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旅日記

(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−28(石見の四王寺−2)

8.2. 邑智郡誌に見る「石見四王寺」


島根縣史第五編「国司政治時代」にも石見四王寺についての記載もあるが、内容が似かよっているので、ここでは邑智郡誌から四王寺について述べていく。


邑智郡誌の「史的伝承」の項に「石見四王寺 川戸村大字小田北野山林」がある。
この項を次に書き写す。

<前置きで、四王寺の説明をしている>

清和天皇貞觀九年伯耆、 出雲 隠岐 石見、長門の五國に命じ、外寇調伏の爲め四王寺を建立せしめらる。 
新羅の 跋扈するを以ってなり。 當時は其一にして地勢来寇を瞰下するを得べし。 口碑に千手観音は本郡川下村甘南備寺(古刹) の本尊なりしが、前面江川を上下する河船を覆せしむる事数々なるより、取りて後堂に藏すと傳ふ。

<口碑(言い伝え)の内容の説明>

今は寺跡を存せずと雖も全山を跋渉すれば七堂伽藍の跡あり。隆盛の蹟想像すべて山麓に小堂あり。 千手観音立像の古佛多聞天不動明王の像あり。
松原氏屋敷を四王地といふ。
谷に杉松の間を上れば兩側に階段を介し数ヶ所の平地を存す。 昔時堂塔のありし跡なり。之を上ること五町、北野に呼ぶ平地に天満宮を祀る小祠あり。 左側に小堂あり、内に多聞天虚空藏を安んず。 
共の後方に鐘堂の跡あり。 更に上る事二丁にして絶頂に平地、近傍には古墳疊々として青苔滑かなり。
 江川を上下する河舟を転覆せしむること数々なるより後堂に蔵せしが、 四王寺本尊を失ひしを以って譲り受けたりと。

<この伝説についての考察>

此の傳説の正否は兎に角四王寺の本尊としては合致せざれば、或は此の傳説の如くならんか。像は往年拙劣なる粉飾を施せしを以って俗悪観るに堪へず。
此の堂側より谷に沿ひ背後の丘上に上れば、両側に数ヶ所の平地を有す。これ昔堂塔建立の遺址なり。更に上ること五町にして北野と稱する平地に達す。 此に天満宮を祀る小祠あり、之れ天神山なる名稱の出自なり。此の平地に一小堂ありて、内に多聞天虚空藏の二佛像を安置す。 
北野社平地の背部に高所あり、鐘撞堂といふ。
更に登ること三町許にして絶頂に達し、約十五坪ばかりの地を存す。 其の昔堂守などありしものなるべくして、所謂賊境瞼瞰し、賊心を調伏せし道場の趾にや。 
四王寺の本尊は四天王畫像と仁王像とを正規とすれば、當寺に存する多聞天不動明王は共の遺物と認むべきか。 
寺地は八戸川に臨み高敞なれども、海を距ること凡そ四里石見國分寺及國府を距ること七里許なれば、當寺四王寺と關係深き國分寺及國府は餘りに遠距離にして不便多かりしを察すべし。故に以上の四王寺趾は石見四王寺の代用寺なるか、或は本来四王寺廃減して或は事情の下に此地に遺物を移したるかは明ならず。
而して石見四王寺の退転は延喜以前にありしものならん。 何となれば延喜主税式は石見四王寺料を載せざればなり。 

 

8.3. 桜江町教育委員会の報告

平成3年(1991年)に当時の桜江町教育委員会が「桜江町遺跡詳細分布調査報告書」を発行した。
この中に、石見四王寺跡地と伝えられる地域の試掘調査報告も載っている。
報告書では、

中世期末の古墓群と近世末の神社跡を確認するにとどまり、四王寺に関係するような遺構、遺物とも発見できなかった。

とある。

この地は後に神社や墓地として使用されているので、や遺物が見つからなかったからといって、四王寺跡地であることを、必ずしも否定するものではないと思う。

 

8.4. 四王寺の場所

石見以外の四王寺がどこにあったか、調べてみた。

・伯耆の四王寺は現在の倉吉市にあり、地図で見ると海岸から5Km離れた四王寺山の中腹にあった。

・出雲の四王寺は現在の松江市山代町にあったが、ここからは日本海は見えない。

・長門の四王寺は現在の下関市の四王司山にあった。ここからは、瀬戸内海が見下ろせそうである。

・隠岐の四王寺は隠岐の島町にあったそうであるが、場所は特定されていない。

このうち、伯耆、出雲、長門の四王寺跡については、伝えられていた場所での発掘調査により、その当時の陶磁器などが見つかっており、四王寺建立当初のものであるという可能性が高いとされている。

 

これらの四王子が海岸沿いに創建されたのかと思ったら、そうではなかった。

とすれば、桜江町誌に書かれているように、石見の四王寺が沿岸から15Km入った川戸地域にあったことも、否定できない。
ただし、これらの四王寺の近く(遠くても4Km )に国分寺や国府があるが、石見の四王寺と下府の国府とは、直線距離でも20Km離れているので、次の邑智郡誌に書かれているように、この寺は代用寺か、その類であったのかもしれない。

 

次の写真は四王寺跡があるとされている山を北側(八戸川と江の川との合流地点付近)から写したもの。

跡地は写真の中央付近にあったとされている。手前の川が八戸川。

 

<続く>

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