美しく作るための花いっぱい作戦ブログ

美しく作るまちを目指し花いっぱい運動の予定や活動報告を掲載します。文化・芸術・音楽・歴史を絡めた活動も報告します。

練習問題②を追加しました。

2012-01-10 21:22:14 | ふるさと検定

美作ふるさと検定の練習問題②を追加しました。これだけの問題を整理するのはなかなか大変なんですよ

でも次々行きますからね

リンクに美作ふるさと検定のホームページを張り付けておきますので遊びに行ってください

ホームページは、写真付きでさらに楽しいですよ美作ふるさと検定

 

練習問題2


問題1
現代玩具博物館・オルゴール夢館では100 年以上前のオルゴールや、子供たちの健やかな成長を願って作られた世界のおもちゃ(約500点)が展示されています。入り口では博物館のシンボルマーク「ストークライダー」が迎えてくれます。さてこのストークライダーは背中の籠に何を入れているでしょう?
 

1 ぬいぐるみ  2 赤ちゃん  3 ピエロ
                                                              

                                                                                     正解 ②


解説  ストーク(stork)とはコウノトリのこと。コウノトリに乗った男の人が背中のカゴに赤ちゃんを入れて運んでいる引き車などをストークライダーと呼びます。ストークライダーの発祥地は東ヨーロッパ地方で、古くから「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」と伝えられてきました。

 


問題2
梶並川の上流、木地山地区では約450 年前から木地師(きじし)が住み始め、ロクロを使って木製の生活用品を作っていました。「木地師の館」では今もその技術が伝統として継承されており、木地師の里として知られています。平安時代、木地師の祖神と崇められた、文徳天皇の第一皇子惟喬親王(これたかしんのう)が、木地師の大事な道具である轆轤(ろくろ)を考案したと言われています。さて、親王は何を見て轆轤を思いついたのでしょう?

 1 笏(しゃく)  2 砧(きぬた)  3 巻物

                                                                                      正解 ③


解説  お経の巻物を見て思いついたと伝えられています。笏は男性の官人が装束を着用した際に威儀を整えるために持ったもの。砧は木製で布をたたいて光沢を出す道具(上部を布でくるみ回転させながら打つ)。

 

問題3
「現代玩具博物館・オルゴール夢館」には、伝統的オートマタ(からくり人形)の巨匠ミッシェル・ベルトラン氏の作品になる「ピエロエクリバン」というオルゴールがあります。それは、恋人にあてて手紙を書いているピエロがいったん居眠りを始めたのち、はっと目を覚まして再び手紙を書き出すというものですが、さて、このピエロにはコロンビーヌという恋人のオートマタがいます。どこの国にあるでしょう?

 1 オーストリア   2 スイス   3 ドイツ

                                                                                       正解 ②

解説  スイス・サンクロワの「CIMA(シーマ)博物館」に所蔵されているそうです。

 

問題4
2011 年日本女子サッカーなでしこJAPAN で沸いた美作市は「岡山湯郷ベル」の本拠地です。女子サッカーならではの柔らかく繊細なプレーは世界中に大和撫子の強さと美しさを印象づけました。撫子は日本女性の美称代名詞ですが、四季咲きであることから別名があります。源氏物語の巻名のひとつにもなっていますが、何というでしょう?


 1 常夏(とこなつ)   2 春日(かすが)   3 四季桜(しきざくら)

                                                                                       正解 ①

解説  夕顔は、頭中将(光源氏の友人)の側室として娘玉鬘を生みますが、夕顔は本妻の嫉妬を恐れて市井に暮らしていました。その後光源氏の愛人となるが早死にしてしまいます。娘の玉鬘は、光源氏から可愛い娘という意味で「なでしこ(撫子)」と呼ばれ、その源氏が彼女のことを、「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ」と詠んだところから、第26 帖は、“とこなつ”→「常夏」の巻名となっています。

 

問題5
2010 年に開催された「第1 回TOKYO どぶろくフェスタ2010」で、全国から出展されたどぶろく75 点のうち、上位7 位に入賞した人気上昇中の当地のどぶろくの商品名はなんでしょう?
 

 1 どぶろく湯郷   2 どぶろく吉野   3 どぶろく太郎

                                                                                        正解 ①


解説  美作市はどぶろく特区に指定されており、現在、宮本武蔵生誕地の近く美作市沢田で「どぶろく武蔵の国れいし」が、および美作市湯郷で「どぶろく湯郷」がそれぞれ手造りで生産されています。どぶろく特区とは、地域経済の活性化を狙った規制緩和策として2003 年11 月に設けられた国の構造改革特区の一つ。どぶろくは米、米麹、水を原料に酵母を加え発酵させた自家製の酒で、濾(こ)していないのが特徴です。


問題6
美作市三倉田で味噌の醸造・販売をおこなっている高見味噌店は、第52 回全国味噌鑑評会で全国味噌工業協同組合連合会会長賞を受賞しました。味噌は日本の伝統食品で、さまざまな優れた健康機能を持っていますが、わたしたちの健康に欠かすことの出来ない菌が含まれています。さてどんな菌でしょう?

