あなたの毎日に楽しく実践!宇宙の叡智♪アーユルヴェーダドクターのブログ

アーユルヴェーダは、古代から人々を癒してきたインドの伝統医学です。おうちでできる簡単な免疫力アップ法!

パンチャカルマ(浄化療法)

2008-02-11 22:18:34 | 浄化療法(パンチャカルマ)
12月25日火曜日

パンチャカルマ(浄化療法)中は、食事が制限されている。
クリスマスケーキも一口ずつ。
あまり食べると、一時的に弱くなっている消化力にますます負担がかかり
体調を崩してしまう。

ニハリカのパートナー、ハンスは数年前に定年退職。
耳が少し遠くなって補聴器をつけているけれど、こうしてインドにくるのも不自由はない。
ニハリカがパンチャカルマをすすめられたので、一緒に治療を受けることになったそうだ。
彼は、数年前にパンチャカルマを初めて受けた。
その頃は、全身に発疹がひどくでていて、赤くなったりかゆくなったりしていたらしい。
サダナンダ先生の治療を受けるようになってから、徐々に改善し、
パンチャカルマ治療の後、すっかり良くなったという。
そのため、今では体に良いスパイスを使ったマイルドなカレースープなど、自身で料理できる。
ドイツではパスタやジャガイモを使った料理が多いそうだが、消化しにくく、胃腸がもたれやすい。
アーユルヴェーダのすすめる食事をするようになって、調子がよく感じられ、その後も続けるようになったようだ。

今回、ハンスの頭は丸刈りにされた。
シロバスティという治療を受けるため。
それは、椅子に座った姿勢で耳の上あたりから筒状の帽子のようなものを固定し、上からオイルを注ぐ。
頭にオイルの入ったバケツをつけているようなもの。
頭頂部からオイルがしみこむ。

丸刈りになったハンスは慣れない頭をなでながら、なかなか気に入っている様子。

患者さんの一日は意外と忙しい。

朝、起きると、ドクターの回診があり、朝食。
治療によっては朝食をぬくこともある。
アビヤンガ(全身オイルマッサージ)のあと、スチームであたためた箱のなかに横たわって汗をかく。
それから、シロダーラまたは、シロバスティまたは、シロピチュ(写真)をうける。
シロダーラは額の上にオイルを垂らす。
シロバスティは頭のうえにバケツのようにオイルをためる。
シロピチュは頭の上にガーゼにしみこませたオイルを固定する。

これらが広い意味での前処置。
オイルを体中に浸透させる。

それから、パンチャカルマ(5つの浄化療法)本処置の一つであるバスティ(浣腸)などを行う。
浣腸などを通じて、体内にたまった未消化物を排泄する。
そのため、一時的に消化管に負担がかかっているので、
空腹を感じるまで昼食を食べない。

だいたい、12時半から1時頃に、昼食。

眠たくなっても横になって寝ると消化によくないので、昼寝をできるかぎりさける。
どうしても眠いときは、座ったまま上体をおこしておく。

そうして、休んでいると2時~3時とすぎていく。

ドクターたちも手が空いて、ほっと一息するのでおしゃべりをしたり、のんびりしている。

4時頃になるとナビバスティ(おへそにオイルをためる)や、カティバスティ(腰にオイルをためる)治療が
必要な人には、施される。

そうしているうちに、おやつの時間。

消化にかるい、ラズギラワリというキビのような穀物でできた米菓子のようなポップコーンのような
お菓子。

ざくろや、患者さんに適した果物などが出される。

陽射しがすこしやさしくなった夕方になるとサマディまで散歩をするとちょうどよい。

部屋に戻って、休むのもよいし、ドクターと話してもいい。
他の患者さんと話をしたり、しているうちに夕飯が運ばれてくる。

食事は、一人ずつ、部屋で落ち着いて食べる。
話したり、何かをしながらではなく。
おなかと相談しながら、ゆっくり無理をしない。

宿直のドクターの回診のとき、ナスヤ(点鼻法)を受ける。

週に2回は、停電があるため、日が暮れたあとは、ろうそくのあかりを灯すか、
非常灯をつける。

あまり明るくなく、テレビもラジオもないし、暇になる。

9時には、自然と就寝だ。

私も入院したとき、とてもよく休むことができた。

ニハリカもハンスも、忙しい日常から離れて一人の時間を過ごす入院生活に
とても充実した感じをうけている様子。






生クリームたっぷりクリスマスケーキ

2008-02-10 17:54:33 | 浄化療法(パンチャカルマ)
2007年12月25日火曜日

パンチャカルマ病棟に戻る。

クリスマス会は2時半から。
東京から入院中の女性の部屋に寄ってみた。

全身オイルでつやつやだ。
先週から3~4週間の予定で滞在中。

今日は、どうやらもうひとり日本から患者さんが到着したらしい。
ドクターが隣の部屋をノックしてみたらいいよ、と誘ってくれた。

”こんにちはー”

みたことがある!

