さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

情報が氾濫している世の中にあって・・・

2007年05月06日 12時58分25秒 | MM闘病記
医療には、限界があります
いのちには、例外なく、限りがあります

もし、医療が万能で
いたちごっこの様な医療が際限なく繰り返され、
いのちの終わりが来ないとしたら・・・

考えただけでも恐ろしい世界だし、
そういった中で人は、
いのちを輝かす事ができるのでしょうか。
今日この日一日、この瞬間のあり難さを感じ、
大切にする事ができるのでしょうか。

昨日は三輪哲義先生の講演会がありました。
詳しい事は、昨日のブログで記録しておきました。
実は、もう一つ、昨日の時点でぜひとも記録しておきたい事がありました。
それは、先生が「支持療法と日常生活の注意事項」
という項目でお話しされていたところにあります。

この内容は、講演会の終盤でお話しされた事です。
私自身は午後になると使ってしまったオプソ(レスキュードーズのモルヒネ)の効果が切れかかろうとしていました。
残っている眠気と、じりじりとその存在を知らしめようと現れる痛く重たい感じ、身の置き所がなく、座っているのもつらい・・・という状態が始まろうとしていました。
聞いているのをギブアップしようか、と思う反面、
個々の医師の考え方、解釈の仕方によってかなりオリジナリティーが発揮される内容だと思っていたので、是非聞いてみたいと思うところでもありました。

結果的には、朦朧とする意識の中で、
聞いているつもりになっている状態だったとおもいます。
なので、正確に聞き取れていないという可能性が大いにあるのですが。
ただ、なんとなくその内容に違和感を感じたのです。

こういった講演会では往々にして「身体感覚優位※」になる私は、
その時々の感覚が先行し、何ですっきり感があったのか、なんでなんとなくしっくりこなかったのか、が話題もすっかり変わった時や帰宅後のふとした瞬間などに分る事があります。
例えば、講義の内容が「分らない」と感じた時、「何が分からないのかも分らない」という状態が結構長く、「分らない内容が分った!」という時には既に質疑応答の時間を過ぎていたり、帰宅後だったりするのです(汗)
体調に伴う思考能力の低下もそもそもあった私は、
その場での理解・納得にこだわらず、とにかくこの時の感覚だけをしっかりと認識しておこうと思いました。

※「優先的代表システム」(VAKOG)近いうちにここでも紹介するし、何度か登場することになると思います。

そう、この話しを聞いていて、私は違和感を感じていた。

話の中で、私が違和感を感じた具体的な内容はこうだ

①健康食品・サプリメントは無効
外来で診ていた患者さんで、患者さん本人が飲みたくて飲んでいたわけでもなく、心配する家族が買って飲ませていた健康食品(具体的な名前をあげていましたが、忘れました)で明らかに病態の悪化を招いてしまった。健康食品どころか不健康食品だった!!
②温泉は避けるべき
温泉は身体を芯から温めるというが、特ににごっている温泉には不純物が多く、毛穴を詰まらせる→汗が出ないので体の温度が上がる。だけでなく、不純物によって毛膿炎を起す事もありうる。
源泉豊富で完全なかけ流しの温泉でない限り、レジオネラ菌が繁殖している可能性も高く、肺炎等の危険がある。

①に関して
確かに、結果的に悪影響を及ぼすものはあるというのは理解でき納得できる。
世に出回っている健康食品の多くは誇大広告で、エビデンスのないもの、人間の弱みに付け込んだ非常に悪徳な商売が成立している事も悲しい現実。
しかし、例えばとっても悲しい結果を生んでしまった「サリドマイド」。
かといって、その危険性を知りつつ使っていたわけでもなく、
とってもよく効くし、安全であるという前提の下に当時は使われていた。
しかも、健康食品などといったいかがわしい扱いでなく。
そして、当時の結果としては薬害しかもたらさなかった「サリドマイド」が、
歴史を経て、
いまやMMの有効な薬の一つになっている。
治療に関しても同じで、
今現在では標準治療の一つになっている自家末梢血幹細胞移植にしたって、
近い将来には「よくもあんなに野蛮な治療をしていたよね」
という日が来るかもしれない。