 1 ウェルシュ菌   2 善玉菌   3 乳酸菌   4 常在菌

                                                                                        正解 ③


解説  植物素材を発酵させて作る味噌は植物性乳酸菌がふくまれており、動物性乳酸菌に比べ胃や腸内での生命力が強いことから、その良さが近年見直されてきています。

 

問題7
美作市の東粟倉地域には行基、空海、宮本武蔵が修行したと伝えられる岡山県下最高峰の霊山があります。その中腹から山頂にかけて広がるブナの天然林は特別保護区域に指定されており、貴重な草花が咲き、オオサンショウウオ、カジカ、アマゴなどが生息しています。この霊山はなんというでしょう?

 1 愛宕山   2 剣山   3 後山


                                                                                         正解 ③


解説  岡山県美作市と兵庫県宍粟市にまたがる後山は、岡山県下最高峰(1345m)で、「氷ノ山後山那岐山(ひょうのせんうしろやまなぎさん)国定公園」指定エリアの一部です。絶景スポットとして登山者にも人気です。かつて修験道の中心地であったことから現在でも女人禁制の修験場が残り、霊山としても有名です。

 

問題8
いま「みまさか市観光ボランティアガイドの会」の企画による、市内の観光名所を巡るボンネットバスツアーが人気を集めています。レトロな外観が特徴のボンネットバスは赤と黄がトレードカラーですが、この赤色は交通安全にも大きく関係しています。一体どんなことでしょう?

 1 近くに見える   2 遠くに見える   3 遠近の見え方に誤差が少ない


                                                                                        正解 ①


解説  色には近く見える進出色と、遠く見える後退色があります。青い車と赤い車が同一位置にいると、赤のほうが近く見えるのでよけやすくなります。暖色系が進出色、寒色系や暗い色が後退色。黄色は色彩の中で一番大きく見えるので、赤と黄は安全色といえます。


問題9
美作市上山の妙徳寺は鳥坂山にあり、裏山はカゴノキ、サカキ、ツガ、カシなどの森になっており山野草も多いところです。この寺には、「東作誌」によると源義経が屋島で平家と戦った時、遥か北方の八塔寺(備前市)の灯火を思って必勝祈願したが、後に妙徳寺の灯火とわかった、という所伝があります。義経は平氏に勝利しましたが、その際御礼として妙徳寺に何をしたでしょう?

 1 涅槃図を寄進   2 寺を再建   3 本尊の如意輪観音に御礼詣


                                                                                        正解 ②


解説  八塔寺も妙徳寺の灯火も四国屋島から見えるはずがありませんが、鎌倉初期、源頼朝の命で梶原景時が奉行となって八塔寺と妙徳寺をともども再建しました。

 

問題10
美作は日本古武術の元祖竹内流の発祥の地です。美作地方では、その国柄を指したことわざがあります。それはどういうものでしょう?

 1 美作では棒を使うな   2 美作では剣を使うな   3 美作では柔術を使うな

                                                                                        正解 ①


解説  竹内流は、戦国末期に久米郡垪和郷(はがごう)の土豪、竹内中務太夫久盛が編み出したもので、美作全域の民衆に広まり、四百数十年の間現在にいたるまで連綿と伝承されています。この竹内流古武術は、日本武術史において最も古く、開流は天文元年 (1532)と伝えられています。ことわざの意味は、その美作でよそ者が武芸自慢をすると恥をかく、ということです。同じように「備前では本を読むな」「播州ではそろばんを使うな」とい
うことわざもあり、備前は岡山藩主池田光政以来、教育熱心で読書人が多い、播州にはそろばんの産地小野があり名人が多い。うっかり自慢するな、という教訓でしょう。

 

問題11
美作市明見にある三星山(みつぼしやま)は七合目付近にある井戸に、昼も夜も美しい3つの星が映ることからこの名が付いたといわれています。ここから市街地を見ると天の川のように見えることから、毎年夏と冬には“天”の文字の点灯が行われ、夜空に浮かび上がります。夏の夜の星空はさそり座、織姫星、彦星、冬はオリオン座が明るく瞬きます。さて、季節を問わずほぼ一年中見られる秋の星座があります。それはなんでしょう?

