女として生まれた以上ある年齢になれば、誰かと結婚したりする。
主婦は、一人の性の奴隷と家事の奴隷となる。
そして結婚できないで不幸な女はたくさんの男と交わる。
そしてたくさんの男の性の奴隷になる。
どちらかしか、昔は女はえらべなかった。今は選べる女性も仕事を持ち男性のように養われなくても生きていける世の中になったから。
けれども、男の奴隷のほうが、しあわせかもしれない。
ただし、一人のための奴隷だ。たくさんでは疲れるし、体がこわれてしまう。
家事も大変だから、これも一人の奴隷の義務でもあるそれが主婦ではないかと思う。
所詮結婚は、棺おけに片足を突っ込むといった人がいる。
そうなんだ、人生のラストが決まるはじまりしかない。
私は、一人の奴隷となったのちに、誰の奴隷でもなくなった。
自由である、しかしこの自由はしあわせではない。
束縛される幸せを知っているから。
一人の人のしあわせの、鳥かごの中に閉じ込められた甘い幸せを。
私は知っているから。自由に空をとびまわれても、所詮かごの鳥の飼い鳥だ。
そのうちに、ご飯をたべられないで、死んでしまう。
そんな運命に、なぜかながされて、死なないまでも死んだような人生をおくっている。
今は女ではない。人間の残りかすだ。
人生では秋のおわりだ。
人間として。残りの枯葉を少しずつ揺らすだけの人生だ、でも悲しくはない。