なんと、留学時代にも患者さんとして滞在されていたEさんだ!
お互いびっくり。。

初めての時と同じ場所で、再会。
私はたまたま今日、ここにきていただけなのに。
Eさんも、あれ以来、入院にきていなかったという。

もう日本で仕事をしていることを伝えて連絡先を交換した。

3人で、ニハリカの部屋に行く。

ニハリカのパートナー、ハンスと他のドクターたちも集まってきた。
半袖で祝うクリスマスは、あまり実感がない。


ドクターたちが、バラの花束とちいさな包みをひとりひとりにプレゼント。
”サー(sir=サダナンダ先生)からみんなでクリスマスをお祝いするように、いわれたの。”
といって、ドクターの一人が白い箱を差し出した。
サダナンダ先生はボンベイに行っていて留守。
あけてみると、クリスマスケーキ!!
インドでこんなケーキにお目にかかったことはない。
第一、とっても柔らかい生クリームでできたサンタクロースはつぶれやすそうだ。
交通事情の悪いインドの町中を大切に運んできてくれたにちがいない。

ニハリカはドイツからクリスマスに食べるというパウンドケーキのようなお菓子を切る。
”こんな素敵なクリスマスっていいねえ”
と笑う。
ニハリカによると、ドイツではクリスマスには家族が集まってプレゼントを交換する。
子供や恋人にかぎらず、両親や親戚にもプレゼントをおくるので、毎年大変なんだそうだ。
今年はプレゼントを選ぶかわりに、心にうかんだ詩をかいたカードを送り、
インドでこうしてお祝い。

私は、とびいり参加だったのでドクターたちが”準備がまにあわなかったの”
といって、バラを一輪、キラキラのラメがついた花をプレゼントしてくれた。

クリスチャンでないインドの人たちは、とくにクリスマスをお祝いしないので、
私もうっかりしていた。
プレゼントを用意してくればよかった。。

病院に入院する患者さんは各国から訪れるのでドクターたちも患者が不便を感じたり
、寂しくならないように思いやりが行き届いている。

ドクターたちは、日本語も少し覚えている。
日本から来る患者さんとのやりとりで治療に重要な言葉が中心だけど、
おもしろい言葉も少し。

”ゴクラク、ゴクラク”
と突然話しかけてきたり。。

これは、治療を受けた患者さんがあまりの気持ちよさに話していたらしい。

”ヨコニナッテクダサイ”
などは、マッサージ中姿勢を変えてほしいときに、必要で覚えている。

ドクターたちは若い先生が多い。
外国の患者さんにも積極的に話して、国のこと、言葉などをたずねる。

今、大学院課程で勉強しながら勤務しているドクターシュヴェダはニハリカの
担当。
私がアーユルヴェーダを勉強していてききたいことがあれば、なんでも力になるわ!
と初対面にもかかわらず、話してくれた。彼女は最近赴任してきたが、私のことは、
何でもしっているわ!という。。