話は少し変わるが、
人は危険なものを回避し、必要なものを選んでいく能力が必ずあるのだと私は思う。
産まれたての赤ちゃんは生きていくためにお母さんのおっぱいを吸う。
おっぱいが安全である事、くわえ方、吸い方、飲み方を教えることなく。
また、赤ちゃんの目の前に手をパッと置くと、必ず払いのけようと手を動かす、という話しを何かの本で読んだことがある。
空気の澄んだ森林で、無意識に深呼吸する人はいても、
科学物質に満ち溢れた工場で、無意識に思いっきり深呼吸する人はいないと思う。

つまり、自分にとって安全なもの、必要なものを選ぶ力を、人は本質的にちゃんと持ち合わせているものだと思う。
その選択を失敗してしまうのは、エゴのせい。
安いから、という理由で産地も鮮度も農薬の使用量も無視して人は簡単に危険なものを自分の体内に入れることが出来る。
近くて便利だから、と空気も悪いし自然も少ない都会で生活する事ができる。
他にも、高いから効くだろうと中身の分らない高価な「きのこ」にお金を出す。もっともそうな理由と、夢のような文句の書かれた広告と共にインターネット上で一瓶二万円で販売されている「きのこ」と全く同じものを、同じ広告と共に駅前の路上で200円で販売されていたら、いずれの場合でも買うだろうか、もしくは買わないだろうか。私の中に、直感的に感じる事のできる「良い」「悪い」以外に、本当に多くのエゴによって支配されていると思う。

話を戻すと、
「健康食品」は「不健康食品」だ!
と言い切ってしまうと、多くの人が、極端に言えば、何も口にする事ができなくなってしまう。
そもそも薬は全て、それを必要とする患者さん以外にとっては、害しかもたらさない。毒物でしかない。
だから、不健康食品が、全ての人にとって健康食品にはなり得ない、とも決して言い切ることが出来ない。

こういう話を考え出すとキリがないが、
とにかく、多くの場合で有害である、ということが明らかなものをあえて口にする事はないと思うが、
その人にとって、本当に必要なものは、その答えは、その人自身の内側にしかないんだろうな、と思う。
もちろん、今の常識が10年先の常識であり続けるかは分らないので、
あくまでも、今現在の私の考え方、ですが。

例えば、西洋医学的にもう、手の施しようがなくなったとき、
リラックスできて、身体の芯から温まって、具合が良いな、と感じるのであれば温泉に入ればいいじゃないですか。
明らかな有害事象も確認されていず、価格と効能は比例しないということを知っていて、それでも効くかもしれないと思うのであれば、家族の思いの一部が満たされるのであれば(もちろん、これは表面的なその場しのぎな物でしかありませんが)、いわゆる健康食品やサプリメントだって使ってみればいいではないですか。

西洋医学にも、東洋医学にも、いかがわしい健康食品にも限界があります。
人の命にも、等しく限界があります。
その中で、より良い方向にしたい、と思うことや行動する事は、
すなわち生きることなんだと思います。

人は、自分に必要なものを自ら選択できる力を持っています。

今は、インターネットを通じでたくさんの情報を得る事ができます。
今回のような講演会のように、たくさんの情報が提供されています。
良い事も悪い事も、たくさんの情報を得る事は大切な事だと思います。
しかし、多くの情報の中にあるとき、
混乱を招く事も多くあり、
例えば私の場合は、
「じゃあ、どおすればいいのよ~!!」
と完全に責任転嫁し、逆ギレしてしまう事が・・・
多々あることを思い出すことが出来ます。

でも、だから、今回の講演のちょっとした「違和感」によって確認する事ができました。
「だから、答えは(自分の)内側にしかない」と。

思考が、選択の多くが自分のエゴによって支配されているということを認識し、
自分にとって、隣人に対して、環境(地球全体)に対して正しくて、美しいものを選択し続けたいな、と私は思います。



