真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

中島町営汽船

2019年08月20日 | 転換点

中島町が松山市になった。

温泉郡という名前はどこかに行ったのだろう

 

皆さん〇温印のミカンは 温泉郡のトレードマークでした。

ご存じのとおり、温泉郡は松山市を取り囲むようにありました。旧道後も 温泉郡道後村です。

さみしいですね。

ところで、1980年ごろまで、中島町営汽船はフェリーの中の売店には「進和コーヒー」のうまい本物を売っていた。

 

 

これに乗って大浦に行ったものだ。別に高速船というのもあった。

中島には吉木に福島さんという初めてネーブルを育てたお方がいて、当時の私の会社日興繊維の顧客でした。

また、大浦には池田さんという顧客がいて、月に一度中島を訪問していました。

吉木から峠を超えて大浦に徒歩で向かう、後ろから農協の軽トラが来る、おにーちゃんどこ行くの?

大浦です、それじゃあ乗せてあげるけん、あしも行くところじゃ(古い松山では一人称 あし)

途中で、「ここ見るけん、座っとき」と農協の親切な人はミカン畑に入った、帰ってくるとミカンを手にしている

「あしは、味見をする役もあるけん、あんたも食べて意見を言うたらええ」

1970年代のお話です

 

その絶品のうまさは今では願うべきもない。

 

 

 

今日民間になった中島汽船に電話した。

 

 

現在フェリーの売店ではコーヒーは何を売ってますか?

バリスタです

 

そうか、中島 怒和から出て、一代で四国を制圧した進和コーヒーは、忘れられたか。

陸軍士官で生きて帰ったその人も忘れられたか。

当時の中島の人たちは、それを誇りに思いせっせと飲んだに違いない。

 忽那水軍のきずなは強かったのですが・・・・・

 

電話のねーちゃんは めんどう、という態度だった。

無理もない 中島の思いは民営化にはかなわない。

 

ポンポン船が懐かしいこの頃です。


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