9. 立岩伝説
9.1. 立岩の神変大菩薩石像
甘南備寺から国道261号線を東(因原方面)に約500m進むと、左側に小さなお堂がある。
かなり、小さいので注意しないと、通り過ぎてしまう。
このお堂の後ろに、立岩と呼ばれる大きな岩がそびえている。
この岩の地上40mぐらいのところに、像高1.4mの石像が安置されている。
この石像は役小角(えんのおずぬ)の尊像で、江津市指定文化財である。
勿論、岩を登ってこの石像を見ることはできないが、この像を模造した石像がこのお堂に祀られている。
役小角は飛鳥時代の修験者で、山伏の開祖と伝えられ、寛政11年(1799年)に光格天皇から「神変大菩薩」の諡号を贈られた。
次の写真は、対岸から写した立岩(黄色枠)。中央付近(赤丸内)に役小角の石像が安置されている。
下は国道261号線が通っており、その傍らにお堂(赤色四角枠内)。
9.1.1. 甘南備寺の法要
役小角の石像をここに祀るようになったのはいつ頃か定かではないが、誰いうとなく立岩の行者さんと呼ばれ古から親しみ敬われてきた。
そして、山間僻地のこの地で江の川が唯一の交通路であったころ、旅する舟子達の交通安全の守護仏として広く信仰を集め、50年毎に供養の大法要を行う習わしも甘南備寺の行事として絶えることなく伝えられていた。
<昭和44年の法要>
昭和48年5月国道261号の工事中に協力を得て、土木機械にて岩上に登り写真を撮り、初めて役小角の石像は一般人の目をあびることになった。
しかし、人を寄せつけぬこの岩上に昔の人はどのようにして御祀りしたものか、現代に至るまで全く謎となっている。
甘南備寺では、この国道261号線の開通を記念し、昭和51年から毎年7月に法要を営むことに決めた。この法要は今も続いている。
9.2. 川越教育研究誌
桜江町誌(昭和48年5月31日発行)及び川越教育研究誌では、この像を安置したのは理源大師であるとしている。
川越教育研究誌の内容を次に記す。
甘南備寺に詣で更に旧址に杖を沸曳くものは途中で必ず行者地蔵を拝するのである。
江川の水辺からスックと削立する六十丈の大岩壁には中央にあたりて広さ二坪の一段があ る。
ここに高さ四尺の地蔵尊を祀る。 この岩が立岩で、尊体は役行者(神変大菩薩) である。
今を去る一千年の昔修験道の鼻祖、理源大師により安置せられこの方、霊験殊にあらたかに、その慈眼をもって川面を照らし、眼の届く限り水難者を出さず、と伝えられ 水夫、は勿論旅人や商人の尊信が厚い。
岩壁には枝面白い松柏生い、春の躑躅、 秋の緋蔦は巌を裏み、川に浮び岩下の波静かに入日の影を浮する頃は、数尺の大鯉の躍るを見る。
時に少供養、五十年に大供養がある。
昔は河を横切り船橋をかけ、 その上に高さ三十丈の櫓を組み、錦衣の僧は岩上に列び、四方の人は河原に堵をなして拝観した。
大正十二年に尊体が倒れたのを危険をおかして登攀して修理した馬木庄太なるもの記念のため朱書きしたのは惜しい。(川越教育研究誌より)
石像の後ろの岩が赤く染まっているのは、川越教育研究誌に書かれているように、大正12年9月に倒れた石像を元に戻した時に、遠くから良くみえるようにと染めたものである。
<続く>