気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

首里城

2007-09-28 01:50:21 | イラスト
 結婚してから毎年、盆前に妻を実家に帰らせ、盆休に私が車で迎えに行っていた。子供が生まれ家族が増えるにつれ、里帰りも大変になった。次男が生まれた年に初めてUターンの途中でキャンプをした。キャンプ道具は、私が大学のときに使っていた三角テントと飯盒と鍋のみ。夕飯は義母が持たせてくれたお米と缶入りカレー。ドーム型やハウス型のりっぱなテントがひしめく中で、小さな三角テントに親子5人が出入りする様は人目をひいた。
 たまたま山陽放送のテレビの取材が来ていて、うちの子供たちがインタビューを受けた。
 「何をつくってるの?」「カレー!」
 テレビカメラが鍋の中で熱くなっているカレー缶をズームアップした。
 このシーンをテレビで見た人は、ひどい手抜きキャンプだと思ったことだろう。
 これ以後、毎年、お盆のキャンプが定番になり、キャンプ装備も増えていった。
 寝袋で寝るにはまだ寒い、5月の連休もキャンプに出かけた。
 アウトドアを私が一番楽しみにしていたようで、家族全員のキャンプは長男が中学生の頃が限界だった。家族旅行は簡保のホテルや国民宿舎を利用するようになった。 そのうち長男も長女も部活やらで、家族旅行も儘ならなくなった。
 1995年の春に思い切って沖縄に行って以来、家族が揃う旅は、法事や結婚式の時しかなくなった。
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HONDA RA273 F1

2007-09-26 00:33:21 | 車の絵
 中学生の時、アメリカ映画「グランプリ」を観た。
 ジェームズ・ガーナー主演のF1レーサーが、レースで事故を起こし、チームを追い出される。彼に救いの手を差し伸べたのが、三船敏郎演ずる、本田宗一郎をモデルにした日本のCEOだった。 そしてCEOの期待に応えて遂に優勝するのだが、日本公開のフィルムだけ、表彰シーンのBGMに「君が代」が流れた。
 日の丸をデザインした日本製のマシンで、主人公が初めて優勝できたことが、映画の中とはいえ、日本人として嬉しかった。
 実際に1965年メキシコGPでHONDAがF1に参戦して初めて優勝したRA272が撮影に使われていたと思う。
 1966年イタリアGPでデビューしたRA273は、3リッターV型12気筒420馬力のパワーが禍して、タイヤがバーストし、一度も勝てなかったが、マフラーの造形とボディの配色が美しい、私のお気に入りのF1カーだ。
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ダットサン フェアレディ

2007-09-12 23:59:01 | 車の絵
 昨日は、非番で、天気もよく、さほど暑くもなかった。そこで、昼食を済ませてから水彩道具をツーリングバッグに詰めて、バイクでスケッチに出かけた。
 門司港レトロの風景画はよく見るが、和布刈のパゴダの絵はあまり目にしないので、目標は定まっていた。日陰があり、アングルも良い場所を見つけて、絵を描き始めてすぐに、蚊が襲い掛かって来た。蚊と蟻、たまに熊蜂に悩まされながら、絵筆を走らせた。パゴダの尖塔が、陽差しによって、様々に表情が変わって描きにくかった。妥協して完成したことにして、家路についた。
 4時すぎに帰宅して時間をもてあましたので、車の絵を描くことにした。前から描きたかったフェアレディだ。クーラーの効いた部屋で、光源も動くことがないし、快適に筆が進んだ。
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パゴダ

2007-09-11 23:58:18 | 風景画
昭和33年9月、私が幼稚園児の時、日本唯一のビルマ式寺院のパゴダが和布刈に建てられた。太平洋戦争で海外で戦死した者の慰霊のために、門司市がビルマ政府に働きかけて実現したのだ。交流イベントに私たち園児も駆り出された。
 ハリボテの象を載せた山車を園児たちがロープで引いて、和布刈山頂まで運んだ。さながらエジプトのピラミッドを築く奴隷のように、園児には苦痛だった。
 塔の先端には、ビルマ仏教会から贈られた時価300万円(当時)のダイヤモンド付の飾り(ピナクル)が取り付けられていたが、それが盗まれそうになったことがあった。その為かどうか、よく見ると、パゴダのてっぺんに近いところに、忍者返しのような、鉄の柵が付いている。仏教国のビルマ(ミャンマー)のパゴダには、こんな無粋な物は付いていないだろう。
 パゴダにはビルマから僧侶たちが大勢派遣され、オレンジの僧衣を纏って、裸足で街中を歩いているのをよく見かけた。
 最近は、僧侶が高齢になったか、人数が減ったのか、とんと見かけない。
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アストンマーチンDB5

2007-09-04 19:51:18 | 車の絵
小学6年の時、親に内緒でE君と小倉の二番館で「007ドクターノオ」と「007危機一発(危機一髪ではない)」の2本立て映画を観た。それまでも、子供同士で映画をよく観にいっていたが、怪獣映画や戦争映画、スリラー映画、クレージーキャッツの映画など、お色気とは無縁のものばかりだった。それ以前に文部省推薦映画の「世界残酷物語」を家族で観た時、別の映画の宣伝予告で女性の裸がちらと出たのが、よほど印象に残ったようで、家に帰ってから、弟とその話をして、母に叱られたことがあった。大人の映画は我が家ではタブーだった。E君はちょっとませていて、「007ゴールドフィンガー」を一人で観て、007の面白さを知り、私を誘ってくれたのだった。007の映画を初めて観た私は、これに熱をあげた。ショーン・コネリーの大人の魅力と、諜報員のかっこよさに憧れ、BB弾のワルサーPPKを買ったり、消しゴムに暗号文を仕込んだりして、すっかりジェームズ・ボンド気分でいた。中学生になると、今井製作所から007シリーズのプラモデルが発売されるほど007が一大ブームとなった。念願の「ゴールドフィンガー」も父と一緒にみた。「二度死ぬ」の封切の時は日本ロケで話題になり、親戚揃って鑑賞した。こうなると007の映画に、最初の頃ほど熱くならなくなった。
「ゴールドフィンガー」「サンダーボール作戦」「カジノロワイヤル」で使われたアストンマーチンDB5は私の一番好きな車だ。
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