あなたの毎日に楽しく実践!宇宙の叡智♪アーユルヴェーダドクターのブログ

アーユルヴェーダは、古代から人々を癒してきたインドの伝統医学です。おうちでできる簡単な免疫力アップ法!

大学や病院へのお問い合わせ

2013-07-23 00:23:51 | アーユルヴェーダ大学
http://www.ayurved-wagholi.org/enquiry_form.asp

大学や病院へのお問い合わせは、上記サイトへ直接お願い致します。

停電もしょっちゅうあるので、先生やオフイスからの返信は、遅いと思われます。

諸々のインドならではの理由による、連絡のとりにくさは、私の毎日の悩みの種なのです
。なので、個人的にはお手伝いできる余裕もありませんが




もし、メッセージがすぐ返って来たらラッキー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆かも、です!!



100回水と洗ったギー

2008-02-08 23:59:33 | アーユルヴェーダ大学
2007年12月25日火曜日

プネー市NASHIK大学Wagholi Mahavidyalaya

1学年3学期制。
といっても1学期は6ヶ月。
つまり1学年は1年半にわたる。

センター試験のようにマハラシュトラ州のアーユルヴェーダ大学数校の学生たちがNASHIK大学の学年末試験に合格したら進級。

その学年末試験は1ヶ月にも及ぶ。
全6科目の筆記試験を3時間を6日にわたって受験し、さらに同6科目の口頭試験&実技試験を6日にわたって受験する。
あいだに試験休みがはさまれるので数週間、気がぬけない。

1学年は健康な生活について、2学年は病気について、3学年は臨床について学ぶ。
それらが終わったらインターンを1年間。

学生たちが薬について学んでいたのはドラヴィヤグナという製薬学の時間。
2学年の講義だ。

発表のための準備をしていた学生たちだったけど、つくりかけていた薬の一つをみせてくれた。

これはシャタダウタグルタ。
100回水で洗ったギーという意味の名前がついている。

その名のとおり100回ぐるぐるとかき混ぜる。

こうして実際に学生たちは実習中に薬をつくる。
アーユルヴェーダの薬の中には、鉱物や貝殻、宝石などをもやして、灰にしたものもある。
昔ながらの方法で牛のふんを燃料にして地面にうめて燃やす実習もみたことがある。
牛のフン、何個分を燃やすという量まで古典に書いてあって面白い。

また、薬をつくる容器にも意味がある。
銅製、銀製、大理石などなど容器の性質まで考慮する。

アーユルヴェーダの古典は食物の性質、石から水の性質まで細かく述べられている。
もちろん、動物の肉も治療や食事に認められている。
アーユルヴェーダはベジタリアンのものという誤解もあるかもしれないが、けっしてそんなことはない。

鳩の肉からワニまででてくる。
石はたとえば、大理石から宝石まで。
水は、雨から川の水、井戸の水、地下水など。。

自然の全ての性質に注意をむけている。
ドラヴィヤグナ(製薬学)を直訳すると”ドラヴィヤ(物質)+グナ(性質)”
つまり物質の性質。











先生と学生

2008-02-07 21:41:32 | アーユルヴェーダ大学
12月25日火曜日

久しぶりに、学校の建物に向かう。
いつのまにか、手前にもう一棟、まったく同じ大きさのビルが建設中。
新しい大学院とアーユルヴェーダ治療のための入院病棟になるそうだ。
以前より学校が近くにみえたのは、新しい建物が見えていただけ。
ちょうど、私が通っていたとき、大学の建物が完成したばかりだった。
まるでそのときと同じように、ほとんど完成しそうな新しい建物。

薬局も新しくなっていたし、食堂の会社も変わっていた。
ほんの4~5年のあいだに、景色が違ってみえる。

学校の前に木が一本。
あまり印象に残っていないから、気づかないくらい小さかったと思う。
大きくなった木の陰に学生たちのオートバイが停まっている。

正面の階段を数段あがって中に入ると吹き抜けのスペース。
まわりを囲むようにして廊下があり、さらに外側に教室が並んでいる。
入ってすぐの右手は図書室。
講義が終わる3時から4時には、皆帰宅するので閉まってしまう。
一人で授業を受けていたので、自習は教室がほとんど。
他の学生達も階段に座ってサンスクリット語を覚えたりしていたが、
あまり図書室の中にこもっていなかった気がする。
突然の休講の時には、外で男子学生がクリケットをしていたのが印象的だった。
なにしろ、この学校の四方八方何もない。
町から離れているので交通も不便。
授業が終わったらはやく帰らなくては、バスもない。

夏は暑くて行き帰りだけでふらふらしそうだった。

図書室から出て、事務室に教頭先生をたずねてみる。
あいにく、食事中。

廊下でうろうろしていると、吹き抜けの上から声がした。
サンスクリットの先生だ!

