新年のあいさつにしては偉い遅くなってしまいました。
年始は2日に横浜に戻ってきて、あっという間にいつもの生活に戻ってしまいました。
伊豆で過ごした日々はのんびりというか、穏やかでした。
先日8日には、35歳の誕生日を迎えました。
もう、誕生日がうれしくもない年齢に差し掛かっていますが、
誕生日から間もなくして闘病生活6年目に突入した私にとっては、
毎年毎年のお誕生日が、そりゃあありがたく、感謝感謝で迎える日になっています。
思えば、ちょうど4年前は、トリノオリンピックに年齢制限で出場できなかった浅田真央選手をテレビで見ていました。
再発して、初めてベルケイドを使うので入院していた年末年始のことでした。
彼女自身も、周りの関係者も、真央ちゃんには4年後のオリンピックがあると思っていました。
今出られないのは仕方がない、4年後に出ればいいのだ、と。
でも、再発して闘病中の私にとって、彼女たちにあたり前に来るであろう4年後が、遠い遠い目標であり、
きっと、オリンピックに出る真央ちゃんなんて・・・私は見られない、と思っていました。
だから、その後、グランプリシリーズが始まり、真央ちゃんをテレビで応援することができると、
「今年も真央ちゃんを見られた」
と思うのでした。
そして、なんと、今年はオリンピックイヤーです。
夢でさえ見ることのできなかった、真央ちゃんのオリンピックを、この目で見られる、というのがいつの間にか現実のものになってきました。
ММと診断されたのが29歳の誕生日を迎えた時のこと。
すべてを受け入れて、ここまで生きられたらもう十分と思えるのは40歳だと思いました。
当時目にした生存曲線の5年生存率は私の希望を奪うものであり、10年生存率は絶望を示すものでした。
あと5年。
両親や家族のために、もう少し頑張らなければなりません。
相変わらずまとまりのない内容ですが、
本年もどうぞ、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
年始は2日に横浜に戻ってきて、あっという間にいつもの生活に戻ってしまいました。
伊豆で過ごした日々はのんびりというか、穏やかでした。
先日8日には、35歳の誕生日を迎えました。
もう、誕生日がうれしくもない年齢に差し掛かっていますが、
誕生日から間もなくして闘病生活6年目に突入した私にとっては、
毎年毎年のお誕生日が、そりゃあありがたく、感謝感謝で迎える日になっています。
思えば、ちょうど4年前は、トリノオリンピックに年齢制限で出場できなかった浅田真央選手をテレビで見ていました。
再発して、初めてベルケイドを使うので入院していた年末年始のことでした。
彼女自身も、周りの関係者も、真央ちゃんには4年後のオリンピックがあると思っていました。
今出られないのは仕方がない、4年後に出ればいいのだ、と。
でも、再発して闘病中の私にとって、彼女たちにあたり前に来るであろう4年後が、遠い遠い目標であり、
きっと、オリンピックに出る真央ちゃんなんて・・・私は見られない、と思っていました。
だから、その後、グランプリシリーズが始まり、真央ちゃんをテレビで応援することができると、
「今年も真央ちゃんを見られた」
と思うのでした。
そして、なんと、今年はオリンピックイヤーです。
夢でさえ見ることのできなかった、真央ちゃんのオリンピックを、この目で見られる、というのがいつの間にか現実のものになってきました。
ММと診断されたのが29歳の誕生日を迎えた時のこと。
すべてを受け入れて、ここまで生きられたらもう十分と思えるのは40歳だと思いました。
当時目にした生存曲線の5年生存率は私の希望を奪うものであり、10年生存率は絶望を示すものでした。
あと5年。
両親や家族のために、もう少し頑張らなければなりません。
相変わらずまとまりのない内容ですが、
本年もどうぞ、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
今年が、ともい良い年でありますように・・・
いつも、元気を頂いております
そうです。○○生存率なんて、過去のデータです。
今、生きている自分たちは、自らが生き抜いて記録更新!!です。
By.5050santa
