散歩がてら近くにある拝所や史跡をまわっている。
由来を知ることで島の歴史も見てとることができる。
そんな宮古の御嶽の中でも農業の神様として
祀られている「船立御嶽」がある。
昔、久米島の按司(アジ)に一人娘がいたが、
兄嫁が娘を邪魔に思い、按司を騙して娘を小舟に乗せて
追い出した。これを見かねた兄が小舟に泳ぎ乗り妹とともに
漂流した。翌朝、流れ着いたのが宮古島であった。
やがて妹は住屋里という人と夫婦になり、9人の子供を儲けた。
そして成人した子供たちは祖父に会いたいと、
母を連れて久米島に戻った。
按司は娘を追い出したことを後悔しており、
とてもよくしてくれたうえに、
黒金と巻物を持たせて宮古島に帰した。
兄はこれを元に鍛冶屋を起こし、農具を作った。
これによって農業が飛躍的に発達し豊かになった。
多くの人の飢えをしのぎ、安楽に暮らしていけるのは、
この兄妹のおかげだとして、二人の骨を船立山に納め、
御嶽として崇めたと由来記にある。
この船立堂では旧暦11月8日には鍛冶屋などが
集まり「フイゴ祭り」が今も行われている。