昨日の参政党音声メルマガで、お金に関するちょっと良い話を聞いたので備忘録💕
お話を聞いての私の感想ですので、土藏利生さんのお話とはニュアンスが異なるかもしれませんが、その点はお許しを
面白いな…と思ったのは、
昔の日本人のお金の考え方が、今とは大きく異なっていたこと。
紙幣ができた頃から、変わってきたのでしょうね…
今は お金といえば、一番大事な物と答える人が多いかと思いますが…食糧が十分でなかった頃は、お金よりもお米の方が大事だったのでしょう
お金が庶民に浸透してきた頃紙幣はなかった。品物の対価としてお金は便利な道具ではあったけれど、物理的に人から人へ渡るお金(銭)は、不浄のもの。
心理的にも、お金には売る側のもっと高く売りたいという欲ともっと安く買いたいという買う側の欲が含まれる。
欲は邪気。お金は邪気を含む穢れたもの。
と土藏利生さんはおっしゃっていた
成る程❗
邪気や穢れは災いを呼び込む
多くのお金を持つ者は、多くの災いを呼び込み易いから浄財として祓うのか❗
祓うは払うに通じているのだと知った
日本語って面白い✨
何にでも交換できるお金に執着すると、人間の欲は果てしなく広がる
欲は争いの元
災いを呼び込むお金を穢れと戒めた昔の日本人の知恵に感心しました✨
そう言えば、子供の頃「お金は汚い」「お金を触ったら手を洗え」とよく言われていました。今はそんな事言う人いないですよね…
お金を不浄のものと捉えていたから、人にお金を贈る事を良しとしなかったのでしょう。(今はお金が一番喜ばれる😅)
やむを得ず贈る時は、金包などで包み、切手盆に乗せ丁重に扱っていたのだと納得しました。
金銭をそのまま手渡す(裸銭)ことは失礼なことと考えていた昔の日本人。
お金=不浄
穢を祓うための浄財
だから、賽銭ではお願いできても、浄財ではお願い事はできない。納得✨
土藏利生さんは、「初穂料」「賽銭」「浄財」のテーマでお話してくださいました。
昔の日本人のお金の考え方を、今の日本人が学べばもっと幸せに暮らせるのではないか?と思いました。
『今だけ金だけ自分だけ』は不幸の始まり
最後に土藏さんは、「昔の日本人はお金をとても大切にしていた。なんでも追いかければ逃げるのが通説。大儲けはできなくても、お金に感謝し大事にすれば、お金に好かれて困ることはない」と仰ってました
なるほどなぁ…😊
足るを知るということか✨
賽銭箱と浄財箱の違い👇
【神社にある賽銭箱】
賽銭とは、神社において祈願成就のお礼として奉げる金銭のこと。 神社に参拝するときに日頃の感謝や、祈願をしながら奉げる金銭のことも言う。 神社の本殿などに賽銭箱が用意されており、ここに小銭などを投じることで神様にお供えすることができる。 賽銭は供物のひとつであり、神社に対する寄付とは役割が異なる物である。古くはお米が一般的であった。お供えする金額に決まりはなく、お供えをする人の気持ちを反映した金額で良いとされる。そのため、「ご縁」を願う語呂合わせで5円玉を賽銭する人もいる。
👇こちらには、なりたちも書いています
【お寺にある浄財箱】
浄財とは
寺院・慈善などのため(個人の利益を離れて)寄付する金銭。
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