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8 コメント

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講演会不参加ですが (iwaiwa)
2007-05-06 22:33:45
人それぞれ状態によって違うので、私個人の考えです。
健康食品ですが治療の妨げにならなければ自由だと思います。
ちなみに高価な濃縮きのこにお金を出していました。数十万円使いました。(1ヶ月6万程度)効果は確認できませんでしたが、悪さは無かったです。
温泉もたくさん入浴しています。
でも現在無治療3年経過しました。
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Unknown (けーご)
2007-05-06 22:48:28
確かに。。。
今は情報だらけですね。
簡単に踊らされてしまいます。
そのものの価値と言うもの、その本質は本人の内側にある。
なるほど。
その通りですね。
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Unknown (さなえ)
2007-05-07 11:32:48
人の体は不思議です。思い込むことで思わぬ効果を出すことがありますよね。たしかに高価な健康食品、サブリメントが患者の気持ちを利用して売られています。私も一時飲んでいましたが体が受け付けなくなり止めました。でも少しでも効果があれば試してみようと思うのが患者の思いです。私の主治医はそんな物を飲む人の気持ちわ解らないと言いました。患者の心解らないなー。さゆりさんどう思います?
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>iwaiwaさんへ (さゆり)
2007-05-07 22:28:14
ご意見ありがとうございます。
病気になると、周りの人間も「何かの役に立てば・・・」と様々な情報や、実際のいわゆる健康食品などを提供してくれます。
おそらく、皆さん一度は経験があるのではないかと思います。
私の場合、藁をもつかむ思い、というよりは好奇心と相手の気持ちがとっても嬉しいので、結構試してみました。お水とか、フコイダンとか、それこそ中身の分らないような粉末?まで。
でも、効果は確認できなかったけど、害はなかった、というものは結構あるものですよね。
そして、中にはいやな感じ、不安を覚えたものもあります。

温泉も岩盤浴も大好きです。
さすがに、その温泉にレジオネラ菌がいるかいないかを感覚で分かることは出来ませんが。
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>けーごへ (さゆり)
2007-05-07 22:40:45
そうなんだけどね。
自分の中にあるはずの物を得る為に、取り払わなければならないものが多すぎて・・・。
ま、本当の直感に従うのが一番だと思うんだけどね。
ついつい、あれこれ考えてしまう私にとっては、とっても難しい作業なんです。。。
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>さなえさんへ (さゆり)
2007-05-08 00:01:29
あくまでも、私の考えですが、

主治医の先生は、極端な話しですが、現時点で解ろうとしたくないんだろうな、と思います。そういう問題について、患者さんの立場に立って考える余裕もないのでしょう。ある程度のラインで線引きしないとキリがないのもあると思うし、医師という立場で対応するには責任を持ちきれない、のもあるのではないかとも思います。
しかし、あれこれ想像してみたところで、結局はその先生の中にしか、答えはありません^^;

患者としては、せめて「そういう気持ちもわかるけど・・・」という配慮が欲しいんですけどね。

私も自分の主治医に対して、身体を預けているわけだから、こんな事もあんな事も知っていて欲しい!とか、解ってほしい!って思うことは結構あります。
伝わらないままに「まあいっか」って思うこともあれば、それでも治療に関わる事だったりすれば、どうしたら伝わるか、と試行錯誤することもあります。
医師と患者といえども、要するに「人間関係」。病気の性質上、主治医とも長く付き合っていかなければならないので、お互いに理解し合える関係を築く為に、「私も、先生の事を理解しよう!」
というのが、作戦、かな。

この場合は・・・
主治医に対して、自分の伝えたい思いはちゃんと伝わったのかなあ。
先生自身に確認してみるのは結構重要な事かも。
そして、主治医から返された言葉に「患者の気持ちは解ってもらえない」と感じた事は伝わったのか。
それに対して、主治医としてどのように感じたり、考えたりするのかなあ。。。
仲良くなるとかいう事ではなく、
一方通行でないコミュニケーションをとること、
そして、相手がどのような価値観や考え方を持っているかを、少し理解できると、安心できるものだと思います。
それに、先生が「患者の気持ち」を知ることは、それが全ての患者さんに当てはまるものでなくても、決して無駄な事はない、と思うし。
外来の短い時間では難しい事もたくさんあると思いますし、私自身も何ヶ月越しかでやっと、話せた~と思うこともあります。
何より「解ってほしいな!」って思うことをあきらめないこと。あきらめない限り「解ってもらえなかった」という事はないはずですから!!
・・・と自分に言い聞かせて頑張っているさゆりです(笑)
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Unknown (Unknown)
2007-12-20 22:44:11
引用は正確に書くべきではありませんか?
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Unknown (さゆり)
2007-12-22 10:15:54
引用は正確に書くべき。
ごもっともだと思います。
何か問題がありますか??
与えられた情報をどのように解釈するかは、個人の問題。
しかし、引用した内容に関して、正確でないとおっしゃる明確な根拠がありますか?そうであれば是非教えてください。
ま、残念ながら、時を経て、あまり具体的には覚えていませんが(汗)
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