Gwになったばかりの 29日。
いつも とても仲良くしてくださっている ブログ友達の お母さまが亡くなられた。
ちょうど
その前日だったか
彼女のブログの記事は お母さまのことが書かれていた。
誕生日の封筒・・
それは 彼女のお姉さまが お母さまから 貰った手紙のこと
離れて暮らす彼女の代わりに
近くに住むお姉さまが お母さまのお世話をしてくれてたそうで
いつも 彼女は お姉さまに感謝していた ・・スーパーウーマンなんだよね・・(笑)?
そのお姉さんが
お母さまから 誕生日に貰った手紙
ありがとう って たくさんの感謝の言葉と
そして 1万円札が丁寧に 封筒に入っていたそうだ。
その記事を読んだ時
私は 自分の母が
生前 私に 同じことをしてくれていたのを 想い出したの。
それは
やっぱり 私の誕生日。
小さな お年玉を入れる 袋に ~ちゃんへ と 心もとない 線の細い
それは お母ちゃんのいつもの字で。
中を見ると
やっぱり お母ちゃんが一生懸命書いたのだろう 小さな便せんに
~ちゃん、 いつも ありがとう。
お父さんを 大事にしてくれて ありがとう。
いつでも 待っているからね。
またどこかに行きませう。 お母さんより ~
あは。
いつものお母さんの・・・・・・ ~せう。って 昔の言葉・・だよね。
~行きましょうってことだなぁって お母さんらしいなって思ってた。
・・
そんな手紙と
やっぱり 娘への お小遣いなんだろう。 同じように 1万円小さく たたんで入っていたの。
それは
今でも 私のお守り袋に 小さくたたまれて 入っています。
絶対・・・使えないんだけどね(笑)
だから
彼女の その記事を読んで 自分の事も想い出し
お姉さんの気持ちもわかるような気がして
なんだかいっぱい泣けて 仕方なかった。
そして・・
コメントの最後に
彼女から お母さまの訃報を知らせる お返事があった・・・
母をなくすという事・・
受け入れたくない現実に
それは 心にぽっかりと穴が開き ゆらゆら・・心が焼けてしまう
よく 人は
大往生とか言葉で使うけど
親は いくつであっても 大事な 大事な存在で
大往生なんて 言葉は存在しない
いくつであっても そばにいてほしかった
いつも思うけど・・
ブログ友達というものは ・・
どんなに親しくしていても ここでどんなに言葉を交わしても
リアルに
そばに 行って お悔やみを言えない
一緒に泣くことができない
ただ
心に寄り添うだけだ。
私が 昨年 母を亡くした時
どれだけ ここの友達が 私に寄り添って 慰めてくれて
また 泣いてくれたんだろう。 ブログに書いてくれた友達・・今でも感謝しているよ。
こんな記事を
書いたら 彼女に失礼なのかもしれないね。ごめんね。
でも
私は
いつも 素敵な詩を奏で
いつも 素敵な日記を 届けてくれる
そして とても 楽しいお話や歌も 聞かせてくれる
彼女が 大好きだから ・・
ここで 書かせてくださいね。
お母さまのご逝去 心から ご冥福申し上げます。
そして 今
私が 母を亡くして 1年経って 思う事は
ずっと 心で感じていれば
母は 変わらず いつも そばにいてくれるということ
沙織さん
忘れず これからも 一緒に 頑張ろうね。
今は まだ お母様のそばで いるかな・・
今までのこと いっぱい 話を聞いて 貰ってくださいね。
蓮の花とともに 永遠に・・・ 私たちのそばで 咲き続けますように。