気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

能古島(のこのしま)の思い出

2016-11-16 16:59:33 | 風景画
 10月26日、私のオフの日が、妻の代休日と重なった。当日の天気予報は終日曇りだったが、家で過ごすのはもったいない。
 妻に出かけたい場所を尋ねると、去年の同じ頃、娘と行った能古島のコスモス畑が良いらしい。行き先は決まった。
 私は身支度をしながら、車ではなくバイクで行くことを妻に提案した。タンデムツーリングは2010年5月4日に豊後高田に行って以来で、2年前に妻の誕生日にプレゼントした革ジャンとヘルメットの出番が未だにない、福岡市西区までは高速を走れば片道一時間の距離なので日帰りツーリングに格好だ、…あれこれ理屈を並べるうちに、何とか妻がその気になってくれた。

 10時52分出発。北九州都市高速大里IC~九州自動車道~福岡都市高速愛宕IC、の楽なコースを選んだ。妻が退屈しないように、ノンストップでひた走るが、シートベルト無し二人乗り100kmオーバーの高速走行区間は妻には初めての経験で、妻の緊張が背中から伝わってきた。
 12時ごろ姪浜(めいのはま)港に到着。フェリー発着場は国際色豊かに大勢の観光客がみられ、能古島が今が見頃なのを確信した。バイクを駐輪場に停めて乗船を待つ列に並んだ。12時15分発の能古島行きフェリーは難民船のように満員状態だった。乗船前に売店で買った飲み物とベーグルで妻と二人、小腹を満たした。わずか10分の航海だった。

 港からは能古島アイランドパーク行きのバスが出ていた。周囲12kmの小さな島の道路は狭くて坂道ばかりだ。ギュウギュウ詰めのバスに揺られ12分で終点に到着。
 入場料二人分2000円を支払い、勝手知った妻に付いて、コスモスの絶景へと向った。手にしたツーリングバッグにはスケッチ道具を忍ばせていた。
  
 メインのコスモス畑は観光客がひしめき、絵にしたくなる構図も見つからなかった。野外バーベキューの煙と臭いも煩わしい。絵は後にして園内を端から端まで散策することにした。
 「わらべ館」で西島伊三雄の純真で叙情豊かな絵に癒された後、「鳥や」で名物の能古うどんを食べた。雨が少し降ったが傘が必要なほどではなく、すぐに止んだ。

 園の南端に遅咲きのコスモス畑があり、そこから糸島方面を望む景色が美しかった。人もまばらで、丁度ベンチも空いていたのでスケッチブックを取り出した。
 妻も描くことができるように予備のスケッチブックを妻に渡して、さっそく絵にとりかかった。熱中すること2時間、妻がそろそろ帰ろうと言い出した。
 絵がほとんど描きあがったところで妻に促されてスケッチ道具を片付けた。4時18分発の港行きバス、5時発の姪浜行きフェリーに乗った。フェリー乗船前に西の空に不穏な雲が拡がっているのが気になった。
 帰路も高速を走るのは味気ないので、福岡都市高速を香椎ICで降りて国道3号を走った。
 通勤ラッシュ時間にかかってしまい、片側3車線から4車線あっても渋滞が続いた。
 古賀を過ぎる頃、ついに雨雲に追いつかれた。
 「どこかで雨宿りしようか?」ヘルメット越しに聞こえるように大きな声で妻に訊いた。
 「いい。早く帰りたい。」
 私はフルフェイス型のヘルメットを冠っているが、妻のはジェット型にバイザーが付いたもので、口の廻りから顎までびしょ濡れだった。
 幸い二人が着ている革のジャケットは防水性があり、上半身は濡れなかった。
 折尾から北九州都市高速に入り、雨中の夜間高速走行となった。愛車が過酷なエンデューロレースのために開発されたアフリカツインなのが幸いだった。
 午後7時20分、無事帰宅。全走行距離180km
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「もうバイクやめたら」妻の心配

2016-11-10 15:52:58 | 車の絵
 一昨日、午後7時35分、会社の戸締りをしてバイクで家路についた。いつものように側道から国道三号線へと左折するため、一旦停止して左右の安全確認後バイクを発進しようとした時、一瞬エンジンが止まった。危うくバランスを崩すところだったが、セルを回すとエンジンが再び動き出したので、バイクの姿勢を正して片側二車線の国道の走行車線に入った。小降りの雨は上がっていたが、気温が低いため、エンジンが不調だったようだ。
 それから数十秒後、行く手の左脇の病院の間から、普通車が国道へ出ようとしているのが見えた。私のバイクとの距離は10メートルくらいだったがその車は一旦停車もせずに、私の前に割り込んできた。バイクに急ブレーキをかけ咄嗟に追い越し車線へハンドルを切ったが、相手の車はそのまま追い越し車線に入った。相手は私の存在にまったく気付いてないようだった。絶対絶命、追突不可避の状態から急遽左に回避してバイクもろとも転倒した。
 私はハンドルを握り、左脚をバイクの下に挟んだ状態で、アスファルトの上を滑った。180度回転してバイクが止まった。左足の靴がいつのまにか脱げていた。私は起き上がると、相手の車を確認した。5~6メートル先に停車していた。走行車線に倒れたバイクを起こして道路脇に移動させた。相手の車から女性が降りて私のほうへ歩いてきた。
 「大丈夫ですか…?」「行けると思ったので…。」
 私は左の靴を拾って履き、「とりあえず警察を呼びますので、いいでしょうか。」と女性の承諾を得てから、携帯で警察に連絡をとった。次に任意保険会社に連絡した。バイク引き上げのレッカーを手配するとの申し出は大げさなので遠慮した。
 およそ5分後、ミニパトが到着して警察官二人で双方の免許証や車検証の確認、事故の概要の聴取が始まった。程なく事故処理の交通課の車両と警察官二人が来て実況見分を始めた。国道3号の交通整理をしながら、現場を実測したり、道路にマーキングしたり、それぞれの言い分を記録したり忙しい。交通課の警察官が私の怪我を見て、救急外来で処置をして診断書を警察署に提出するように言った。
 事情聴取の中で、相手への処罰を希望するか、しないか、お任せするか、選択を迫られた。事故の相手は逃げようと思えば逃げることができたことを思えば寛大な処置が良いのかもしれないが、たまたま後続車がなかったので、今の私があることを思い、「お任せします」を選んだ。
 警察車両が引き上げた後、女性が名前、住所、携帯番号、車両番号、任意保険会社を書いたメモをくれた。私も名刺に同じように記入して女性に手渡した。
 バイクはなかなかエンジンが掛からなかったが、交通課の警察官の助力で、なんとか動いた。
 事故の当事者同士、あとは保険会社に任せましょうと言って、現場を離れた。
 
 夜間救急外来の受付は6組くらい待っている状態で、受付を済ませた後、妻からのメールを確認した。いつもの「今から帰ります」メールだった。妻のスマホをコールすると、ちょうど車に乗ったところだった。事故の話をすると、驚いて今から病院に来るという。怪我はたいしたことがないし、病院が混んで時間がかかるから、そのまま帰宅するように言った。
 宿直医はインターン風の青年で、痛い部分が集中していた左脚のCT画像を説明しながら、骨に異常はないが、ふくらはぎの内出血の状態が把握できないので私に三日間の安静を奨めた。左脚の擦過傷の手当てをしてもらい、痛み止めのロキソニンと湿布薬を受け取り会計を済ませた。
 午後11時、やっと家に帰り着いた。妻は元気そうな私を見て安堵の様子で一言。「もうバイクやめたら?!」

コメント (2)
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