~~必須~~
私がバイクの免許を取ったのは、、免許証によると
昭和61年
原付だけど。
見事に、昭和のライダーというわけだ。
昭和61年、つまり西暦1986年
この年は、人生にとって大きな転換であった
それまで居住していた実家を離れ、単身、下宿生活を始めたのだ。
その下宿は、県境の山々のふもとにあった。
(大阪府と奈良県)
学校は、山を下った先
それまでの移動手段だった、自転車(シティレーサー)では
山の傾斜がキツく、早々にギブアップ
しかし、公共交通=バスは、、朝晩しかなく通学には不向き
それで、当時としては珍しかった、マウンテンバイクを購入したのだが、
(未だに乗っている)
毎日の往復や買い物の足として、人力は苦痛で、
原動機付き自転車へステップアップ
当時は住民票を移していなかったので、帰省時に、府中試験場に通い
原付免許取得
晴れて、ライダー生活開始
今に至る
その後、1988年に中型自動二輪、今は普通自動二輪だっけ
400ccまで乗れる免許を取得
今に至る
大阪の田舎は、走るところには困らず、
日夜、走り回っていた。
そんなときの服装は、、、
夏なら
ジーンズとTシャツ
ちょっとお金が溜まったら
革パンとTシャツ
もちろんヘルメットにグローブ、ライディングブーツではあるが、上半身下半身は、歩く服装となんら変わらず、気楽なものだった。
大学卒業して、東京に戻って来てからも、都心を横断する通勤でバイクに乗るときも、そんな服装。
奥多摩に行くときもなんら変わらず、気軽なものだった。
今よりはるかに、過激な走行。よくもあんなバカな走りで事故らなかったと、思い出すと恐ろしい
自転車乗るときとほとんど変わらない気軽気楽さ
ヘルメット被るくらいの気軽さ
渋谷行っても、バイクなんてどこでも止め放題だったし、、
気軽な乗り物だったのだ、バイクは
しかしだ。
10年ほどのブランクを経て、復帰した今は、、
見た目は、Tシャツではなく長袖になっただけに見えるが、その下には、
こんなの着ている。
背面は、
こんな甲羅付き
下半身は
こんなの履いてる。
昭和にはなかった、プロテクターである。
令和には、これらは種類豊富で、意外に低価格なので、フル装備しているのだ。
経験を積んだことで予測運転ができるようになったが、体力も落ちているので、できる限りの防衛策は施しておきたいのだ。
つまり、なにが言いたいかというと、、バイクはもはや、気軽な乗り物ではなくなったのか!?
ということだ。
ちょっとコンビニ行くのに、ヘルメットだけ被って、出発~
とか、
革パン+Tシャツこそ夏のライダー
なんて文化習慣は無くなったのか!?
あ、もちろん、未だ、プロテクターしてない人もいる。
でも、
バイクに限らないけど、いくら気つけても不可抗力で怪我する場合がある。そこまで見越しての装備。
怪我すると、医療を圧迫するし
プロテクターしてれば軽く済むだろうし、痛いの避けたい。
昭和は、そもそもプロテクターなんてものがなくて、選びようがなかったけど、令和は違う。
てなわけで、乗るときはガッツリ着る。
ま、今は、通勤にも買い物にもバイク乗る必要なく、奥多摩行くときだけだから、いいけど。
今乗ってるバイクは、その大阪時代からのもので、走り出すにも色々な手順が必要で、走り出しても色々手のかかる構造特性なので、気軽とか手軽とは無縁
しかし、
2nd.バイクを考えると、、
1st.は、手のかかるバイクで、製造後33年が経過し、部品もなくていつ壊れるかわからない、っていうか動いているのが不思議で、たまたま詳しいメカの方がいるから、乗れてる奇跡
なので、現代のバイクを手に入れたいと思う。
感覚的には、125ccとか小さいバイクで、脇道トコトコ走ってみたいと思うのだが、そんな小さいバイクでも、、、
つまり、
こんなバイクでも
こんなバイクでも
これだ。
ううむ。
まあ、服装は何乗っても同じなんだから、それデフォルトで考えないとして、現代のバイクってだけでもかなり、気楽気軽ではある。
壊れる心配ないし、エンジン始動が手軽だし、、
今は、、乗るとき、家の前ではエンジンかけられない。
吸排気ノーマルだけど、当時の規制だから、現代だと騒音も環境もNG
異質な音がするし、温まらないと動けないから、、。
現代のバイクならば、
セルで簡単始動
インジェクションですぐに安定
音量も環境もクリーン
なんてお手軽なんだ!