 1 おおいぬ座   2 うしかい座   3 カシオペア座

                                                                                        正解 ③


解説  地球の自転や公転のため星座が見える位置は、時間や季節と共に移り変わりますが、北の空の星座は一年中見えているもの(北極星、北斗七星、カシオペア座など)があります。北極星は一年中ほとんど動かずに、北の空に位置しており、周りを北斗七星やカシオペア座がまわっているように見えます。このように、北極星の周りを巡って沈まない星を周極星と呼びます。三星山は標高233.4m で、毎年8月、12月中旬~1月中旬まで「天文字の点灯」が行われます。

 

問題12
美作市の杉坂峠は播磨と美作を結ぶ交通の重要な場所で、鎌倉時代には関所が置かれており、後醍醐天皇もこの峠を通りました。『太平記』によれば備前国に児島高徳という武士がいて、隠岐に流される後醍醐天皇を奪取しようとしましたが、杉坂峠に駆け付けた時にはすでに天皇は院の庄(津山市)に入った後で間に合わなかった、ということです。高徳はこの計画のため一族を集めて志を述べたといいます。「志士と言われるものは仁を尽
くしきって身を献げるのだ。君子を奪取し屍を戦場にさらすとも名を子孫に残すべき」と訴え一族の賛同を得ました。ところで、このとき高徳は論語を用いて一族を説得しましたが、それはどのような言葉だったでしょう?


 1 仁をなすこと己に由る  2 難いかな 恒あること  3 義を見てせざるは勇なきなり


                                                                                        正解 ③


解説 論語――
・仁をなすこと己に由る
恥ずかしくない生き方は他でもない、自分自身の決意によるのだ。
・難いかな 恒あること
むずかしいのは、ぶれない信念をもつこと。
・義を見てせざるは勇なきなり
断固としてせねばならない事態が身に迫った場合に、尻込みしているようでは男気がない。
児島高徳が杉坂峠に駆け付けた時には、すでに天皇は院の庄(津山市)に入った後でした。せめてその志だけでも伝えようと天皇の宿所である作楽(さくら)神社に忍び込み、庭の桜の幹を削って詩を書き残したとのことです。
「天莫空勾践 時非無范蠡」――
「天(てん)勾践(こうせん)を空(むな)しゅうするなかれ 時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず」とは、“帝のご恩に報いんとする忠臣が現れ、必ず帝の御心を安んじ奉ります”の意味で、中国の故事にちなんだ詩です。

 

 

問題13
江戸時代、険しい山越えであった出雲街道の杉坂峠は、津山藩初代藩主森忠政公が入府後、それまでの萬ノ乢(まんのたわ)経由の道から変更された新しい道です。この変更に伴い国境の重要な宿場として、本陣や脇本陣が置かれた宿場がありますが、何の宿場でしょう?

 1 土居宿場   2 勝間田宿場   3 津山宿場


                                                                                       正解 ①


解説  土居宿場は、播磨国と美作国の重要な宿場として整備され、本陣、脇本陣のほか宿場の両端には東惣門と西惣門が設けられ、宿泊者たちの警護を目的に朝晩門番によって開閉されたと伝えられています。宿場の両端に惣門を備えていたのは全国的にもまれな事例です。現在は西惣門が復元されています。

 

問題14
古代の出雲街道は、畿内と出雲を結ぶ道として整備された道で、鎌倉時代に後鳥羽上皇が隠岐へ流された際に通った道として知られています。では古代何を運ぶ道として整備されましたか。

 1 金    2 鉄    3 銅

                                                                                       正解 ②


解説  砂鉄の産地、出雲から大和へ鉄を運ぶ道として「鉄の道」といわれていました。また、鎌倉時代末の元弘の変で、後醍醐天皇が隠岐へ流される際に通った道としても有名です。

 

問題15
美作市作東エリアはフランスのセント・バレンタイン市と“愛”をテーマに国際姉妹縁組を結んでいます。バレンタインパーク作東には、市街地の高台の上に教会の尖塔を思わせるタワーが見えますが、この公園のテーマは次のどれでしょう?

 1 恋     2 愛     3 憂


                                                                                       正解 ②


解説  「愛」をテーマとしたこの公園は「愛の泉」とレイモン・ペイネ原作の像をシンボルにした多目的パークで、岡山県内で唯一の「恋人の聖地」として認定されています。また、広大な敷地にスポーツ施設、美術館、ホテルなど様々な施設が揃っています。

 


問題16
明治22年(1889)に英田郡倉敷村(美作倉敷)とともに都窪郡倉敷村(備中倉敷)が発足し、岡山県内に二つの倉敷が正式に誕生しました。しかし、いま、美作倉敷の地名が無いのは、どういう背景によるものでしょう?

