先日、同じ病院で闘病経験のあるKさんから、相談したいことがある、というメールをいただきました。
たまたまその翌日、検査のために病院に来るので、帰りに寄らせていただけないかというのです。
翌日、Kさんが職場に顔を出しました。
相談の内容は、こういうものでした。
Kさんの知人のSさんが、最近多発性骨髄腫と診断された。
Sさんは40代前半の男性で、商社マン。
診断された病院では、移植が必要だが移植をしても治らないと言われた。
国立国際医療センターにセカンドオピニオンを取りに行く予定だが、
非常に珍しい病気で、症例数も少ないと言われていて、
これから先のことが不安でたまらない、
情報がほしいが、何が書かれているのかが怖くて、インターネットなどで調べるのも怖い、という。
5年前、自分が告知されたころのことを思い出していた。
告知された日は、乗り慣れている電車を乗り間違えたり、
それ以降、自分がどうやって家に帰ったのか、全く思いだせなかった。
家族にどう話せばいいか、自分の体がどうなってしまうのか、
このまま、崖から転がり落ちるように、
すくいとった水が、手の隙間からこぼれおちるように、
壊れていってしまうような怖さで、眠ってしまうことさえ怖くて、
泣き続けていた日々。
Sさんのことを思うと、いたたまれない気持ちになった。
入院のこと、治療のこと、仕事のこと、家族のこと。。。
すべてがうじうじとネガティブな方向に向かって行った時のこと。
Kさんが、Sさんに私のことを話すと、興味を持ったという。
Sさんが希望する場合、話をしたりすることは可能だろうか、というのが相談の内容だった。
確かに、私も自分の気持ちの変化や体調の変化に合わせて少しずつ、情報を得たり、仲間を増やしたりしていった。
私なんて別に何もできやしない、とも思うが、
少なくとも9回の入退院で経験したことや、得られた情報や人脈はあるはず。
そうであれば、何か力になることはあるかもしれない。
骨髄腫患者の会というのがあること、
多発性骨髄腫ハンドブックというのがあること、
治療中はどんな感じ?というのであれば、このブログをさかのぼっていけば、少しは参考になることもあるはず。
でも、それをもう少し、何とか分かりやすくしたいものだけど、
ホームページとかにするには、今までの記録がもったいない感じだし、
その時感じた想いって、やっぱりその時が一番で、今となっては思い出せない感覚もある。
でも、診断後間もない患者さんが、藁にもすがる思いでたまたまこのブログにたどり着くことだってあるかもしれない。
だから、なんかただ、だらだらと愚痴こぼしているだけのようなブログじゃ、
ダメな気がしてくる。。。
ひょっとしたら、Sさんも、このブログにも目を通しているかもしれない。
MMの会のMLが閉鎖されている今、
患者さんの闘病にまつわる問題や疑問や愚痴や励ましあいの場が、
うまい具合にないのが現実。
少なくとも今、あなたにできることは、このブログをうまく使ってほしいということ。
毎日200名以上の、おそらくその多くが患者さんだったり、家族だったり、病気である私のことを気にかけていてくれる人たちが、記事のコメントにも目を向けてくれています。
だから、遠慮なくコメントしてほしいのです。
もちろん、記事の内容に合わなくたって大丈夫。
それに対して、私以外の方がコメントしてくれるかもしれません。
いま、私にできることがこれくらいしかないから。
なんだか、私もうまく表現できないけど、
あなたを支えてくれる人は、たくさんたくさんいるから。
あきらめないで。
ね。
たまたまその翌日、検査のために病院に来るので、帰りに寄らせていただけないかというのです。
翌日、Kさんが職場に顔を出しました。
相談の内容は、こういうものでした。
Kさんの知人のSさんが、最近多発性骨髄腫と診断された。
Sさんは40代前半の男性で、商社マン。
診断された病院では、移植が必要だが移植をしても治らないと言われた。
国立国際医療センターにセカンドオピニオンを取りに行く予定だが、
非常に珍しい病気で、症例数も少ないと言われていて、
これから先のことが不安でたまらない、
情報がほしいが、何が書かれているのかが怖くて、インターネットなどで調べるのも怖い、という。
5年前、自分が告知されたころのことを思い出していた。
告知された日は、乗り慣れている電車を乗り間違えたり、
それ以降、自分がどうやって家に帰ったのか、全く思いだせなかった。
家族にどう話せばいいか、自分の体がどうなってしまうのか、
このまま、崖から転がり落ちるように、
すくいとった水が、手の隙間からこぼれおちるように、
壊れていってしまうような怖さで、眠ってしまうことさえ怖くて、
泣き続けていた日々。
Sさんのことを思うと、いたたまれない気持ちになった。
