さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

久しぶりのお仕事

2007年05月08日 00時29分54秒 | MM闘病記
外来も受診しました。
増えに増えてしまった内服薬を整理し、
痛み止めも、効き方などを考慮して少し調整しました。
採血データは問題なし。

しかし、こともあろうに・・・

「残念かもしれないけど、データは悪くないみたいだったねえ・・・」

と言われ、カッチーン!!
コノヤロウ!!

不調を裏付けるデータがあったほうが納得できるだろう、
という患者心理を読んだつもり!?

私にとっては、ほんと優しくない主治医だこと!!

でもね、
逆をいえば、客観的に見えるわけでもない痛みに対して、
ほんとに痛いの?まだ痛いの?
と思う気持ちがゼロではない中で、
言葉には出さないように意識している様子はうかがえたし、
完全に主観的な訴えに対して、
よりよくなる為にはどうすれば良いんだろう・・・
と、
真摯に対応してはくれているからさっ。

「そんなこと、あるわけないじゃないですか~!!」

とだけプリプリモードで言って終了。

仕事の事はね、いろいろ考えなきゃいけない感じになりつつありますが、
ん~まあ、また後日整理する事にします。
今日は、コメントのお返事に少々熱くなって、時間をとりすぎました(汗)


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8 コメント

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Unknown (さなえ)
2007-05-09 09:55:23
私のコメントにきちんとこたえてくれありがとう。先生とは身体をあづけ長く付き合っていただきたいから私と言う患者を解ってほしいし患者の気持ちを解る先生でいてほしいと思っています。治療に優れている事はもちろん大切ですが思いやる気持ちはもっと大切な事だと思う。でもそんな先生は少ないですね。お互いを解り合える努力するしかないですね。
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カッチーン、コッチーンですか? (iwaiwa)
2007-05-09 19:09:26
良い方に考えるとジョークにもとれるけれども、患者の気持ちは、デリケートなのに。
「経過は、順調でよっかたですね」の一言が欲しかったですね。
では。。。
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Unknown (ゆかこ)
2007-05-09 22:23:53
私はまだ無治療で…

色々感じるのは、これからなんでしょうけど、そんな私でも担当医の言葉に ブチッ ってきたりします。

経過が良いなら素直に『良かったですね(*^-^*)』と言ってくれればいいのに…

気持ちの半分『この先生に、これ以上の望みは持てないなぁ』なんて思わないとやっていけない時もあったりします。



知り合いで看護師の方に『私は"死"に慣れてるから、あなたの気持ちがワカラナイ…』と言われた時は、本当にショックでした。

そんなモノなのかなぁ?



何を書き込みたかったんだろう。。
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痛み止め (Yuji)
2007-05-11 09:57:28
こんにちは。
はじめてコメントさせていただきます。

痛みなどの自分しか感じられない症状を理解してもらえないのは,ホントに辛いですよね。
多発性骨髄腫の知人は,痛みに対して「ゾメタ」というビスフォスフォネート製剤を投与しているとのことです。
知人曰く「1ヶ月に1回の注射なので苦にならない」とのことです。

参考にならないかも知れませんが,お知らせまで。

それでは,また。
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>さなえさんへ (さゆり)
2007-05-11 19:46:27
そうですね。確かに、我々が理想とするような先生っていうのは少ないと思います。でも、なぜなんでしょう。私もいち医療者です。まあ、その事はあまり関係ないかもしれませんが、さなえさんから見て、医師に対して特にそのように感じるのはどのようなところからですか?患者さんの言葉ってとっても大事だと思います。このブログは幸いにもたくさんの医療関係者も読んでくれています。良かったら、お話を聞かせていただけませんか??
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>iwaiwaさんへ (さゆり)
2007-05-11 19:50:02
そうそう!デリケートなのよ!!こう見えても・・・。
ま、そのおかげか最近、傷つきショックを受けるだけでなく、「傷つきました!」と時々言えるような強さも学び得つつありますが(苦笑)
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>ゆかこさんへ (さゆり)
2007-05-11 20:07:22
知り合いの看護師さんの言葉には、私もショックだなあ・・・。確かに、たくさんの患者さんを看取る中で、慣れた事はあります。私にとって「死」というものは、ただただ恐怖でしかなかったからです。
しかし、自分にとっての「死」というものの捉え方、存在が変化していく事によって、患者さんやご家族にとって「死」がどのような意味をなし、存在しているのかを考えられるようになってきました。
なので、新人の頃は患者さんが亡くなって泣いてしまう自分を、なんて恥ずかしい事だろう、と思っていましたが、経験を重ねると共に、患者さんが亡くなり、時に家族の方と涙する事に一切の羞恥心も無くなっていくのを感じていったのを記憶しています。
あくまでも、私の場合、ですが。
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>Yujiさんへ (さゆり)
2007-05-11 20:09:02
コメント、ありがとうございます。
また是非、遊びに来てください!!
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