相変わらず、わが人生を問う日々。
職場からの帰りの電車の中で、C・ブコウスキーの本を読みながらふと思う。
私は、考えすぎてはいないか?
かっこつけようとしていないか?
何がしたいかって?
お腹がすけばおいしいものを食べたいと思う。
美味しいものじゃなくたって良い。
本当にお腹がすいていたら、一番近くて手に届くものをとりあえず食べたいと思う。
わざわざ買い物に出かける場合もあれば、
とりあえず、家の中にストックしてあるものの中から選んだり、選択の余地もなく、食べられるものを口にするかもしれない。
眠くなれば寝たい。
寒くなれば、何かを羽織ったり、暖房をつけたいと思ったりする。
生理的な欲求が満たされていたら、
少しずつ高次の欲求を満たしたくなる。
いやいや、また、考えすぎてはいけない。
単純に考えよう。
正解とか、間違っているとか、そんなことは気にすることはない。
ふと曖昧に浮かんだマズローのピラミットを打ち消した。
そうだなあ、
いつまでも、病気の不安を感じることなく生きていたい。
痛い思いをしたり、動けなくなったりしながら生きていたくない。
少しずつ悪くなっているのを感じるのも嫌だ。
だから、そうであるために、自分が出来ることはしておきたい。
後悔したくないから。
気休めに過ぎなくったって・・・
自己免疫力を上げていたいし、何かの間違いであったとしても少しでも進行を抑えることはできない、と言い切ることが出来ないのであれば、岩盤浴に通う。
風邪を引かないようにサプリメントも飲む。
しくじって骨折したりしないように、満員電車は避ける。
少しでも、いい状態で働けるように昼寝をする。
早く寝る。
鍼に通う。
念じる。。。
無理はしない。
無理をしたくない、というのは私のしたいこと。
無理をしていない、という実感があることが私の安心。
だから、出来ないことはないかもしれないけど・・・って思うならやめた方が良い。
先日、今までは暗黙の了解で免除されていた急患室勤務の当番を来月辺りから、して欲しい、と看護師長に言われた。
青天の霹靂。
私はもう、病人相手に実務をするという想定をしていなかった。
当然、スカスカの骨を酷使することはないと思っていた。
満員電車に乗るな、といわれた時点で、患者さんを移動する必要がある業務をするという想定をしなくなっていた。
しかし、当然の任務であり、義務であるという口調で言われた私は、
なんて自分は甘い考えでいたのだろう、と反省した。
やるべきこと、出来ることをなぜ自らしなかったのか、と自分自身を恥じた。
自分の気持ちだけの問題で逃げていた、
何でこんなに落ちぶれてしまったのだろう・・・と、自責の念に駆られていた。
だから、主治医に相談した時に、
検査とかしてみることにして、とりあえずは急患室勤務はもう少しやらないでおきましょうか、といわれた時、なんともいえない安心感に包まれていた。
なぜって?
やはり、私自身の単なる甘えではない、ということを根拠付けてくれたから。
もし、安易にOKが出されていたら、
私は、完全に自信喪失し、自らダメ人間、ダメナースのレッテルを貼って、悶々とし、わが人生発見の闇に呑まれるところだった。
ほんと、どれほど私は安心させられたことか。
そのことにより、さらに、私は一歩冷静に自己自身を見つめ、
それでもわが人生を問うている。
もちろん、主治医によって守られた自分自身によって、少し前を向いた形で。
話があちこち飛んでいるが、
とにかく、無理をしないでいる自分でいられることは今一番のやりたいこと、
というかありたい自分、なのかも知れない。
石橋を叩いて渡るわが人生。
私は、大丈夫、というものがないとなかなか先に進めない。
とにかく安心感がないと、チャレンジできない。
とても臆病な生き物だ。
だから、今の私、これでいいか、って思うことがかなり重要。
でも、世の中に絶対、っていうのってないから、
ある程度のところで納得することも大事。
そうだな、諦めがつくっていうのが良いかな。
つまり、後悔しないっていうことか。
じゃあ、諦めがつかないことは何?
やっぱり、一度は誰かと真正面から向き合って、
生活をともにしてみたい。
一度は結婚しないと。
これだけは、諦めきれない。
職場からの帰りの電車の中で、C・ブコウスキーの本を読みながらふと思う。
私は、考えすぎてはいないか?