入院のこと、治療のこと、仕事のこと、家族のこと。。。
すべてがうじうじとネガティブな方向に向かって行った時のこと。
Kさんが、Sさんに私のことを話すと、興味を持ったという。
Sさんが希望する場合、話をしたりすることは可能だろうか、というのが相談の内容だった。
確かに、私も自分の気持ちの変化や体調の変化に合わせて少しずつ、情報を得たり、仲間を増やしたりしていった。
私なんて別に何もできやしない、とも思うが、
少なくとも9回の入退院で経験したことや、得られた情報や人脈はあるはず。
そうであれば、何か力になることはあるかもしれない。
骨髄腫患者の会というのがあること、
多発性骨髄腫ハンドブックというのがあること、
治療中はどんな感じ?というのであれば、このブログをさかのぼっていけば、少しは参考になることもあるはず。
でも、それをもう少し、何とか分かりやすくしたいものだけど、
ホームページとかにするには、今までの記録がもったいない感じだし、
その時感じた想いって、やっぱりその時が一番で、今となっては思い出せない感覚もある。
でも、診断後間もない患者さんが、藁にもすがる思いでたまたまこのブログにたどり着くことだってあるかもしれない。
だから、なんかただ、だらだらと愚痴こぼしているだけのようなブログじゃ、
ダメな気がしてくる。。。
ひょっとしたら、Sさんも、このブログにも目を通しているかもしれない。
MMの会のMLが閉鎖されている今、
患者さんの闘病にまつわる問題や疑問や愚痴や励ましあいの場が、
うまい具合にないのが現実。
少なくとも今、あなたにできることは、このブログをうまく使ってほしいということ。
毎日200名以上の、おそらくその多くが患者さんだったり、家族だったり、病気である私のことを気にかけていてくれる人たちが、記事のコメントにも目を向けてくれています。
だから、遠慮なくコメントしてほしいのです。
もちろん、記事の内容に合わなくたって大丈夫。
それに対して、私以外の方がコメントしてくれるかもしれません。
いま、私にできることがこれくらいしかないから。
なんだか、私もうまく表現できないけど、
あなたを支えてくれる人は、たくさんたくさんいるから。
あきらめないで。
ね。
たまたま、拝見しました。
45歳銀行員、Sさんとおかれた状態が似ているかもしれませんね。
お話しするの、かまいませんよ。
もし、よろしければ、以下にメール下さい。
メールアドレス
dnakao@kpd.biglobe.ne.jp
か
患者会代表アドレス
owner-imfjapan@myeloma.gr.jp
に
さゆりさん、グチも大切ですよ。あなたのグチに共感してる人も多いのではないかな~(僕はとっても正直でいいなぁって思ってます)。
診断された直後はなかなか情報を見るのもいやですよね。私も治療開始までの半年は見ないようにしました。でも、治療するからには病気を理解しようと思いました。Sさんもそういった思いが伝わればいいな!特に最近は「移植をしても治らない」は解釈が変ってきていると思いますしね。
ぼくも前述の中雄さん経由でも患者の会経由でも連絡くだされば経験談くらいしますよ。
見えない「明日」を推しはかる術として、皆さんのBLOGから"元気"と"勇気"を頂いてました。
「骨髄腫患者の会」MLの存在意義は大きかったですね!!
新たな開設が待たれるところです。
By.5050santa
今日は寝れそうです。またよろしく御願いします。本当にありがとうごさました。感謝です♪
今日は大学病院で胃カメラですがもうフラフラです。どうしたら前をみて生きていけますか。私は貧血がないのですが軽いのでしょうか・・でも癌は癌。一体どうしたらいいのでしょうか
ごめんなさい、こんなことばかりでも悲しいです
コメントありがとうございます。
私も、全てがネガティブで涙ばかりの時があります。最近でこそ減ったものの、精神的な波は常にあります。
でも、何度もどん底気分を味わっているうちに、分かるようになったことがあります。
明けない夜はない
ということ。
必ず、何とかやっていけると思うときが来るのです。
だから、いつかは明るい日が射してくると思いながら、今は、どっぷりと悲壮感に満ちていたらいいのです。
泣き続けたらいいのです。
今は、生きていることの喜びを実感するための準備なのです。
悲しみがあるからこそ、本当の喜びを実感できるのです。
とっても大切な時を過ごしていると思って、大事にしてください。
私は、そんなふうに思います。
何がどう辛いのか、表現してください。
誰かに聞いてもらったり、こうやって文章にして表現してください。
だから、今回コメントして下さったこと、本当に嬉しく思います。
また、遊びに来てください。
いろいろお話ししてくださいね。