私は病気になりました。
たくさんのものを失いました。
運動が出来る身体
病棟で三交代出来る身体
残業に耐えられる身体
一年、それ以上、継続して責任を持って働けるという自信
ナースという仕事をしていく上で私が持っていたプライドは捨てざるを得ませんでした。
自分の生活のために、働かせてもらわなければなりません。
屈辱的な対応も受けました。
自分の働いている病院で生かされ、
自分の働いている病院では、いまやお荷物扱い。
この矛盾の中に、それでも身をおかなければならない。
様々なものを捨て、諦め、割り切りました。
普通に生活する事、
普通に結婚する事、
普通に子供でさえも産めるであろうと思っていたこと。
普通である事を失いました
3ヵ月後の予定を立てること、
5年後の計画を立てること、
年老いた自分を想像する事。
たくさんたくさんあります。
しかし、一度失ったものを、再び手にしたものもあります。
新しい冬のコートを買うこと、
水着を買うこと、
点滅する信号を小走りで渡りきる事
仕事すること、
仕事して、アフターファイブに飲んで帰る日があること、
髪を結ぶ事
(抗がん剤で髪が抜け、再び生える事は分っていましたが、結べるほどの長さになることを想像できませんでした)
デートする事、
お付き合いする事、
プロポーズされる事
もしかしたら、もっと増えるかもしれません
そして、たくさんのものを新たに得ました
医療を受ける側として、たくさんの医療関係者と出会いました
たくさんの患者さんや、たくさんの患者家族と出会いました
患者会に患者として参加できたり、
たくさんの仲間を得ました
闘病記やブログで表現する場も得られました。
たくさん本を読んだり、
たくさん体験や経験したり、
たくさん、たくさん考える事が出来ました
なぜ生きるのか
広く、深く考える事が出来ました
物や物事を整理するくせがつきました
生活する上で、本当に必要なものをより吟味できるようになりました
生きていく上で、何を大切にしなければならないのか、
自分の中で、良く考えて、信念を持って人と関わったりするようになりました
中には、上手く手放せたことを再び背負ってしまう事もあります
それは、頑張ってしまう事
妥協できない事
特に仕事の面では、理想を求めすぎて、
周りにも、求めてしまいがちです。
アンテナ張りすぎて、疲労してしまいます。
見ないように、
聞かないように、
言わないように・・・
ところが元気になると、見えてしまうから・・・
どうしようもありません
とにかく、
私がこの4年で得たものは計り知れません
だから、なんだかんだ言っても、こうしてたくましく生きていられるのです。
ところが、最近とっても考える事があります。
はたして、私の家族にとっては??
病気や病気に伴う様々な事を
ポジティブに捉え、笑い飛ばせるまでの余裕は・・・
ないんですよね。
おそらく、患者家族というものはそういうものだと思うのですが、
心配心配・・・モードだと、
疲れてしまうんですよね。
そんな心配なんのその!
作り笑いでも笑って笑って、NK細胞活性させるぞ~
なんて言って払拭してあげられるほどの、
エネルギーはない、
というか、
心配、可哀想?哀れ??モードに巻き込まれてしまいます。。。
鈍感力
楽観的
そんなキーワードが足りないのかな。
要は、とっても繊細な家族なのかもしれませんww
たくさんのものを失いました。
運動が出来る身体
病棟で三交代出来る身体
残業に耐えられる身体
一年、それ以上、継続して責任を持って働けるという自信
ナースという仕事をしていく上で私が持っていたプライドは捨てざるを得ませんでした。
自分の生活のために、働かせてもらわなければなりません。
屈辱的な対応も受けました。
自分の働いている病院で生かされ、
自分の働いている病院では、いまやお荷物扱い。
この矛盾の中に、それでも身をおかなければならない。
様々なものを捨て、諦め、割り切りました。
普通に生活する事、
普通に結婚する事、
普通に子供でさえも産めるであろうと思っていたこと。
普通である事を失いました
3ヵ月後の予定を立てること、
5年後の計画を立てること、
年老いた自分を想像する事。
たくさんたくさんあります。
しかし、一度失ったものを、再び手にしたものもあります。
新しい冬のコートを買うこと、
水着を買うこと、
点滅する信号を小走りで渡りきる事
仕事すること、
仕事して、アフターファイブに飲んで帰る日があること、
髪を結ぶ事
(抗がん剤で髪が抜け、再び生える事は分っていましたが、結べるほどの長さになることを想像できませんでした)
デートする事、
お付き合いする事、
プロポーズされる事
もしかしたら、もっと増えるかもしれません
そして、たくさんのものを新たに得ました
医療を受ける側として、たくさんの医療関係者と出会いました
たくさんの患者さんや、たくさんの患者家族と出会いました
患者会に患者として参加できたり、
たくさんの仲間を得ました
闘病記やブログで表現する場も得られました。
たくさん本を読んだり、
たくさん体験や経験したり、
たくさん、たくさん考える事が出来ました
なぜ生きるのか
広く、深く考える事が出来ました
物や物事を整理するくせがつきました
生活する上で、本当に必要なものをより吟味できるようになりました
生きていく上で、何を大切にしなければならないのか、
自分の中で、良く考えて、信念を持って人と関わったりするようになりました
中には、上手く手放せたことを再び背負ってしまう事もあります
それは、頑張ってしまう事
妥協できない事
特に仕事の面では、理想を求めすぎて、
周りにも、求めてしまいがちです。
アンテナ張りすぎて、疲労してしまいます。
見ないように、
聞かないように、
言わないように・・・
ところが元気になると、見えてしまうから・・・
どうしようもありません
とにかく、
私がこの4年で得たものは計り知れません
だから、なんだかんだ言っても、こうしてたくましく生きていられるのです。
ところが、最近とっても考える事があります。
はたして、私の家族にとっては??
病気や病気に伴う様々な事を
ポジティブに捉え、笑い飛ばせるまでの余裕は・・・
ないんですよね。
おそらく、患者家族というものはそういうものだと思うのですが、
心配心配・・・モードだと、
疲れてしまうんですよね。
そんな心配なんのその!
作り笑いでも笑って笑って、NK細胞活性させるぞ~
なんて言って払拭してあげられるほどの、
エネルギーはない、
というか、
心配、可哀想?哀れ??モードに巻き込まれてしまいます。。。
鈍感力
楽観的
そんなキーワードが足りないのかな。
要は、とっても繊細な家族なのかもしれませんww
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます