真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

狂気ありて   再掲正統とは何か。

2019年07月08日 | 安全な食品

正統とはなにか」ギルバート・チェスタトン 
2016.01.14. 
ギルバート・ケイス・チェスタトン(1874-1936)は正統とは何かのなかでこう述べた。

「伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、我らが祖先に投票権を与えることを意味するのである」

私は以下のように考える
どのような場面に於いても先人と共にあり、自分こそ先人が築き、伝承してきた「文化」の最後尾に位置するという自負を持つ、そして先人の魂と同化して少しも油断せず端然としていること。
いまの「現場」には幾多の先人も投票権を保持して参加しているという謙譲を態度として持つこと。
大義とは何かを問い詰めながら、有効無効の隔てを乗り越えて、純粋に「正しいもの」を顕わそうとし、断固として動かないものをうちに秘め、流されて行く世相と関係なく、その中心に静かに端座すること。

註 中心とは点ではなく時空を垂直に貫く縦軸に他ならない



**************

昨夜はダーリンが録画していた「立川談志」のドキュメンタリーを視聴した。
芸道に飽くなき熱情を持つ、師匠は「人間を肯定した」落語をやりたいと念願して生涯をかける。
「大衆には落語は分からない」ことに落胆しつつ、それでも挑戦を続ける。

「ハナシを覚えて、(お金を貰って)やれるようになり、それで満足なら他の処(他の一門)に行け」と弟子にも厳しい。
真打ちにはオリジナリティーを要求する、そのオリジナリティーとは他ならぬ人間の深さであろうと思った。

中身のない落語は「笑わし屋」と軽蔑していた。

 




図譜にも同様の記述があるから紹介しておこう。

「私は常に思ふ-吾々の武道修養上肝要な心構へはー師の教へを守って、動かぬ心が最も大切なことであるが更に一歩を進めて、師に忠実ならんとする為には、師の教への枠内に安住することなく-師の教へを基として、是を乗り越へて-自己みずからの魂を表現する-みずからの心技(自分のモノ)を創造することが肝要と心得る」

「和は道の真諦」 河野百錬 (S42.元日記)


いわゆる守破離の段階を踏み、6段ともなれば破の階梯に到達するのが師匠孝行というモノだ。
師のコピーでは情けない。

伝統の中からこそ新しい価値が芽生えてくるだろう。それがモノマネではない正統のシルシだ。
先人とシンクロする、その先に一歩を進める気概を持とう。

そういった、基道館の気風にプライドを持っていただきたい。
群盲象を撫でる如き世相に生きていて、目先の損得に左右されずやって行くのは至難のことだが、本物のプライドというものは、自分を超えたものの価値を認めて、その原則に従って生きているという誇りなのだ。
それが備わったとき、自然と気品や品格が人間に出てくる。

私を越える者たちがぞろぞろいるんだな~・・・・・・(笑)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