ってことか。
ってことなんだな。
ああでも、今までツーリングってしたことほとんどないから、そういうのにあったバイクでもいいし、依然オフロードにも興味ある。ま、400cc以上のバイクに乗ることはない。それだけははっきりしてる。さてさて、、。なんか、これだ!っていうバイクがないのだよ
私がバイクの免許を取ったのは、、免許証によると
昭和61年
原付だけど。
見事に、昭和のライダーというわけだ。
昭和61年、つまり西暦1986年
この年は、人生にとって大きな転換であった
それまで居住していた実家を離れ、単身、下宿生活を始めたのだ。
その下宿は、県境の山々のふもとにあった。
(大阪府と奈良県)
学校は、山を下った先
それまでの移動手段だった、自転車(シティレーサー)では
山の傾斜がキツく、早々にギブアップ
しかし、公共交通=バスは、、朝晩しかなく通学には不向き
それで、当時としては珍しかった、マウンテンバイクを購入したのだが、
(未だに乗っている)
毎日の往復や買い物の足として、人力は苦痛で、
原動機付き自転車へステップアップ
当時は住民票を移していなかったので、帰省時に、府中試験場に通い
原付免許取得
晴れて、ライダー生活開始
今に至る
その後、1988年に中型自動二輪、今は普通自動二輪だっけ
400ccまで乗れる免許を取得
今に至る
大阪の田舎は、走るところには困らず、
日夜、走り回っていた。
そんなときの服装は、、、
夏なら
ジーンズとTシャツ
ちょっとお金が溜まったら
革パンとTシャツ
もちろんヘルメットにグローブ、ライディングブーツではあるが、上半身下半身は、歩く服装となんら変わらず、気楽なものだった。
大学卒業して、東京に戻って来てからも、都心を横断する通勤でバイクに乗るときも、そんな服装。
奥多摩に行くときもなんら変わらず、気軽なものだった。
今よりはるかに、過激な走行。よくもあんなバカな走りで事故らなかったと、思い出すと恐ろしい
自転車乗るときとほとんど変わらない気軽気楽さ
ヘルメット被るくらいの気軽さ
渋谷行っても、バイクなんてどこでも止め放題だったし、、
気軽な乗り物だったのだ、バイクは
しかしだ。
10年ほどのブランクを経て、復帰した今は、、
見た目は、Tシャツではなく長袖になっただけに見えるが、その下には、
こんなの着ている。
背面は、
こんな甲羅付き
下半身は
こんなの履いてる。
昭和にはなかった、プロテクターである。
令和には、これらは種類豊富で、意外に低価格なので、フル装備しているのだ。
経験を積んだことで予測運転ができるようになったが、体力も落ちているので、できる限りの防衛策は施しておきたいのだ。
つまり、なにが言いたいかというと、、バイクはもはや、気軽な乗り物ではなくなったのか!?
ということだ。
ちょっとコンビニ行くのに、ヘルメットだけ被って、出発~
とか、
革パン+Tシャツこそ夏のライダー
なんて文化習慣は無くなったのか!?
あ、もちろん、未だ、プロテクターしてない人もいる。
でも、
バイクに限らないけど、いくら気つけても不可抗力で怪我する場合がある。そこまで見越しての装備。
怪我すると、医療を圧迫するし
プロテクターしてれば軽く済むだろうし、痛いの避けたい。
昭和は、そもそもプロテクターなんてものがなくて、選びようがなかったけど、令和は違う。
てなわけで、乗るときはガッツリ着る。
ま、今は、通勤にも買い物にもバイク乗る必要なく、奥多摩行くときだけだから、いいけど。
今乗ってるバイクは、その大阪時代からのもので、走り出すにも色々な手順が必要で、走り出しても色々手のかかる構造特性なので、気軽とか手軽とは無縁
しかし、
2nd.バイクを考えると、、
1st.は、手のかかるバイクで、製造後33年が経過し、部品もなくていつ壊れるかわからない、っていうか動いているのが不思議で、たまたま詳しいメカの方がいるから、乗れてる奇跡
なので、現代のバイクを手に入れたいと思う。
感覚的には、125ccとか小さいバイクで、脇道トコトコ走ってみたいと思うのだが、そんな小さいバイクでも、、、
つまり、
こんなバイクでも
こんなバイクでも
これだ。
ううむ。
まあ、服装は何乗っても同じなんだから、それデフォルトで考えないとして、現代のバイクってだけでもかなり、気楽気軽ではある。
壊れる心配ないし、エンジン始動が手軽だし、、
今は、、乗るとき、家の前ではエンジンかけられない。
吸排気ノーマルだけど、当時の規制だから、現代だと騒音も環境もNG
異質な音がするし、温まらないと動けないから、、。
現代のバイクならば、
セルで簡単始動
インジェクションですぐに安定
音量も環境もクリーン
なんてお手軽なんだ!
ってことか。
ってことなんだな。
ああでも、今までツーリングってしたことほとんどないから、そういうのにあったバイクでもいいし、依然オフロードにも興味ある。ま、400cc以上のバイクに乗ることはない。それだけははっきりしてる。さてさて、、。なんか、これだ!っていうバイクがないのだよ
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