かっこつけようとしていないか?
何がしたいかって?
お腹がすけばおいしいものを食べたいと思う。
美味しいものじゃなくたって良い。
本当にお腹がすいていたら、一番近くて手に届くものをとりあえず食べたいと思う。
わざわざ買い物に出かける場合もあれば、
とりあえず、家の中にストックしてあるものの中から選んだり、選択の余地もなく、食べられるものを口にするかもしれない。
眠くなれば寝たい。
寒くなれば、何かを羽織ったり、暖房をつけたいと思ったりする。
生理的な欲求が満たされていたら、
少しずつ高次の欲求を満たしたくなる。
いやいや、また、考えすぎてはいけない。
単純に考えよう。
正解とか、間違っているとか、そんなことは気にすることはない。
ふと曖昧に浮かんだマズローのピラミットを打ち消した。
そうだなあ、
いつまでも、病気の不安を感じることなく生きていたい。
痛い思いをしたり、動けなくなったりしながら生きていたくない。
少しずつ悪くなっているのを感じるのも嫌だ。
だから、そうであるために、自分が出来ることはしておきたい。
後悔したくないから。
気休めに過ぎなくったって・・・
自己免疫力を上げていたいし、何かの間違いであったとしても少しでも進行を抑えることはできない、と言い切ることが出来ないのであれば、岩盤浴に通う。
風邪を引かないようにサプリメントも飲む。
しくじって骨折したりしないように、満員電車は避ける。
少しでも、いい状態で働けるように昼寝をする。
早く寝る。
鍼に通う。
念じる。。。
無理はしない。
無理をしたくない、というのは私のしたいこと。
無理をしていない、という実感があることが私の安心。
だから、出来ないことはないかもしれないけど・・・って思うならやめた方が良い。
先日、今までは暗黙の了解で免除されていた急患室勤務の当番を来月辺りから、して欲しい、と看護師長に言われた。
青天の霹靂。
私はもう、病人相手に実務をするという想定をしていなかった。
当然、スカスカの骨を酷使することはないと思っていた。
満員電車に乗るな、といわれた時点で、患者さんを移動する必要がある業務をするという想定をしなくなっていた。
しかし、当然の任務であり、義務であるという口調で言われた私は、
なんて自分は甘い考えでいたのだろう、と反省した。
やるべきこと、出来ることをなぜ自らしなかったのか、と自分自身を恥じた。
自分の気持ちだけの問題で逃げていた、
何でこんなに落ちぶれてしまったのだろう・・・と、自責の念に駆られていた。
だから、主治医に相談した時に、
検査とかしてみることにして、とりあえずは急患室勤務はもう少しやらないでおきましょうか、といわれた時、なんともいえない安心感に包まれていた。
なぜって?
やはり、私自身の単なる甘えではない、ということを根拠付けてくれたから。
もし、安易にOKが出されていたら、
私は、完全に自信喪失し、自らダメ人間、ダメナースのレッテルを貼って、悶々とし、わが人生発見の闇に呑まれるところだった。
ほんと、どれほど私は安心させられたことか。
そのことにより、さらに、私は一歩冷静に自己自身を見つめ、
それでもわが人生を問うている。
もちろん、主治医によって守られた自分自身によって、少し前を向いた形で。
話があちこち飛んでいるが、
とにかく、無理をしないでいる自分でいられることは今一番のやりたいこと、
というかありたい自分、なのかも知れない。
石橋を叩いて渡るわが人生。
私は、大丈夫、というものがないとなかなか先に進めない。
とにかく安心感がないと、チャレンジできない。
とても臆病な生き物だ。
だから、今の私、これでいいか、って思うことがかなり重要。
でも、世の中に絶対、っていうのってないから、
ある程度のところで納得することも大事。
そうだな、諦めがつくっていうのが良いかな。
つまり、後悔しないっていうことか。
じゃあ、諦めがつかないことは何?
やっぱり、一度は誰かと真正面から向き合って、
生活をともにしてみたい。
一度は結婚しないと。
これだけは、諦めきれない。
さゆりさんに逢いたいです
移植とかしたんですか?
コメントに気付くのが遅くなりました。