気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

家族の要

2007-10-31 22:43:20 | PC画
 一昨年、私たち夫婦は銀婚式を迎えた。子供たちは気付かないだろうと思っていたが、さすがに女の子だけあって、娘から祝福のメールが夫婦それぞれの携帯に届いた。
 子供が小さい頃、家族の生活は私一人に懸かっており、私の収入だけで何とかやっていけるだろうと、根拠のない自信を持っていた。
 子供の成長につれ、家計を預かる妻の方が現実をわきまえていたようで、家計を助けるために、赤ペン先生の内職をしながら、ワープロをマスターしてスキルを積みあげ、自分で働き口を見つけてきた。今の天職に辿り着くまでの妻のバイタリティーには、私は頭が上がらない。
 結婚した頃のお嬢のどこに、こんな生活力のある芯があったのだろうと今にして思う。知らない間に、母親は家族の要になっており、それが家庭円満の基だろう。
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スーパーセブン

2007-10-30 18:20:08 | 車の絵
 私が中1の時、母が今の父と再婚した。継父は亡くなった父の末弟だ。
 祖父の家の敷地に、建坪12坪の、マッチ箱を重ねたような二階家を建てて、2Kのアパートから引っ越した。祖父母の住む4Kの母屋とは、ドア一枚で繋がっていた。 弟と妹が生まれ七人家族となったが2LDKでも狭いとは感じなかった。むしろLDKがいつも賑やかで楽しかった。
 母屋とは別所帯だったが、風呂と電話は使わせてもらっていた。
 中2の頃、母屋がカラーテレビを買ったが、まだカラー放送が少なかったので、離れではしばらく白黒テレビのままだった。祖父は時代劇が好みで、さいとうたかおの漫画をドラマ化した「無用の介」は私も好きだったので、毎週一緒に観た。
 高1の時、深夜放送で「プリズナーNO.6」が始まった。難解で前衛的なイギリスのドラマだったが、非常に面白かった。毎週、寝静まった誰もいない母屋の茶の間で、一人でカラー放送を楽しんだ。
 ドラマのオープニングで、主人公のパトリック・マッグーハンが駆る車がスーパーセブンで、私の憧れの車になった。
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HONDA S600 COUPE (1965) & S800 (1966)

2007-10-10 00:11:25 | 車の絵
 亡き父は、激動の時代を生きた。 
 関東大震災のあった年に生まれ、満州事変(8歳)、5・15事件(9歳)、
2・26事件(13歳)、第二次世界大戦の勃発(16歳)、と世の中が
戦争へと突き進む中で成長した。 
 関西大学に進学するが、太平洋戦争が激化すると、学徒動員により、海軍に入隊した。(19歳)
 南方戦線に送られ、ジャワ島で終戦を迎えた。3年間の捕虜収容所生活を送り、帰国した時は、家族に戦死したものと思われていた。(25歳)
 大学に復学して、大阪で、当時花形産業だった繊維会社に就職した。
 大学時代の友人の妹だった今は亡き母と、昭和26年に結婚した。(27歳)
翌年、長女が生まれ、さらに翌年、私が生まれた。
 繊維不況で会社が倒産し、故郷に帰って家業を継いだ。(29歳)
 不況の嵐の中、家業を親子兄弟、力を合わせて切り抜けていたが、6年間の過酷な兵隊生活が、体を蝕んでいた。腎臓病でひと月近く入院。(38歳) 
 病気を抱えたまま、商いを続けるが、仕事中に眼底出血を起こし、倒れた。
 二度目の入院で帰らぬ人となった。享年41歳だった。
 昭和40年(1965年)は、忘れられない年だ。
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部崎灯台

2007-10-03 20:44:59 | 風景画
 昨日は天気もよく涼しかったので、昼食をすませてから、久々にスケッチに出かけた。
 半世紀以上住んでいて、近場の部崎(へさき)灯台には行ったことがなかった。
 辺鄙な場所というイメージがあったが、行ってみると灯台の直下まで、真新しい道路が通っていた。道路脇に駐車して、石段をジグザグに上がっていくと程なく小さな灯台が現われた。関門海峡と周防灘が出会う狭い水域なので、遠くまで光を届ける必要がないのだろう。小ぶりでも品格のある灯台だ。
 絵を描く位置を決めて、座りこむや蚊の一群が襲ってきた。もう秋だというのに、蚊も子孫を残すために必死だ。絵を描く時間の数分の一は、蚊との闘いに費やされた。ラピュタに出てくるような大きな雲と灯台の対比がおもしろかったが、雲の動きに描くのが追いつかない。それで集中力の足りない絵になってしまった。 
 
 部崎灯台;明治5年初点灯。日本で13番目に古く九州では一番古い灯台。
        「日本灯台の父」と称されるイギリス人技師R・H・ブラントンの手により建設された。 
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宮島

2007-10-02 01:58:23 | PC画
 子供が三人とも県外に進学して、夫婦ふたりきりの生活になった。
 妻も仕事をしているので、空巣症候群におちいることはなかったが、お互いの休みが重なる日が、一年で数えるしかない。
 一人旅で、すばらしい景色や美味しいものに出会っても、妻と感動を共有できないのが淋しい。話題の九重夢吊り橋もいつか一緒にいこうと大事に取っている。 
 できたらタンデムツーリングで行きたいが、以前、南阿蘇で一度立ちゴケして以来、信用をなくしたようで、車しか受け付けてくれなくなった。
 旅先も、秋月、竹田、津和野、宮島など、渋いところが多くなった。
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