女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

こじき体験をして。

2014-12-05 20:23:13 | 日記
15年前ぐらいに、寒い年にホームレス体験を3ヶ月ぐらいしました。
ダンボールで寝てみたのです。意外と暖かいので驚くのと人の目の冷たさにやられましたね。
死んでもいいと思っていた時期なので、うちには帰りたくないのでこじきをしました。

一人家に帰ると、さびしくってどうにもならないときがあったので、こじきをして死んでしまったらいいと感じていました。寒さで死んだらいいと。しかし丈夫な体が災いしていきてしまったのです。あのときに凍死すべきだったのかもしれません。

いまでも段ポールは暖かいし、こじきの人々は暖かかったですね。
いろんなところに、食べ物をもらうところを教えてくれたり、うどんをおごってくれたり。
意外と、あの生活はたのしかったですね。

お風呂と洗濯は家出していたので、本当のこじきではないですが、外でねていました。
段ポールハウスはつくれなかったので、下に引いてふとんをかけていました。
駅のホームはあたたかくって、危なくないので、毎日いましたね。

あわれみをかけてくれるひと、心配してくれる人。
まあ、いろんな経験を長く生きるとするものですね。でも意外と快適でした。

でも、それを経て家でねむれることの、ありがたさをかんじております。
寒さがきつくって、眠れない生活の人がたくさんいることを、かなしんでいます。

私は、馬鹿だとつくづく思いますね。惨めな自分をさらしてまで生きるのは、恥さらしだとかんじてます、ここ○○にすんで、すべて友までうしないました。そして私はこの○○で死んでいくのかと思うと、情けないです。
でもこれが、私のさだめです。仕方がないですね。

どん底生活でも、幸せだった。

2014-12-05 19:52:15 | 日記
今でも、貧乏に変わりないが、私は愛知県江南市で、どん底生活をしていた。
あのころの私の住んでいたアパートは4畳半、ふろなし、トイレ、台所共同という生活いまよりも、もっと狭く大変な生活だった。

両親もお金がないので、パンを借りたり、近くの野原の雑草を取ってきて食べていた。
もちろん、不幸人生でも、私は両親がいるだけでもしあわせだった。
人はどう思うが、何もない生活でお母さんがいるだけでも幸せだった。

今でも小さな場所に、食べられる植物を植えるのは昔のことがあるし何よりも食べ物がなくなったときのため、貧乏とは悲しいことではない、知恵の工夫で何とか乗り越えられる。

金がないのは、命がないのと同じといっていた人もいたが、そうだと思う。
わたしは、生きられているのは、みんなのおかげだと思う。たぶん昔よりもさびしくて、つらい生活でも、食べるだけの生活ができるのは、ありがたい。

雑草っていっても、ちゃんと食べられるものがあるのだ。
それで大きくなったのだから。
いまでも、美容院にはいかない、自分でカットするそれは長い間自分でして来てうまくできるようになったから、節約はしていて悪くはない。

ひとりでいきるために、すべて節約しているわけでない。健康のために食事はちゃんととっている、それは生きるためだから。服はやすいものとか、もらいものだけど。
化粧品は、ちふれなど安くて、品質のよいものとか、いろいろ考えている。

ぜいたくはできないが、暮らしの工夫により、生活はできるものが。
食費がいちばん高いぐらいで、あと小鳥のえさ代ぐらいだ。

まあ、それでも肥満とはなさけない、食べ物が偏りこんな体系になった。
貧乏とは、かれこれ○○年のつきあいだから、いやではない。
外に行くとなぜか、使えるものがあればもらう、そして食べられる草があるとあつめる。

でも最近はそんなことよりも、体が、がたが来たので、痛いところだらけである。
病気にならないことが何よりも節約なので、特に健康には気をつけている。

どん底生活もながくやれば、ためになっている。
つらいのは、知恵がないだけで、考えて節約したら、生活はできる。

でもね、女だから、美容院にいきたくもなる。
でも、がまんしよう。それしか生きる道はない、金がないんだからね。

いじめの、逃れ方(逃げ方)

2014-12-05 16:54:19 | 日記
まあ、一番いいのは、いじめられるところにいかないこと。学校なら休もう、そして親に言うなりして、理解してもらいどうしてもいやなら転校なりして心をやすめよう。
いじめられるところに行かないと行けない場合は、あまり相手にしない、孤独でも何とかいじめる人に、あわないようにする。それでもいけない場合は、とにかく自己逃避だ。

逃避するといっても、ちゃんと食事をして、こもるのだ。健康だけ注意しておく。
ニートでもなんでもいいから、いじめの所に行くのは危険だから。
私は、隣のいじめに対してしたことは、無視です。

どんなときにも、完全無視がうまくいきました。
そうすると相手は、あきらめるのか、あまりいたずらしたりはしなくなりました。
挨拶は、もちろんしませんし。

同時に出るときは、少し間をおくと、あいません。これぐらいでなくなるものです。
会わないと、一番いいのです。いやな顔をしたり、なめられたら、無視がききます。
完全無視です。困ると思いますが、これが一番いい方法です。

都会ですから、付き合いはありませんし、あえて付き合わなくてもいいから楽です。
田舎ならどうしたかは、わかりませんが、いろいろないたずらこれも、いじめのひとつです。
人を馬鹿にしたところで、会わないとつまらないので、あきらめます。

いじめは、にげるか、無視か、がまんかしかないけど、いじめ返せるぐらい強い人には、いじめないものです。つよくなるしかないです。口げんかできるぐらい。

わたしは弱いので、無視しかありませんでしたが、いちばんは、強くなるしかないのです。
逃げるのも一番ですし、我慢は限界があるので、よくありません。

まして、自殺などは、してはいけませんし、相談すべきですね。誰かはわかってくれるものです。死ぬ前に、相談してくださいね。

いじめ自殺(いけず)

2014-12-05 13:20:52 | 日記
いじめなんて、マア私はなれたけど、子供はつらいと思う。
つい最近も、いじめによる自殺があった。
親も大変だが、いじめるやつもどうかと思う。

逃げることができない、子供たちの社会。
大人なら、こもったり、逃げたりできるけど。
いじめるのは、心の病にちがいない、ストレス発散とかだろう。

人をいじめてたのしいのは、気持ちがいいことと感じる脳がおかしい。
自分よりもよわいものをいじめる、楽してストレス解消すること。
自殺したら、少しは悪いと感じるのだろうか。

それとも、死ぬまでいじめたほうが、スカッとするのだろうか。
どちらにしても、人間としては最低だ。
いけずは楽しいかもしれないが、いけずはよくない。

これをみているあなた。
いじめは、やめてほしい。
そして、あなたに必ずその報いが来ることのないようにやめてほしい。

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