1 郵便や荷物の誤配が多く発生した   2 連絡に時間がかかった   3 自然に使われなくなった


                                                                                        正解 ①


解説  備中倉敷は早くから近代化が進み知名度が上がっていたことにともない、郵便や荷物の誤配が頻発する問題が発生し、このことで荷主および運輸関係者が損害をこうむりました。そこで、大正7年(1918)、当時の町長が林野郷に由来する林野町に改名することで“倉敷”の名を備中倉敷に譲ったという経緯があります。

 

問題17
美作市の中心だった林野地区は古くから交通の要衡で、高瀬船による物資の輸送が戦国時代から栄えていました。高瀬船は主にどの川の舟運に使用されていたでしょう?

 1 高梁川     2 旭川     3 吉井川


                                                                                        正解 ③


解説  戦国時代から吉井川を往来する高瀬船の利用に物資の輸送が活発に送られ、船場周辺には商人の蔵が立ち並びやがて“倉敷” と呼ばれました。(大正7年以前は“美作倉敷”と名乗っていました)。津山藩主になった森氏が津山城下の商人と同程度の権限を商人に与え幕府の直轄地となり代官所が置かれました。

 


問題18
吉川英治の「宮本武蔵」によれば、宮本武蔵の父は平田無二、祖父は平田将監といい、両人はともに十手術の達人でした。このことから武蔵は十三歳から武術をはじめ長けていましたが、さて武蔵の流儀は何でしょう?

 1 一天二流   2 二天一流   3 二天二流


                                                                                       正解 ②


解説  播州平福で新当流有馬善兵衛に勝ち、それ以来諸国を巡って剣一筋に修行しました。佐々木小次郎との決闘など六十余度の勝負に負けることはなく、流儀を二天一流と称し、その兵法を「五輪書」に残した。

 


問題19
美作市稲穂地区に長さ46メートル高さ1メ-トル、人力での素掘りのトンネル「まんぷ」と呼ばれる農業用水があります。このトンネルは何時代に出来たでしょう。

 1 明治時代   2 大正時代   3 昭和時代

                                                                                        正解 ①


解説  稲穂地区は昔から小高い地形で、農業用水は雨水と池の水で賄っていました。池の貯水量を確保するのに、明治時代の中頃、地元住民が中心となって3年がかりで新池を作り、長内川から水を引きました。現在も使用されていて、美作第一小学校4年生の児童が授業の一環で見学に来ています。

 


問題20
旧作東町土居には、幕末の時代、農兵募集のために作州路へきた尊王派の志士4人が強盗と間違えられ、追い詰められた末に自刃した事件があります。4人の志士の死を悼んで建てられた墓は四ツ塚様と呼ばれていますが、さて、4人のうち3 人は土佐藩士でしたが、残る一人はどこの藩士だったでしょう?

 1 岡山藩士     2 長州藩士     3 薩摩藩士


                                                                                       正解 ①


解説  4 人は、岡元太郎 (岡山藩)、井原応輔 (土佐藩)、島浪間 (土佐藩)、千屋金策(土佐藩)。維新後に4人には正五位が贈られており、 明治31 年墓は改葬されて土居小学校脇に存在します。この後、別に「勤王志士一三五年祭記念」の石碑が建てられました。

 

問題21
宮本武蔵は芸術家としても有名です。主要な作品として伝わる次の三つのうち旧大原町「武蔵の里五輪坊」内の「武蔵資料館」に実物が保管されているのはどれでしょう?


 1 達磨頂相図(だるまちんそうず)   2 宮本武蔵像   3 枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)

                                                                                       正解 ①


解説  達磨頂相図は旧大原町時代で、京都の収集家より3億円で購入したよう。通常は複製画が展示されていますが、武蔵祭のときのみ実物が展示されます。なお、書画の筆致からこれらは左手で描かれたと推測されており、武蔵が左利きだった可能性が指摘されています。

 

問題22
美作市楢原中地区の笠懸の森は、元弘2 年(1332 年)後醍醐天皇が隠岐に流される旅の途中、天皇を慰めるため「笠懸」の武術を行なわれたことでその名がついています。さて、笠懸とは馬上の弓術のことですが、いったいどんなものだったでしょう?

 1 犬を追いかけ何匹射たかを競う競技  

 2 左右、高低、大小と変化を付けた的を馬を疾走させつつ射抜く競技

 3 騎手の進行方向左手に用意した3 つの的を馬を走らせながら連続して射抜く競技

                                                                                      正解 ②


解説  上記123を総称して騎射三物(きしゃみつもの)と言い、それぞれ犬追物・笠懸・流鏑馬を指します。元々は武者が騎乗から敵を射抜くための稽古法。