木彫り倶楽部 more

本来は、木彫り教室のブログでしたが。。。還暦を迎え自然農にはまり、自然からの恵みや日々の気づきを気ままに綴っております。

白と黒

2021年06月04日 | つぶやき
膠原病になるまでの私は
かなり尖っていたと思う

若気の至りと言えばそれまでだけど…

正義は一つ
善か悪か
白でなければ黒と決めつけていた

常に原因究明という名目で
自分の中も含め犯人探しをする

自分にも他人にも厳しい人間だった

でも、当時は正しくあるために必要な事だと思い込んでいた

かなり極端な思考の持ち主だったと思う

そのくせ、好い人を演じるから始末が悪い
そのストレスは半端ない

病気になって当然だったと思う

心配という外的要因や、環境の変化などが重なり、体が悲鳴をあげた

病気になって
初めて自分を労るようになった

できるだけしかできないのなら
できることだけ一生懸命やればいい

もう好い人を演じなくてもいい

結果は全てが整った時に出る

無理をしても
いい結果にはならないと知った

できない 嫌だ と
言ってもいいんだと思ったら
肩の力が抜けた

病気になって、ネバナラヌから解放された
ありがたい

自分の
弱いところも
格好悪いところも
嫌いなところも

全部ひっくるめて
私なんだと思えるようになったら

不思議と人が許せるようになった
その筆頭は母

母との大バトルのおかげで、わだかまりが溶け始めたのかもしれない

病気にならなければ
あの大バトルの時間もなかった

尖っていた頃の私も
今の私も同じ私
自分で言うのも変だけど…愛しい(笑)

今でも、極端に考える思考の癖は残ってはいるけれど
少しはグレーのグラデーションを楽しみ、理解できるようになってきたと思う

人も人生も物事も

複雑と思えば複雑に 
単純と思えば単純に

苦しいと思えば苦しく 
楽しいと思えば楽しい

全ては感じ方ひとつ
自分の心が決めていること

この世に無駄や
無意味なことなど何一つない
受け取り方次第

そう思うと有難いと思う
全てのものに感謝したい

コロナや嫌っているワクチンだって
得体のしれない蜥蜴もその犠牲も…
きっと何かの為に必要なこと
今人類は試されているように思う

受け入れながら見守りたい
未来は必ず良くなると信じて

明日がいい日でありますように✨








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2 コメント

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unknown (遅生)
2021-06-04 05:41:40
「艱難辛苦人を玉にす」
似てるかもしれない。
でも、先の先です。
なんせ、生きるのが遅い、おまけに不器用。
その間にも、おかまいなく艱難辛苦の嵐😖
返信する
Unknown (kibori-more)
2021-06-04 07:22:24
遅生さま
いつもありがとうございます🍀
「艱難辛苦人を玉にす」ですか…なるほど❗

生きるのが遅い…あれ?遅生さまのお名前ってここから来てますか?
深いなぁ✨さすが遅生さま❗

人は皆、磨いて磨いて玉(御霊)になってあの世へ逝くのかもしれないですね😊
まだまだ磨き足りない私です(笑)

ゆっくりでいいじゃないですか
不器用だからこそ、見える景色もあると思いますもの
艱難辛苦も歓喜快楽も生きていればこそ
命って不思議ですね
返信する

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