さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

GW前の赤坂

2005年04月29日 00時23分17秒 | 日記
今日は、職場の同期の友人と久しぶりに食事。
赤坂見附のイタリアンのお店にて。

友人の美幸ちゃんは、私と同じくナース。
そして、尊敬することに彼女は今、法学部の4年生という側面も持ち合わせている。
働きながら、弁護士を目指している。
医療訴訟の弁護士になりたい、というのが目標だ。

彼女との出会いは、6年位前になるだろうか。
同期だというのは知っていたが、お互い勤務する部署も違っていたため
たいして話をする機会もなかったときのこと。
たまたま、同じ委員会に所属したのが親しくなったきっかけだった。
以来、何かあると話をする関係に。
昨年、わたしが入院していた時も、何度か足を運んでくれていた。

はずは、ゆっくり話すのも1年ぶりだったので、私がクリーンルームに隔離されていた時の出来事などを話す。
何故か時折涙がこぼれてきたのは、美幸ちゃんの愛、であることに違いない。
私は、また、自分自身が愛によって生かされていることを実感した。

話をする中で、ついつい、自分自身が変に達観してしまっていることを指摘される。
「ま、いつ死んじゃうか分からないんだけどね」
なんていうことを、軽々しく私は口にしていた。
そんな言葉によって、大切な友人がどれほど悲しい思いをしているかも知らずに・・・。

私の中で、半ば自分が悲しくなったり虚しくなったり、悔しい気持ちになったり、
とにかく自分の感情を隠すかのように
「どうせ、いつまで生きられるかなんて分からないからさ」
なんて、言ったりしていた。
そんなことない、という言葉がほしいだけのエゴなのか。
とにかく、自分の想定以上に、私を優しい愛で包んでくれている友人に対して
悲しい思いをさせてしまったことに、深く反省した。

しかし、そんなことをストレートに表現してくれる友人を持ったことにも感謝。
やはり、かけがえのない友人である。
人は一人では生きていけない。
それは、生きているという事実は、それだけで多くの人の支えになっていることでもある。
ある意味、一人では生きていけないことによる他者への感謝とともに
自分の生きていることが、必ず誰かの力になっているということの自信を持ちたいと思った。
つまり、そのことに対して責任を負っているということ。

明日からGW。
赤坂の街は、いつもより人々の開放感に満ちていた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