気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

ハードなキャンプ

2022-08-25 14:28:06 | 風景画

娘一家がお盆休みで六日間帰省した。もうすぐ三歳になる孫娘とラインで話した時、「(九州で)キャンプしたい」と言ったのを叶えてあげなければと思った。

九州鉄道記念館、関門海峡花火大会、いのちの旅博物館、ジ・アウトレット北九州など妻が連れ回し、いよいよメインイベントのキャンプの日が来た。

私のお盆休みは娘たちが帰る前の日から二日間しかなく、二日目の午後四時に娘たちを送ったあと四時半に四回目のワクチン接種の予約をいれていた。

キャンプ場は車で一時間ほどの近場をネットで探し、温泉に入りに何度も行ったことのある赤村の「源じいの森」に設営されたキャンプ場を予約していた。

キャンプは三十数年ぶりで、押し入れの奥からテント、タープ、バーベキューコンロ、クーラーボックス、ウオーターサーバー、コールマンレンジ&ランタン、

ダイニングセット、調理道具などを引っ張り出した。

以前は七人乗りのワゴンに十分に積めたキャンプ道具が、今の車のフィットには無理だった。

コールマンは卓上カセットガスコンロにして、寝袋やタオルケット、ダイニングセットはキャンプ場で借りることにした。

フィットに積んでいた2本の傘やクッションなどすべて降ろし、装備を積めるだけ詰め込んで朝10時に出発した。

妻が助手席でチェックしていて足りないことに気付いた、箸やカレールー、米、野菜、肉などを途中のトライアルで買った。

目的地が近くなるにつれ空模様が怪しくなり、「源じいの森」に付く頃は小雨となった。

私一人、車を降りて事務棟でチェックインをした。毛布三枚とダイニングセットのレンタル料4900円とテント、タープ持ち込み料、大人三人の入営料が加わり締めて6800円を支払った。

雨が小降りのうちにテントを設営してもよいか事務員に聞くと、チェックインは午後一時とのことで却下された。(お金だけは先?)

12時をすぎていたので、赤村を出て車で15分走り、みやこ町のイタリアンレストラン「エフ」で昼食を摂った。それまで寝ていた孫娘は楽しそうに食べていたが、窓の外は大雨となっていた。

食事を終えて「源じいの森」に戻る山中は時速30kmで走っても高速ワイパーが追い付かず、激しい雨で視界が曇った。

キャンプ場の事務棟に付いても傘がないので車から出られない。

妻がダッシュボードから非常用のアルミ箔シートを取り出した。はがき大のものを広げると毛布くらいの広さになった。

私はそれを被って事務棟に走り、傘を三本貸してもらった。

事務員の「夕方には雨があがるようですよ。」の言葉に少し勇気づけられた。

四人で傘をさしてキャンプ場を散策した。

橋の下でバーベキューをしているグループが一組、雨天時に野営するときに利用する屋根が付いたテントサイトが三ケ所あったが、全て先客が利用していた。

地面に水たまりがなく、テントを張れそうな場所を探し、炊事棟の隣に見つけた。

キャンプ場の駐車場から荷物を運ぶために用意されたリヤカーは自由に使うことができて大変助かった。

管理棟からレンタルの毛布とテーブル、椅子4脚を受け取りリヤカーに積み込んだ。

妻と二人で傘をさしながら最初にタープを組み立てた。荷物類をタープの下に集め、次にテントの組み立てを始めると4本の柱のうち1本の連結部分が割れていることに気づいた。

屋根を支える柱の代わりに隣の大木にロープで屋根の一角を吊るしかなかった。

何とかテントが完成したが、雨脚が弱くならないので炊事場で食事をすることにした。四か所ある炊事場は広く、真ん中で二つに仕切っていて、温水も出るようになっていた。

我々の炊事場の反対側では既に若者のグループが食事を始めていた。

我々もダイニングセットとバーベキューコンロを炊事場に持ち込み、飯盒でご飯を炊き、卓上コンロでカレーを作った。

ごはんが炊き上がると炭火で肉や野菜を焼いて夕餉が始まった。孫娘はリクエストのミートボールをたくさん食べた。

暗くなってきたので、妻が寝床の準備をしようとテントに入ると絶叫した。

「テントの床に雨水が溜まってる。」

テント生地が経年劣化により撥水性が弱まっていたようで、雨漏りしていた。

食後に湿気た花火をちょっとだけ楽しみ、歩いて10分くらいのところにある「源じいの森温泉」で湯につかった。

8時半頃、温泉を出て、風呂上りの妻と娘、孫の三人はフィットで寝ることにし、私一人がテントに戻った。

テントの床に敷いた2枚のアルミロールマットの中央を重ねて高くし、横たわった。

レンタルの毛布はウール素材で撥水性があるのが救いだ。

三枚のタオルとハンカチで床に溜まった雨水を吸わせてはテントの隅で絞る作業が続いた。

一番雨漏りの酷いところにウオーターサーバーの蓋を外して、バケツの代わりに置くと雨水が床に溜まらなくなった。

これで眠れると横になり、携帯と財布を枕に寝た。顔と足首に雨の雫が当たっていた。

妻からラインが届いた。

21:52「大丈夫?一晩中大雨警報が出てるみたいだよ}

22:00「ウオーターサーバーで雨漏りを受けながら、タオル三枚とハンカチで雨水を絞りながら、過ごしてます。」

22:01「寝られないんじゃないの?」

22:01「なんとか朝までがんばるわ。」

22:03「危険を感じたら、無理しないで車に引き上げてきて!」

22:04「無理してないから」

22:05「了解です」

22:06「おやすみ」

朝5時に起床して、朝食のカレーとチキンラーメンの準備、撤収の準備をはじめた。

娘と孫が起きてきた。孫が朝までよく寝ていたと聞いて安心した。

朝食後、てきぱきとテントとタープをたたみ、借りたものを返却して家路につき、11時に家に戻った。

孫にも記憶に残るキャンプとなっただろう。

 

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新型コロナの第七波に翻弄される社会

2022-08-01 00:25:03 | 風景画

新型コロナ禍第七波の感染拡大は衰えそうにない。
東海市の孫娘の保育園は四日間の閉園になった。
地元の友人、親戚、顧客からも、家族がコロナにかかって自宅待機になったと聞くことが多い。
コロナ禍で落ち込んだ景気を回復させるためにも、重症化率の下がったオミクロンは「普通の風邪」扱いにしたほうが良いのではと思うが・・・。大部分の国民がマスクを律儀につけてるのに、一週間のコロナ感染者数が120万人を超えて世界最悪となった日本は新型コロナにいつまで翻弄されるのか。

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