さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

戦友がまた一人…

2011年12月21日 07時32分12秒 | MM闘病記
私の従兄弟が、一昨日亡くなったと知りました。

父方の従兄弟なのですが、父は沢山いる兄弟の末っ子ですから、従兄弟のお兄ちゃんといっても20歳以上離れています。
実は、2年位前に腎腫瘍と診断されて治療していました。
今年に入ってから、私が看護師である事や大病をしている事もあり、連絡がくるようになっていました。

その時には肺や骨に転移していて、主治医はあまり説明してくれないし、治療法がすぐに変わったり、と不安と不満等があったようでした。
一度お見舞いに行った後はメールをするようになりました。
最近はあまり連絡がなかったので、調子いいのかなぁ…と思っていました。

久しぶりのメールはつい先日の事、14日でした。
腹水や胸水がたまって苦しい、という内容でした。

私は以前泌尿器科の入っている病棟で勤務していましたから、腎腫瘍の患者さんも沢山看てきました。
ですから、腹水はつらいけど、抜けば大事な成分・栄養素が失われるし、またすぐに漏れ出てたまってしまう、いたちごっこになることも分かっていました。
案外状況は厳しいと思っていましたが、母に話しておこうと何度も思ったのに、
まだメールもしてきているし、あまり不用意に言うのもためらいがあって、話さずにいたのです。

最後は自宅で…起き上がろうとしている姿で…朝になって気付いたと言います。

父は小学校を卒業すると上京し、お姉さんの家で生活していましたから、亡くなった従兄弟は弟のような存在だったようです。
ですから、父はだいぶ気に掛けていたし、今月末に上京する際にも会いに行くと言っていました。
だから、父はだいぶ動揺しております。

そう思うと、状況が厳しくなってきているという事を…伝えていたほうが良かった、って考えてしまいました。

昨日は母が行き、納棺などに立ち会ったと言います。
実に穏やかで、今にも起き上がるのではないかと思うほどだったと言います。
つらい時間が長く続きましたから、自宅で穏やかな最期を迎えられたのは、良かったのだろうと思いました。

合掌

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1 コメント

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Unknown (ホタル)
2011-12-22 06:56:06
ご自宅でご家族に看取られての旅立ちは幸せだったと思います。 お父様、相当お辛いでしょう、優しくしてあげて下さいね。
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