令和2年の商戦は順調なスタートだった。世界の工場となった中国で、春節を地方で過ごした熟練工が工場に戻らないことがよくあるそうで、春節後に作られた商品の品質が落ちることが憂慮されるくらいで、世の中はのんびりしていた。
ある日新聞の片隅に、中国の武漢で新型肺炎による死者が発生したことが書かれていたが、さほど注目されなかった。
2月になり豪華客船ダイヤモンドプリンセス号の集団感染で新型コロナウイルスは世間に知れ渡り、日本と中国、韓国は世界各国から警戒された。日本の特派員が、ヨーロッパで「コロナ、コロナ」とからかわれ、中国人と一緒くたにされたことを記事にしていた。米国では、二千人を超える死者が出たインフルエンザへの驚異が、新型コロナウイルスのそれを上回っていた。
1月の半ばから客足が途絶え会社の売上が減っていった。例年どん底の2月を持ちこたえれば新生活の準備が始まる3月から売上は回復するだろうと期待していた。が、違った。スペイン風邪以来のパンデミックが現実となり、景気はますます落ち込んでいく。いつまで自粛ムードが続くのだろう…。
3月17日、整骨院に行った帰りに手向山公園で関門海峡を写生した。
この公園にある「宮本武蔵の碑」は1645年5月19日に亡くなった武蔵を偲び、養子の伊織が1654年4月19日に
建てた由緒ある石碑だ。