ごめんなさいね、こんなこと。でも本当にこんなことってあるのかなってまだ自分でも信じられないのが現状です。併発してもがんばっているかたや生存率、私も上げたいと思っています
本当にありがとうごさいます。ごめんなさい。
種本は全米有数のMM治療施設であるMayo clinicですから確かな話です。5年後生存率というのは、5年前に治療を受けた方が現在生存されいる確率です。(当り前なことを言うな!ハイすいません)問題は5年前にはいま新薬と呼ばれるVelcadeもRevlimidもなくて、thalidomideがやっと使われだしたころです。言い換えますと、5年前に使えた治療は、MP、VAD、ASCTとせいぜいでthalidomideだけでした。新しい薬やレジメンの開発が続いている現在では、XX年後生存率ということ自体あまり意味がないかも知れません。ちなみに、アメリカでは平均生存期間が7~8年と言われています。2~3年前には6~7年と言われていました。UAMSというこれも全米有数の施設のデータでは、10年以上生存される患者さんが17%以上になっているとあります。また、10年以上生存されている方の中には、operative cure(事実上治癒されているとでも訳すのでしょうか)と呼べる方が相当おられるのではないかと、UAMSの先生は言われています。(ちなみに治癒と確認出来るようなテクノロジーは現時点では開発されていません) 最近では遺伝子異常に基づいたリスクの層別化が行われだしたので、十把一からげに生存率云々ではなくて、ローリスクではXX年、ハイリスクでもこのケースではYY年などどリスクに応じて細かく生存率が予測されているようです。そういえば、5年後生存率といった言葉は、英語の文献では目にしなくなりましたね。
文献でも色々ありますが、NCIやACSといった米国政府機関の資料では、50%近い患者さんが診断後3年以内に亡くなり、5年後生存率は約34%となっていて、10年後の予測はしていません。Mayo Clinicのデータとは異なりますが、5年間生存されたら、その後の長期生存が期待出来るということだろうと自分では解釈しています。5年間生存が期待出来るのは、ローリスクの患者さんだということでしょう。どの文献でも、これからの課題はハイリスクの患者さんの治療だとしており、ローリスクの病気の方は、ある程度目鼻がついているのだなとも感じています。ご参考までに。
もうすぐ73才になる父も、2月のお誕生日
直後に病気が判明して、もうすぐ2年に
なります。。。
MP療法を続けてきて血液検査の結果は
順調に推移していたのですが、ここにきて
新しい腫瘍が出来ていることが判明し、
気持ちが動揺している様子でした。
でも、年末の帰省の再会の際、父が元旦の
おみくじが家族の中で一番悪い結果に
思わず
『もうダメかなぁ~』
と冗談まじりに言った言葉に小4の
超・おじいちゃんっこの息子が反応し、
『じいちゃん、あきらめないで!
あきらめちゃダメなんだ!!』
と言ったら表情がかわりました。
穏やかな一年が過ごせますよう、
心よりお祈り申し上げます!
時節柄、ご自愛ください。
生存率の話、ありがとうございます。訪ねてきて頂いたみなさまにも、とってもいい内容になります。
こういう話を時々混ぜながらできるといいのですが、そういう知識とセンスがないので、コメントでフォローして頂けると、
ブログの深みが増し、とってもいい感じになります(^-^)
ありがとうございます。
でも、なるほど~生存率はあまり言われなくなってきているのですね。
確かに、染色体異常とかをもとにハイリスクやローリスクで分けたり出来れば、不用意に不安になることや、振り回されることも減りますね。
でも、医療の進歩に伴って着実に生存期間は伸びているし、治癒に近い状態にもっていく事が可能になってきた、ということですね。
私が治療を始めた6年前には考えられなかったことですから、その進歩は本当に目覚ましく、骨髄腫治療の未来…と言わず、現実は明るいですね。
骨髄腫治療にあたる先生や患者の会で、いつも励ますように言われていたことは、現実のものとなってきましたね。
とにかく、一日でも長く生き延びよう!いつか、きっと治せる治療が出てくるから、と。