さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

また一人・・・

2005年06月27日 21時16分45秒 | MM闘病記
先日、入院中にクリーンルームで知り合った友人の訃報を聞いた。
もう、一ヶ月も前のことだったらしい。

ユキちゃんは29歳。
私の一つ年下の女の子だった。
詳しいことは分からないが、もともと遺伝性の疾患があって血液疾患にかかりやすかったみたいだった。
ちょっと発達遅滞もあったのか、ちょっと小柄で実年齢よりも幼い印象を受けた。
しかし、きゃっきゃと笑い声を上げながら観ていたビデオはリロアンドスティッチの字幕無し、英語だったりという一面もあり、とても頭の良い人だった。
あまり、ゆっくり話す機会もなかったが、
「私なんて、もう4回も移植してるのよ~」
なんていいながら、もうすっかり仲良くなった先生達といつも楽しそうにおしゃべりしていた。

今回こそは、移植が上手くいくといいな~なんて思いながら私は一足お先に退院。
その後、外来に来たときに一度面会に行ってみた。
しかし、その後は入院が長引いていたこともあり、
元気な姿を見せるのはかえって落ち込ませたり、嬉しくないことかもしれない、と遠慮していた。

しかし、先月、病気をもう、抑えることができなくなり、
全ての苦悩から解き放たれ、退院していったという話を聞いた。

ショックだった。

私が退院する時、
「みんなも頑張って!」と、
それまでに出会った戦友に鶴を折った。

間もなく、みどりちゃんが驚くべき速さで無事に退院した。
それからは、年を越えることなく一人、また一人と訃報を耳にした。
ユキちゃんは最後まで頑張っていた。
何ヶ月も何ヶ月も、頑張っていた。
いつもニコニコ、キャッキャキャッキャと笑いながら頑張っていた。

厳しい現実。
分かってはいるけど、やっぱり辛い。
そして、怖い。

これが現実。

とにかく、誰もが死ぬまでは生きている。
ただそれだけ。
今は生きている。
だから、今を生きたいと思った。
今を、大切にしたいと思った。
今に、感謝したいと思った。


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