他の先生もよく、日本からわざわざこの学校に入学した人がいると、地元の学生たちを
はげましていたらしい。

彼らと同じ講義を受け、勉強の大変さに加えて異国の地での生活、家族や友人から
離れて入学してきた私をとても大切にしてくれていた。

ドクターや、学校、ここの人たちのあたたかさを思い出した。












アーユルヴェーダ病院

2008-01-20 23:08:02 | 浄化療法(パンチャカルマ)
12月19日火曜日
今日はアサンガの命日。

偶然、アサンガのドイツの友人"ハンス”と”ニハリカ”がプネー郊外でパンチャカルマ(アーユルヴェーダ浄化療法)
を受けている。

アサンガに縁のあるそのパンチャカルマの病院にアラディカと一緒に行く約束をしていた。

1時半にアラディカの家に車が迎えにくることになっていたので昼食をはやめにすませて、
急いで向かった。

ぎりぎり間に合ったかなと心配しながら、1時半に玄関のチャイムをならした。

しかし、アラディカはまだ着替えてないからゆっくりしててという。

そして、ソファでくつろいでいるうちに2時に。

2時になっても車の気配がない。

市内の交通渋滞がすごいので、そのせいだろうか、と話しながらお茶を飲む。

インドで遅れることは本当にしょっちゅうなのであらかじめ十分な時間を
見越して頼まないといけない。

それにしても遅いなあ、と思い始めた頃

1時間もすぎて、ようやく車がきた。


郊外のアーユルヴェーダ病院まで約40分。

 病院の敷地はかなり広い。

バス停から遠くに緑色の建物が見える。
アーユルヴェーダ大学だ。

一番、手前に食堂がある。

横には、牛小屋。

私が付属のアーユルヴェーダ大学に留学していたころは一頭しかいなかったが、今は牛小屋も
大きくなって牛も増えている。

食堂の裏に大きなニームの樹。

樹の下には、暑い陽射しから守られた黒いHONDAのバイク。

舗装されていない砂利道を10メートルほど奥にすすむと、オレンジ色と白色の建物がある。

一棟に二部屋。
間にパンチャカルマの施術室をはさんで、一部屋に一人ずつ、たったふたりのための
パンチャカルマ棟だ。

ここには、5棟ある。

入院患者は2週間から4週間のパンチャカルマを受ける。

ハンスとニハリカは3週間の予定。

笑顔のニハリカに歓迎されて、彼女の部屋にアサンガの写真を飾る。

たまたま、日本から女性がひとり入院していたので彼女も誘う。

サダナンダ先生が他のドクターたちと一緒に入ってこられた。

アサンガのかかりつけのドクターがサダナンダ=サラデシュムク先生の父、マハラジだった。
ドクターといっても学校で学んだ知識ではなく、あらゆることを知っていて、
脈診から、音楽やいろんなことに才能があって多くの人に頼りにされていたそうだ。

晩年、このアーユルヴェーダ病院と大学をつくって、サマディに入った。
その後、サダナンダ先生がアサンガのかかりつけの医師となり、私が
アーユルヴェーダに興味をもつきっかけとなった。

現在、サダナンダ先生はここの大学、病院、それからエイズ、癌研究所にくわえて、
ボンベイの診療所の所長を兼任している。
そのうえ、日本、オーストラリア、ヨーロッパを訪れて、アーユルヴェーダの魅力を
多くの人に伝えている。

東京で初めてお会いしたのは、10年前。
その後、3年間、このアーユルヴェーダ大学に留学した。
本当にとてもお世話になった。

アサンガの写真に花を飾って、お線香をあげる。

わたしは日本からもってきたみかんをお供え。

先生がお経を唱えたあと、若いドクターや初めての人に、アサンガを紹介。

それから、アーユルヴェーダの”アーチャーリアラサヤナ”についての話を若いドクターが

古典を引用しつつ話してくれた。

”アーチャーリアラサヤナ”とは良い行い、良い考え、すばらしい人のことを心にとめておくこと
などが、精神的にもひいては、身体的にも健康を保つ秘訣である、、というようなことだ。

アサンガの亡くなったときの様子をニハリカが話す。
こうして、今日このような時間がもてたことは決して計画していたわけではなく、
ニハリカがパンチャカルマを受ける為にインドを訪れたのは、突然決まったことだった。
私がインドを訪れることもニハリカたちは知らなかった。
でもこのような場がもてたことは、いろんなことがおこることにオープンである
ことのおかげだ、と喜んだ。

 そのあと、先生からインドのおやつが振る舞われて、みんなでいただいた。

アサンガの話や、おたがいの近況など、のんびりとチャイをのみながら楽しんだ。

アサンガがいるときは、いつもみんなが打ち解けていろんな話をした。

甘いものも大好きだったので、チョコレートやクッキーをたべながら一緒にみんなで

楽しく過ごすことが多かった。

まるで、今もアサンガを囲んでいるような感じだ。

あっというまに、楽しい時間はすぎて、帰る時間になった。

 案の定、帰りの道は大渋滞。

夕飯を食べる時間もない。

とてもラッド先生のクリニックに間に合いそうにもなく、今日だけは、お休み。

昼2時をすぎても車が来なかったので、もうその頃から、今夜のクリニックは
無理かもしれないと覚悟をしていた。

無理をしようとするとイライラするけど何の助けにもならない。
あきらめることもインドで気持ちよくすごす一つの方法。


アラディカの家で夕飯をいただいた。

プネー市の位置するマハラシュトラ州は、辛い味つけが伝統的だが、

アラディカは辛くないカレーを用意してくれていた。

今日は、疲れると思ったから昼食を多めにつくっておいたの。

といって、プーラオというたきこみごはんにカレースープ。

手作りのヨーグルト、人参のピクルスをごちそうになった。

冬といっても昼間は半袖でもすごせるほど陽射しはつよい。

郊外まで行くとやはり疲れる。

夕食のあと、テレビをつけた。

今、インドではやっているという、呼吸法の番組をみた。

何百人もの人をまえに、白い服をきたひげ面の男性が呼吸法を紹介している。

毎日、テレビ体操ならぬテレビ呼吸法の番組は各地で収録されているらしい。
アラディカいわく、プネーにも来たことがあるそうだが、すごく大勢の人が
訪れたのだと言う。

ほかにもテレビで面白いことはあったのだけど、今日はこの辺で。。。