ヴァイディヤ先生は私とかわらないくらいの年齢で、女の子がいる。
最後のサンスクリットの試験で1番がとれたのは、彼女が毎日10コ、詩を覚える課題をくれたおかげ。
家にも一度お邪魔して、お母さんと娘さんに会った。
だんなさんは、ソフトウエアのエンジニアだったと思う。

”ひさしぶり!”
急いで、2階に行くと、先生が笑顔で立っていた。
少し立ち話をして、他の先生のことをきいてみる。
ほとんどの先生は変わっていて、知らない先生が多い。

講義をしている様子の教室の前をのぞいてみた。
ドラヴィヤグナ(製薬学)の教室。
床の上で何やら集まって本を広げている学生たち。
中に入って、先生の顔をのぞく。
ジョーティ先生が奥の机に座っていた。
日本から用意していたいくつかの質問をたずねて、教えてもらう。

それから、アーユルヴェーダの昔ながらの製薬道具の見本などを写真にとらせてもらった。
学生たちに、先生が私を紹介してくれた。
彼らは、今、アーユルヴェーダの薬について一人一つずつ、古典を調べて発表する準備をしている。
写真をとってもいいかな?ときくと、
皆笑顔でこっちを向く。
”できたら、勉強している風景をとりたかったんだけど。。”
というと、
背中を向ける位置に座っていた男子が”ちょっと待って!”といって、
あわてて反対側にまわり、カメラの正面を向く。
皆、大笑い!

ここの学生たちは、とても無邪気な印象だった。
講義のときは、男子と女子が左右に分かれて座る。
食堂や休憩時は仲良くしゃべっているけど、マラディー語なので私はついていけなかった。
あるとき、何を話しているのかきいてみると、
先生のうわさ話。

あの男の先生と女の先生はカップルにちがいない!というような。。
実は、男の先生は結婚しているし、まったくありえない話だったけれど。

インドでは師弟関係が厳しく、先生にはとてもくだけた話をできないからかもしれない。

先生には、学生が敬意を表すとき。足先に手をついて礼をする。

男の先生には、サー(Sir),
女の先生には、マダム(Madam)をつけて呼ぶ。

先生は絶対的な存在だ。




アーユルヴェーダ大学に戻って。

2008-02-06 21:56:29 | アーユルヴェーダ大学
2007年12月25日火曜日

プネー市アーユルヴェーダ大学ワゴリカレッジ

バス停から学校をみると、こんなかんじ。

まったく緑も少ない、この場所にアーユルヴェーダ大学とパンチャカルマ施設、薬局がある。

プネー市内からガタガタ、、ときどきドシンとお尻をうたれながらバスで到着。

バス停でおりたのは私一人。
学生は9時からの授業にあわせて、すでに登校しているにちがいない。

舗装されていない大学の道を歩いて、薬局に歩いて行く。

薬局の建物の前でドクタープラバに会った。

彼女と一緒に、大学の創設者のサマディに向かう。

サマディとは、創設者であり、大学長サダナンダ先生の父マハラジがずっと見守っているところだときいた。
パンチャカルマ棟に入院している患者さんの散歩に最適。
雀がチュンチュンとさえずっているサマディのまわりには何もなくて、
静か。

サダナンダ先生もプラバタイも、行き帰りに必ず挨拶をする。

私も、サマディにお参りに寄ってから、パンチャカルマ棟に歩いて行く。

パンチャカルマ治療(浄化療法)のため入院中の友人ニハリカに会う。
今日は、たまたまクリスマス!
2時半からクリスマス会をするよ、と招待してくれた。

午前中はオイルマッサージ、シロダーラ、浣腸などなど治療が続くので
ドクターも患者も忙しい。

患者さんの身の回りの世話を手伝っているスミトラが半年前に生まれた
愛娘をつれてきていたので、少し子守りをする。

今日はサダナンダ先生がボンベイに行って留守。

大学の食堂で昼食にする。

食堂で、唐辛子抜きのカレーを頼もうとしたとき、
”ミワコ!”と呼ぶ声がした。

奥をみると、見覚えのある元同級生!

