娘と孫娘の帰省。
70歳の誕生日。
大学卒業後初のクラス同窓会で三十年ぶりの東京行き。
初めての浅草観音とスカイツリー。
組合定例会と仕入れ大会で二週連続の出張。
年に一度の健康診断。
インフルエンザワクチン接種。
親父のケアホーム入所。
高校同期友人たちとの飲み会。(18時20分~1時30分)
クラシックカーラリー参加車が栄町アーケードに集合。
妻の誕生日。
娘と孫娘の帰省。
70歳の誕生日。
大学卒業後初のクラス同窓会で三十年ぶりの東京行き。
初めての浅草観音とスカイツリー。
組合定例会と仕入れ大会で二週連続の出張。
年に一度の健康診断。
インフルエンザワクチン接種。
親父のケアホーム入所。
高校同期友人たちとの飲み会。(18時20分~1時30分)
クラシックカーラリー参加車が栄町アーケードに集合。
妻の誕生日。
テレビなどで自分と同じくらいの年の人が映ると、見た目の年齢が気になる。見た目が自分より老けて見えるとちょっと嬉しくなるが、逆の場合は髪で負けていると自虐的になる。
若い人から見たら自分は爺さんに違いないが、自分は毎日ナナハンで通勤して肉体を酷使する仕事にも耐えている働き盛りだ。
風呂上がりに必ず計るタニタの体重計は誕生日ごとに1歳年をとるが、現在61~62歳で推移している。だから好きだ。
今月14日より咳がひどくなった。家にある新ルルや葛根湯など試したが微熱も出てきた。15日朝は37.3°まで体温が上がったが仕事に出た。
就寝してからも咳が続き、屑入を枕元に置いて咳が出るたびに出る痰をティッシュで処理した。
翌週は熱は下がったものの、夜中の三時~四時に咳の発作で寝られず、強力ルル?やエスエスブロン液を処方を無視して飲んだ。
そのうち胃が痛みだしたので、漢方の麦門冬湯エキス顆粒に切り替えたら胃の調子はよくなった。
ここのところ下がっていた血圧は150~165に上昇し、痰が黄色系からピンク色系になるなど体調は悪くなる一方だった。
23日に咳喘息で月に一回通院している呼吸器内科医院で症状を訴え、肺炎を発症しているのではないかと先生に聞いた。
診断は聴診器の音や熱が今は無いことから肺炎の心配はない、咳の発作が出た時はサルタノールを使うようにとの事で、レルベアの強度を100から200に上げ、
さらに5日分の抗生物質と咳止めを処方された。
抗生物質のジェニナック錠200mgを朝2錠、咳止めのオビセゾールコデイン液を朝と就寝前に2mL服用すると即効性はあったが、飲み始めて二日めから咳が元に戻った。
真夜中の咳の発作時にはサルタノールを吸引し、さらに麦門冬湯エキス顆粒を飲んだ。
処方された薬がなくなる27日には血圧は下がり、夕方までは咳が出なくなり、夜は久々に熟睡することができた。
28日の朝一番の痰に鮮血が混じっていた。咳は改善したが咳の原因の痰を抑えるために麦門冬湯エキス顆粒の服用は続けた。
29日の朝も熟睡して目覚めたが、痰はピンク色がかっていた。
30日も快適な朝だった。透明な痰だったのでもう大丈夫だ。
夕方から咳が悪化していたのは黄砂が酷かったのが原因だったのかも。
先日、門司港レトロのイベントで、昔風に言えば「スーパーカー」が大集合したようだ。
夕刻、わが店の前をフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、マセラッティ、が鈴なりで通り過ぎていった。その数20台以上。
町内にかつて存在したデパートで、客寄せのためにカウンタックLP400を一階正面に展示したことがあったが、私も話のタネに「スーパーカー」を一目見ようと出かけた。
今は、店の前のコインパーキングに、筑豊ナンバーのカウンタックを二十代の男性が長時間、駐車するご時世となった。
家やマンションを買うことができる大金を車につぎ込む若い人たちが少なくないことに格差社会を感じる。
昨年11月に九州クラシックカーラリーに参加した車が店の前を通った時は夢中で写真を撮ったが、珍しくなくなったスーパーカーには興味がわかなかった。
昨年の秋、義母の七回忌で親戚一同が妻の実家に集う予定だったが、新型コロナの第五波の流行により叶わなかった。
一月から始まった第六波が落ちつきつつあり、連休もあるので、5月初めに夫婦でお詣りに行くことを計画した。
大阪南港行きのフェリーを予約しようとしたが、一人分しか空きがなかった。ゴールデンウイークだから無理もない。
キャンセルが出ないかネットで毎晩チェックをしていると、知床の遊覧船の事故の後、多くの空きが出た。
意外だったが、すでに高速道路の渋滞を覚悟していたこともあり、フェリーはやめて陸路を走ることにした。