院選挙法の改正案。憲法改正に先立って選挙も男女同権など新時代にかなうものにする。戦後民主主義の第一歩であったが、この改正で沖縄県民は選挙権を停止されてしまった
▼戦争の地獄を見た沖縄県民を「戦後の平和」から切り捨てるのか。漢那の悲痛な思いは昭和天皇にも届いていたろうか。皇太子時代に訪欧した際、お召し艦の艦長として随伴し厚い信頼を得た軍人こそ漢那だった
▼しかし、平和憲法制定と沖縄の基地化は、車の両輪のように進んだ。公表された『昭和天皇実録』にも、米軍による沖縄占領継続こそ日米双方の利となると、天皇が米側に伝えたとの文書が引用された
▼憲法制定史に詳しい古関彰一氏は、労作『「平和国家」日本の再検討』で、新憲法の審議に沖縄の声がきちんと届いていれば、戦争の実相と基地化の現実を踏まえた九条論議ができたのではないだろうかと指摘している。これは今へと続く問い掛けだ。
【社説】東京新聞TOKYOWeb
昭和天皇実録 未来を考える歴史書に
2014年9月9日
昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容が公開された。日中戦争や太平洋戦争に苦悶(くもん)した実像が記された文献といえる。百年、二百年先の未来を考えるための国民の資料と考えたい。
実録の中には、いわゆる「黒塗り」部分がなく、口語体で書かれている。国民に公開することを前提としていたのだろう。象徴天皇制を定めた日本国憲法第一条には「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と書かれている。条文に則(のっと)った考え方だと評価できる。
大正天皇の実録には「黒塗り」があることを踏まえても、従来の実録は後の天皇に対する門外不出の報告書で、公表は想定されていないものだった。今回は出来上がるとほぼ同時に公表された。やはり国民を強く意識したからだろう。未公開資料が多いのは、極めて重要な文献資料となる。意義は大きい。
ただ、日本の近現代史を根本から覆すような新事実はないとみられる。今回の公表でも明らかになっていない事実が潜んでいる可能性がある。実録の基となった資料でまだ公開されていないものもある。これらを公開し、検証可能にすることが今後の課題だろう。
大きな戦争の時代を生きた昭和天皇であったために、さまざまな場面での発言が重みを持って伝わる。一九三七年の日中戦争直前、宇垣一成陸軍大将に「厳に憲法を遵守(じゅんしゅ)し、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように」と語った-。
四一年に対米戦争に踏み切ったときは「今回の開戦は全く忍び得ず」と詔書に盛り込むように希望した-。四五年八月の御前会議では「戦争を継続すれば(中略)国家の将来もなくなる」と終戦の聖断を下した-。戦争に苦悶する昭和天皇の姿が浮かび上がる。
現在の日本国憲法についても「戦争放棄の大理想を掲げる憲法に、日本はどこまでも忠実でありたい」とも述べている。
一方、戦後に昭和天皇が米軍による沖縄占領の継続を希望したと記した米国の報告書も引用されている。「占領は米国の利益になり、日本の保護にもなる」と考えたとされる。果たせなかったが、沖縄訪問を強く望んだのも、天皇が沖縄に抱いた贖罪(しょくざい)の意識の反映ではなかろうか。
来年は戦後七十年を迎える。再び戦争の悲劇を招かぬよう、昭和という時代の歩みを振り返って、未来につなげたい。
☆ 昨日のカープ
カープVメール
9日マツダスタジアム、カープ2―1中日、勝ち投手中崎1勝2敗1S 詳しくは中国新聞朝刊で
昨日の月は綺麗でした。今朝は快晴です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