「この宮古島は、流人の島ですよ。」と
一緒に来島した人に教えていた。
こんな話を地元の人が聞けば、気を悪くする。
まるで自分の祖先は犯罪者だと言われているようなものだ。
琉球王朝時代、確かに島流しという刑罰があった。
宮古島の歴史の中に出てくる島流しの刑は、時代劇の
島流しの刑とは違う。親族の言うことを聞かない乱暴者や
問題児などを、親族が王府に訴えて島流しにする
というのが多かったそうだ。
宮古島に流刑になったタラの話。
糸満村に住むタラ(26歳)タラはある罪で渡名喜島へ3年の
島流しの刑に処せられる。
渡名喜島に向かう途中に滞在した渡嘉敷島の家の飯がまずいと
言う理由で船を盗んで脱走する。ひそかに糸満の母の元に
帰ったが、タラのあまりの放蕩ぶりに母が耐え切れず
島流しにしてくれと役所に訴え出て事が発覚、タラは
再び逮捕され、宮古島へと島流しにされた。
記録によるとタラは脱走の罪で宮古に流刑になったのではなく、
母からの訴えによる放蕩の罪で罰せられたとある。
このことから親族の訴えによる島流しの刑のほうが
他の刑より優先されていたことがうかがえる。
私は母の訴えによって宮古島にきたわけではなく、
あくまでも自分の意思でここに住んでいるのだ。
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