気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

いろいろあった11月

2023-11-30 21:45:22 | 車の絵

娘と孫娘の帰省。 

70歳の誕生日。

大学卒業後初のクラス同窓会で三十年ぶりの東京行き。

初めての浅草観音とスカイツリー。

組合定例会と仕入れ大会で二週連続の出張。

年に一度の健康診断。

インフルエンザワクチン接種。

親父のケアホーム入所。

高校同期友人たちとの飲み会。(18時20分~1時30分)

クラシックカーラリー参加車が栄町アーケードに集合。

妻の誕生日。

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タニタの体組成計が好き

2023-04-30 22:32:06 | 車の絵

テレビなどで自分と同じくらいの年の人が映ると、見た目の年齢が気になる。見た目が自分より老けて見えるとちょっと嬉しくなるが、逆の場合は髪で負けていると自虐的になる。

若い人から見たら自分は爺さんに違いないが、自分は毎日ナナハンで通勤して肉体を酷使する仕事にも耐えている働き盛りだ。

風呂上がりに必ず計るタニタの体重計は誕生日ごとに1歳年をとるが、現在61~62歳で推移している。だから好きだ。

 

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体調が悪いのは黄砂のせい?

2023-03-29 10:52:33 | 車の絵

今月14日より咳がひどくなった。家にある新ルルや葛根湯など試したが微熱も出てきた。15日朝は37.3°まで体温が上がったが仕事に出た。

就寝してからも咳が続き、屑入を枕元に置いて咳が出るたびに出る痰をティッシュで処理した。

翌週は熱は下がったものの、夜中の三時~四時に咳の発作で寝られず、強力ルル?やエスエスブロン液を処方を無視して飲んだ。

そのうち胃が痛みだしたので、漢方の麦門冬湯エキス顆粒に切り替えたら胃の調子はよくなった。

ここのところ下がっていた血圧は150~165に上昇し、痰が黄色系からピンク色系になるなど体調は悪くなる一方だった。

23日に咳喘息で月に一回通院している呼吸器内科医院で症状を訴え、肺炎を発症しているのではないかと先生に聞いた。

診断は聴診器の音や熱が今は無いことから肺炎の心配はない、咳の発作が出た時はサルタノールを使うようにとの事で、レルベアの強度を100から200に上げ、

さらに5日分の抗生物質と咳止めを処方された。

抗生物質のジェニナック錠200mgを朝2錠、咳止めのオビセゾールコデイン液を朝と就寝前に2mL服用すると即効性はあったが、飲み始めて二日めから咳が元に戻った。

真夜中の咳の発作時にはサルタノールを吸引し、さらに麦門冬湯エキス顆粒を飲んだ。

処方された薬がなくなる27日には血圧は下がり、夕方までは咳が出なくなり、夜は久々に熟睡することができた。

28日の朝一番の痰に鮮血が混じっていた。咳は改善したが咳の原因の痰を抑えるために麦門冬湯エキス顆粒の服用は続けた。

29日の朝も熟睡して目覚めたが、痰はピンク色がかっていた。

30日も快適な朝だった。透明な痰だったのでもう大丈夫だ。

夕方から咳が悪化していたのは黄砂が酷かったのが原因だったのかも。

 

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格差社会を感じる時

2023-02-26 20:59:26 | 車の絵

先日、門司港レトロのイベントで、昔風に言えば「スーパーカー」が大集合したようだ。

夕刻、わが店の前をフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、マセラッティ、が鈴なりで通り過ぎていった。その数20台以上。

