風師山は門司港の背後に控える標高322.2mの小山で、朝日新聞の連載漫画「ののちゃん」に出てくる天狗山みたいな身近な山だ。
私が小学校低学年の頃、亡き父に引きつられ、家族で山頂まで登ったことがあった。
風師山頂には昔からアンテナ基地があり、そこで私たちは休むことにしたが、飲み物の用意をしていなかった。
父がアンテナ基地の職員に交渉して、基地の倉庫からラムネを分けてもらった。
お店でもないのに、なぜかラムネにありつけて嬉しかったが、そのラムネはぬるく、炭酸も抜けており、製造してからかなり日が経っていたようだ。
次に風師山で思い出すのは、大学生の私がで正月で帰省した時の事だ。
小学生だった下の弟が、近所のお爺さんから三角胴の大きな飛行機型の凧をもらった。
清見小学校のグラウンドで揚げると大きな凧には狭すぎたので、豪快に風師山の山頂で飛ばすことにした。今の親父と弟の三人、寒風吹きすさぶ中、車で山頂に向かった。凧は実によく上がり、瞬く間にタコ糸が限界に達した。物足りなかったので、急遽、私が車で町まで降りて、買ってきたタコ糸を継ぎ足した。もう「凧揚げ遊び」というよりも「ギネスに挑戦」するような気分だった。凧は風に流され、点のようにしか見えなかった。
このあと親父は風邪で寝込んだ。あやうく肺炎を起こすところだった。
私が小学校低学年の頃、亡き父に引きつられ、家族で山頂まで登ったことがあった。
風師山頂には昔からアンテナ基地があり、そこで私たちは休むことにしたが、飲み物の用意をしていなかった。
父がアンテナ基地の職員に交渉して、基地の倉庫からラムネを分けてもらった。
お店でもないのに、なぜかラムネにありつけて嬉しかったが、そのラムネはぬるく、炭酸も抜けており、製造してからかなり日が経っていたようだ。
次に風師山で思い出すのは、大学生の私がで正月で帰省した時の事だ。
小学生だった下の弟が、近所のお爺さんから三角胴の大きな飛行機型の凧をもらった。
清見小学校のグラウンドで揚げると大きな凧には狭すぎたので、豪快に風師山の山頂で飛ばすことにした。今の親父と弟の三人、寒風吹きすさぶ中、車で山頂に向かった。凧は実によく上がり、瞬く間にタコ糸が限界に達した。物足りなかったので、急遽、私が車で町まで降りて、買ってきたタコ糸を継ぎ足した。もう「凧揚げ遊び」というよりも「ギネスに挑戦」するような気分だった。凧は風に流され、点のようにしか見えなかった。
このあと親父は風邪で寝込んだ。あやうく肺炎を起こすところだった。