中島町が松山市になった。
温泉郡という名前はどこかに行ったのだろう
皆さん〇温印のミカンは 温泉郡のトレードマークでした。
ご存じのとおり、温泉郡は松山市を取り囲むようにありました。旧道後も 温泉郡道後村です。
さみしいですね。
ところで、1980年ごろまで、中島町営汽船はフェリーの中の売店には「進和コーヒー」のうまい本物を売っていた。
これに乗って大浦に行ったものだ。別に高速船というのもあった。
中島には吉木に福島さんという初めてネーブルを育てたお方がいて、当時の私の会社日興繊維の顧客でした。
また、大浦には池田さんという顧客がいて、月に一度中島を訪問していました。
吉木から峠を超えて大浦に徒歩で向かう、後ろから農協の軽トラが来る、おにーちゃんどこ行くの?
大浦です、それじゃあ乗せてあげるけん、あしも行くところじゃ(古い松山では一人称 あし)
途中で、「ここ見るけん、座っとき」と農協の親切な人はミカン畑に入った、帰ってくるとミカンを手にしている
「あしは、味見をする役もあるけん、あんたも食べて意見を言うたらええ」
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1970年代のお話です
その絶品のうまさは今では願うべきもない。
今日民間になった中島汽船に電話した。
現在フェリーの売店ではコーヒーは何を売ってますか?
バリスタです
そうか、中島 怒和から出て、一代で四国を制圧した進和コーヒーは、忘れられたか。
陸軍士官で生きて帰ったその人も忘れられたか。
当時の中島の人たちは、それを誇りに思いせっせと飲んだに違いない。
忽那水軍のきずなは強かったのですが・・・・・
電話のねーちゃんは めんどう、という態度だった。
無理もない 中島の思いは民営化にはかなわない。
ポンポン船が懐かしいこの頃です。
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