名前はあいにく覚えていないが、少し大人になった彼らに同席する。

現在、大学付属の病院でインターンをしているという。

他の同級生で思い当たる名前をあげて、近況をたずねた。

皆、それぞれ故郷に帰ったり、プーネ市内の病院に就職したり、インターンなど
バラバラのようだ。

なんだか懐かしい。
みんなが食堂にいないのが不思議だ。
以前は、必ず見知った顔のだれかが食堂にいたのに。

個室で離れて授業を受ける私は、食堂と行き帰りの時が唯一同級生と会う時間だった。
一人でいる私を気遣って英語の出来る同級生が話しかけてくれた。

昼食を終えて、支払いをしようとしたら、もう済んでいるという。
いつのまにか、彼らが払ってくれたらしい。

学生の頃とは違い、大きな車でプネー市内に戻ろうとする彼らに
お礼を行って、久しぶりに大学の校舎に行くことにした。










プネー市内バス

2008-02-03 00:38:56 | アーユルヴェーダ大学
2007年12月25日(火曜日) クリスマス
今日は朝9時のバスにのってプネー市郊外のアーユルヴェーダ大学へ。

先週につづいて、以前留学していた大学を訪れる。
プネーの旧市街に住んでいるドクタープラバと待ち合わせ。
彼女から朝9時発のバスがあると電話で聞いた。
たしか、以前は8時のバスと11時の2回だったなあ、と思いながらプネーの鉄道駅前のバスステーションへ向かう。
9時のバスにぎりぎり間に合う時間にリキシャで到着。
バスステーションといっても時刻表がどこにあるのか、わからない。
どのバスがどこへ向かうのか、看板もマラティー語。
唯一知っているマラティー語の数字136番と表示されたバスを探す。
昔の記憶を頼りに、見覚えのある建物の前のバス停へ急いだ。
しかし、そのバスには誰も乗っていない。
カーキ色の制服をきた車掌さんのような人にたずねてみる。

どうやら、違うらしい。
来た方向の左手を指差している。
9時まであと5分。
あわてて来た道をもどる。
バスが3~4台並んでいる。
窓から乗客に”ワゴリ?”と声をかける。
行きたい場所はワゴリだが、よく似た地名でワノリという所があるので
できるだけはっきりときいてみる。
首をふって違うと答えられた。
誰も乗っていない空のバスをのぞいて、全て、違う。。
もう9時だ!
空のバスに一人乗客がいたので”ワゴリ?”とたずねると、
首をふらふらっと“イエス”とかしげる。

インドのイエスはわかりにくい。
日本語でいえば、”さあ?”という、首のかしげ方をすると”イエス”
はじめの頃、どうにもなれなくて困ったジェスチャーのひとつ。
サンスクリット語の授業で”わかった?”と先生にたずねられて、”うーーん?”と
首をかしげたら、”イエス(わかった)”と勘違いをされてしまったことがある。

おかげで、乗客が”イエス”といったものの、なんだか、イエスじゃないような気がして、
他の人を捕まえて再びたずねる。

どうやら一人しかのっていない空っぽのバスがワゴリ行きのようだ。

9時出発だときいていたのに。

時計をみせてもらって9時出発じゃないのか?ときいてみる。
9時半発のようだ。

もともと朝は2本しかないはず。

4年前、8時のバスの次は11時30分だったことを思い出して不安になる。

しかし、とりあえず、乗客がのっていることだし、
しばらく待つことにした。

バスといってもクッションはない。
木の板に緑色のビニールが貼られているだけ。

バスの運転はとても荒い!
スピードをだしすぎないように、道の途中でぼこっと盛り上がっているところを
無視して走る。
最後部の座席に座っているとお尻が空中にふわりとあがって、ドシン!!!と落とされる。
腰を痛めてしまいそうだ。

できるだけ、前の座席にのらなくては。

しばらくたつと、だんだん乗客が増えてきた。
どうやら本当に9時半出発のようだ。

片道40分。約36円。
プネー鉄道駅前からワゴリ大学の前までのる。

窓際にのっていると陽射しが暑い。
窓はガタガタで開閉できない。

前に座っている女性はスカーフを頭と顔に巻いている。
このスタイルはプネー特有だときいた。

日除けと排気ガス防止のようだ。

マチコ巻き?