新聞に給食記念日という冊子が入っていた。
僕も小学校のときは給食だった。コッペパンと四角食パンが1日交代で
出されていた。私の時代は米の給食はなかった。
オカズはあまり覚えていないが今では考えられない「クジラ肉の竜田揚げ」
もあった。
宮古島における給食の移りかわりというのが書かれていた。
学校給食法が公布されたのが昭和29年、翌年の昭和30年、アメリカから
粉ミルクが支給され給食が始まる。
昭和31年〜昭和39年、アメリカから脱脂粉乳、小麦粉、チーズ等をもとに
各学校でミルク、パン、チーズなどが出され、オカズは自分の家から持って来る
補食給食が始まったそうだ。
そして昭和39年、宮古島で初めて平一校に調理場が完成して完全給食が始まる。
この当時宮古島の平一校は沖縄だけでなく日本一のマンモス校だったそうだ。
それから10年後の昭和49年、平良市立学校給食センターが開設されて、
宮古島におけるほとんどの学校が完全給食を実施したと書かれている。
漁師仲間で学校の給食の話題になると話しがかみ合わない。
宮古島の中だけでも給食がある学校と無い学校、給食の中身も大きく
変わっていたようだ。今はアレルギーなどのこともあり食べられないものは
食べなくてもいいそうだが、給食を残してはいけない、好き嫌いなんてもってのほか!
その点は一致している。
そんな時代だった。