町内にかつて存在したデパートで、客寄せのためにカウンタックLP400を一階正面に展示したことがあったが、私も話のタネに「スーパーカー」を一目見ようと出かけた。

今は、店の前のコインパーキングに、筑豊ナンバーのカウンタックを二十代の男性が長時間、駐車するご時世となった。

家やマンションを買うことができる大金を車につぎ込む若い人たちが少なくないことに格差社会を感じる。

昨年11月に九州クラシックカーラリーに参加した車が店の前を通った時は夢中で写真を撮ったが、珍しくなくなったスーパーカーには興味がわかなかった。

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半年遅れの義母の七回忌

2022-04-27 14:32:38 | 車の絵

昨年の秋、義母の七回忌で親戚一同が妻の実家に集う予定だったが、新型コロナの第五波の流行により叶わなかった。

一月から始まった第六波が落ちつきつつあり、連休もあるので、5月初めに夫婦でお詣りに行くことを計画した。

大阪南港行きのフェリーを予約しようとしたが、一人分しか空きがなかった。ゴールデンウイークだから無理もない。

キャンセルが出ないかネットで毎晩チェックをしていると、知床の遊覧船の事故の後、多くの空きが出た。

意外だったが、すでに高速道路の渋滞を覚悟していたこともあり、フェリーはやめて陸路を走ることにした。

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疑ってすみませんでした。DB4で間違いないです。

2020-01-31 01:55:56 | 車の絵

最近になってDB4のフロントスタイルが三パターンあることを知りました。

このイラストは1960年式DB4GTです。

品川ナンバーのDB4オーナーさん、疑ってすみませんでした。

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「もうバイクやめたら」妻の心配

2016-11-10 15:52:58 | 車の絵
 一昨日、午後7時35分、会社の戸締りをしてバイクで家路についた。いつものように側道から国道三号線へと左折するため、一旦停止して左右の安全確認後バイクを発進しようとした時、一瞬エンジンが止まった。危うくバランスを崩すところだったが、セルを回すとエンジンが再び動き出したので、バイクの姿勢を正して片側二車線の国道の走行車線に入った。小降りの雨は上がっていたが、気温が低いため、エンジンが不調だったようだ。
 それから数十秒後、行く手の左脇の病院の間から、普通車が国道へ出ようとしているのが見えた。私のバイクとの距離は10メートルくらいだったがその車は一旦停車もせずに、私の前に割り込んできた。バイクに急ブレーキをかけ咄嗟に追い越し車線へハンドルを切ったが、相手の車はそのまま追い越し車線に入った。相手は私の存在にまったく気付いてないようだった。絶対絶命、追突不可避の状態から急遽左に回避してバイクもろとも転倒した。
 私はハンドルを握り、左脚をバイクの下に挟んだ状態で、アスファルトの上を滑った。180度回転してバイクが止まった。左足の靴がいつのまにか脱げていた。私は起き上がると、相手の車を確認した。5~6メートル先に停車していた。走行車線に倒れたバイクを起こして道路脇に移動させた。相手の車から女性が降りて私のほうへ歩いてきた。
 「大丈夫ですか…?」「行けると思ったので…。」
 私は左の靴を拾って履き、「とりあえず警察を呼びますので、いいでしょうか。」と女性の承諾を得てから、携帯で警察に連絡をとった。次に任意保険会社に連絡した。バイク引き上げのレッカーを手配するとの申し出は大げさなので遠慮した。
 およそ5分後、ミニパトが到着して警察官二人で双方の免許証や車検証の確認、事故の概要の聴取が始まった。程なく事故処理の交通課の車両と警察官二人が来て実況見分を始めた。国道3号の交通整理をしながら、現場を実測したり、道路にマーキングしたり、それぞれの言い分を記録したり忙しい。交通課の警察官が私の怪我を見て、救急外来で処置をして診断書を警察署に提出するように言った。
 事情聴取の中で、相手への処罰を希望するか、しないか、お任せするか、選択を迫られた。事故の相手は逃げようと思えば逃げることができたことを思えば寛大な処置が良いのかもしれないが、たまたま後続車がなかったので、今の私があることを思い、「お任せします」を選んだ。
 警察車両が引き上げた後、女性が名前、住所、携帯番号、車両番号、任意保険会社を書いたメモをくれた。私も名刺に同じように記入して女性に手渡した。
 バイクはなかなかエンジンが掛からなかったが、交通課の警察官の助力で、なんとか動いた。
 事故の当事者同士、あとは保険会社に任せましょうと言って、現場を離れた。
 
