宮古島の絶景スポットの東平安名崎周辺を散策すると、
実在した絶世の美女マムヤの悲恋話やパナリにあった女性だけの村や
その海底にあるといわれる御嶽の存在、そして龍宮伝説など
数多くの伝承や伝説と出会う。
標高50m〜60mの台地には14世紀〜15世紀頃かなり大きな集落があった。
中国の記録史によれば、1317年に中国の永嘉県に小舟が漂着し、
「我々は婆羅公に仕える密牙古人(みやこじんで、公益のため途中で嵐にあった。」
と語ったという記録が残されている。
婆羅は現在の東平安名崎のある保良で、密牙古は宮古と考えられている。
そのことから保良集落の人々は南方と交易し、この東平安名崎一帯が
海外貿易の拠点であったという可能性もあるそうだ。
伝わる伝承の一つに龍伝説がある。
その話しの始まりに、昔々、保良の村はとても豊かで幸せな暮らしをしていた・・・・
龍伝説だけでなく、その昔豊かに暮らしていたとはじまる話しが多いのも
この地域の特徴でもある。
宮古島が歴史に登場してくることになったのは韓国の船は漂着して、そのときの
漂流記が歴史に出てくる最初の文献だといわれている。
その漂流記の中に島の人たちはたくさんの鳥や豚、ヤギを飼っているが
驚くこと家畜として食べるためではなく生き物を飼っている。
という部分がある。おそらく豊かな暮らしをしていたのだろう。