現在は宮古島市となっているが元は「平良市」だった。
地名の場合は平良と書いて「ひらら」と読む。
平良市の港は「ひららこう」地元では「たいらこう」とも言う。
どちらでも正解であるが、同じ平良でも人名(性)になると「たいら」となる。
平良に住む平良さん(ひららに住むたいらさん)となるわけだ。
平良という苗字は宮古島に多い苗字で、沖縄県内で「平良」という苗字なら
おそらくその人は宮古島出身である。
平良という姓のルーツは「平家」だといわれている。
1184年、源氏との戦いに敗れた平家の血筋が宮古島に流れてきたという。
全国各地で語り継がれる「平家の落人伝説」のひとつがここ宮古島にもある。
宮古島狩俣に住む伊良部家では「平家由来」とされる古刀と古文書、
かんざしが 代々伝わっている。古刀は錆びて、古文書の文字も判別は難しいそう
だが かんざしには平家の「七曜紋」がはっきりとかたどられている。
伊良部さんの祖先は狩俣集落北東の海浜「ナービダ」と呼ばれるところに
流れ着いた言い伝えられている。 琉球王朝時代に首里に上が公船の指揮をとった
「ニーマヌシュウ」(根間の主)が 祖先にあたるとされる。
伊良部家の男性は代々「平」の字を使うことが決められているそうだ。
古刀、古文書、かんざしは家での保存が難しく、現在は博物館で保存されている。
また伊良部という姓もここ宮古島特有の姓でもある。
東平安名崎も沖縄読みなら辺名という文字が使われることが多いが、
平安という字が使われて いるのは平家と深いつながりがあるからだとか…
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