 夜間救急外来の受付は6組くらい待っている状態で、受付を済ませた後、妻からのメールを確認した。いつもの「今から帰ります」メールだった。妻のスマホをコールすると、ちょうど車に乗ったところだった。事故の話をすると、驚いて今から病院に来るという。怪我はたいしたことがないし、病院が混んで時間がかかるから、そのまま帰宅するように言った。
 宿直医はインターン風の青年で、痛い部分が集中していた左脚のCT画像を説明しながら、骨に異常はないが、ふくらはぎの内出血の状態が把握できないので私に三日間の安静を奨めた。左脚の擦過傷の手当てをしてもらい、痛み止めのロキソニンと湿布薬を受け取り会計を済ませた。
 午後11時、やっと家に帰り着いた。妻は元気そうな私を見て安堵の様子で一言。「もうバイクやめたら?!」

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皆さん、暑中お見舞い申し上げます

2016-07-31 22:31:36 | 車の絵
先々週の土曜、午前3時30分に父が脳梗塞を発症した。トイレに行こうと寝床から起き上がったところで倒れ、左半身が麻痺して立ち上がることも、話すこともできなかったらしい。後妻さんが異変に気付いて救急車を要請し、15分後には総合病院のICUに搬入された。血栓溶解剤が効くかどうか24時間が目安だった。その日の午前7時に末弟から父の入院の知らせを受けたが、ICUで処置中なので見舞いに行くのは24時間たってからの方がよさそうだった。
 翌日の朝9時に妻と総合病院を訪れた。日曜日で駐車場も院内もガランとしていた。ICUのインターホンで面会を申し出た。患者との関係を聞かれたあと30分待たされたあと若い看護婦にICUの個室へと案内された。
 点滴や線に繋がれてはいたが父は重病とは思えないくらい、しっかりしていた。点滴の交換に来た看護婦に「それ何カロリーかね。」と訊いたり、「じっと寝てるだけなのでお腹がすかない」とか良く喋っていた。ICUに入れる患者の縁者は3人までとなっていた。後妻さんと弟、妹が来たのと交代で、我々はICUを退出した。
 父の経過は順調で、迅速かつ適切な治療のおかげで、脳内の血栓は完全に取り除かれた。先週の火曜日から一般病棟に移り、大事をとって3週間ほど入院することになった。この暑い時期、空調の効いた病院ほど安全な場所はない。
 今日の午後6時ごろ、会社で接客中に父の携帯電話から会社に電話がかかってきた。「あす頚動脈を手術することになった。」と話す父の様子は普段とかわらなかった。脳梗塞の予防的処置で頚動脈にステントを挿入するらしい。これで益々元気になって欲しい。
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待ちに待った明るいニュース!

2016-01-27 23:25:08 | 車の絵
数時間前、名古屋に住む長男から我が妻へ携帯電話がかかってきた。私にとって三人目の孫の誕生の知らせだった。颯斗(ハヤト)君に早く会いたい。
 
君のおかげで明るい未来が見えてきた。



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昨年12月より絵を描けない!

2016-01-26 23:32:17 | 車の絵
 心に余裕がなければ、絵を描くことなど到底無理だ。新作のバイクの下絵まではできているのだが、仕事に縛られ着彩する時間がない。

 年初から世界的に株式市場が暴落し、デフレムードが消費を手控えさせて消費税増税以来の景気回復の芽を摘もうとしている。

 先週末からの天候不順が追い討ちをかける。沈滞ムードを払拭する何か明るいニュースがないものか。

 自分のブログを久々に閲覧して気づいた。60日以上新規投稿がないペナルティとして、ブログトップに見知らぬ広告が貼り付けらていた。
 
 そこで、不本意ながら昔の絵を再度アップすることにした次第。



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