さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

これからのこと 第二章

2009年03月03日 02時31分23秒 | MM闘病記
休職のリミットが迫ってきました。
復帰するか退職するか、決断しなければなりません。

このところ、自分の考えを書いて整理してみたり、考えても答えは出ない、と流れを感じ取るために敢えて空っぽにしてみたり、
確実に存在する焦りの中、ストレスフルな日々を過ごしています。

ある番組で篤姫の脚本を書いた方(名前忘れてしまいました)がこんな話をしていました。

自分を徹底的に甘やかすんです。
自分はなんて凄いんだろう、って言葉に出す。
そして、常に肯定する。
そうしていると、今、自分が本当に欲しい物が見えてくる。

ってね。
たぶん、そのインタビューを見ていて、私にはこういうメッセージとして響いたんだと思うのです。

そう、私は十分頑張っている。
甘えてるわけではない。
今の状態で、フルタイム勤務は無理。
結局、周りからは見てとることの出来ない痛みやしびれ、痛み止めを飲むことからくる眠気…それらを抱えながら働くということ、
身体もきついし精神的なストレスは想像するだけで、胃が痛くなります。

自分の努力でなんとかなるものであれば、また違うでしょう。
でも、
確かに、退院してから体力はだいぶついてきました。
体重も増えてきました。
階段もなんとか上り下り出来るようになってきました。
しかし、しびれや痛みは変わらないんです。
感覚も鈍いので片足立ちが出来ず、ちょっとした段差や斜面では、杖がないとバランスが取れません。
自分の努力や慣れていく事で解決できるものではないところで…
これはもう、仕方のないことです。

正直なところ、経済面での不安はあります。
しかし、それを敢えて抜きにして考えると、今の状態ではナースとして現場に行く事が出来ないのです。
専門職として、ここは甘えて良いところではないのです。
そもそも、自分の体力に自信がないのに、働くモチベーションさえ上がってきません。

やってやれない事はないと思います。
しかし、心身ともに負荷がかかり、ストレスになるだけかもしれません。
やってみないと分からない、かもしれません。
しかし、始めたことを途中で無理だと認める事もまた、ストレスになるのです。

最初にベルケイドの治療で末梢神経障害がおきた時は、職場の近くにあった実家に泊まり、しばらくはタクシーで通勤していました。
それでも、痛み止めは今の1/4以下。
そして、徐々に軽減していってたんです。
薬を中断して、半年もしたら日常生活はなんの支障もないくらいにコントロール出来たんです。

もう、一旦退職して、
もう少し、痛み止めを減らせるくらいまでは改善して、自分でも自信もてるようになってきたら、その時出来ることをやってみればいいのかな、って。

私は退職を決意しました。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ひさしぶりの投稿 (iwaiwa)
2009-03-03 23:06:39
退職の決意、なんといったらよいのか、、、

私の場合ですが、さい帯血移植してから、
社会復帰するまで約1年半かかりました。
やはり、退職しています。
ゆれる気持ちよくわかります。

よだんですが、病気で働けないときでも
ハローワークで手続きした方がよいです。

焦らないで下さい。

いただいた命、大切にして下さい。。。
返信する
iwaiwaさんへ (さゆり)
2009-03-04 23:53:56
ありがとうございます。
そうでしたか。退職されたのですか。
で?そのあとは??
・・・やっぱり焦ってしまいますね。
どうでもいいっっって投げ出したくなったりもします。
あの時の感謝の気持ち。
そう。
大切にしなければなりませんね。

ありがとう。
頂いた言葉の一つ一つが染み入ります。
返信する

コメントを投稿