かなり前に、Cartoucheさんが絶賛されていたので、
ずっと観たいと思っていた映画が
やっとコチラでも上映になりました。
「母たちの村」(MOOLAADE・2004年・フランス・セネガル)
アフリカのとある村。三人の夫人が暮らす家に
少女が4人逃げ込んできた。割礼の儀式が嫌で
逃げ出し、"保護”を求めてきたのである。
第二夫人のコレは、自らは割礼を受けてはいるが、
そのためにさまざまな苦しみを味わったので
自分の娘の割礼は拒否していた。
しかし、割礼は昔から行われているイスラムの儀式で、
それを受けない娘は結婚相手にも認められないとされる。
割礼を行う老婆達や男たち、村の長老は
匿った少女たちを渡せ、と詰め寄り、
頑として引かないコレを中心に、大騒動に発展・・・。
アフリカの一部で今も残る、女性割礼(女性性器切除)という慣習。
文字通り、主に幼い子供の性器を切り取り、
縫合するというもの。
映画の中では”手術”なんて言われているけど
不衛生な場所で、麻酔もなしに、さびたナイフや
カミソリなどでその儀式は行われるといいます。
出血多量やショック死、術後の感染症で亡くなる少女も
少なくない、ということは容易に想像できます。
母親自身が割礼の恐怖と問題を経験しているのに
”娘が後ろ指さされ、結婚すらできない”という
社会の慣習に逆らうことができず、
わかっていても受けさせるのです。
コレの娘は、村長の息子との結婚が決まっていたのにも
かかわらず、今回の騒ぎで、割礼をうけていないために
結婚を断られ、ショックを受けます。
その息子、パリに働きに出ていたという、
スーツをぴしっと着た現代的な若い男性なのに、
この、時代錯誤的な儀式にひと言も異を唱えない。
それだけ長老、家長の権限は絶対なんだろうか。
パリに暮らしたのなら、いかに自分の故郷と違うか、
異常なことなのかわかってもよさそうなものを。
この頼りない息子には ちょっと腹が立ってしまいます。
でも、コレたち”母”はどこまでも強く、
少女たちを守り通します。
そのたくましい姿!
映画の最後には希望があってよかったです。
女子割礼はコーランに定められている、と男たちは言いますが、
そのような事実はないそうです。
ただ、男が女の貞操を守るため、女を自由のないモノとして
扱うための都合のいい悪しき慣習にすぎません。
今もこのようことがまだ行われている国がある。
また、アフリカから移住してきた、これらの国の人々が
ニューヨークであろうと 娘にこの儀式を施しているために
世界中にこの儀式は広がっているのだといいます。
私は別にフェミニストじゃないけど、こんなばかげたことは
早く世界中からなくなってしまえばいい、と切に願います。
興味のある方はこんな本を読んでみてください。
「砂漠の女ディリー」
幼い頃に割礼は受けたものの、意に沿わない結婚から逃げ出し、
モデル、国連特別大使になった女性の半生。
割礼を受けた女性が、どのような苦しみを味わうのか
率直に描かれていて、怒りがこみあげてきます。
「ファウジーヤの叫び」
割礼から逃れて アメリカに亡命し、自由を勝ち取るために
生きるトーゴ出身の女性の手記。
「生きながら火に焼かれて」
すこし違いますが、同じくイスラムの国で、
社会から”ふしだらな娘”と烙印を押された女性は
家族によって処刑されるという”名誉の死”。
結婚してくれる、と信じた男性の子を身ごもったために
火あぶりにされそうになった女性が生き残り、
第二の人生を歩む手記。
日本で普通の生活を送っている私には
想像もつかない人生です・・・。
ずっと観たいと思っていた映画が
やっとコチラでも上映になりました。
「母たちの村」(MOOLAADE・2004年・フランス・セネガル)
アフリカのとある村。三人の夫人が暮らす家に
少女が4人逃げ込んできた。割礼の儀式が嫌で
逃げ出し、"保護”を求めてきたのである。
第二夫人のコレは、自らは割礼を受けてはいるが、
そのためにさまざまな苦しみを味わったので
自分の娘の割礼は拒否していた。
しかし、割礼は昔から行われているイスラムの儀式で、
それを受けない娘は結婚相手にも認められないとされる。
割礼を行う老婆達や男たち、村の長老は
匿った少女たちを渡せ、と詰め寄り、
頑として引かないコレを中心に、大騒動に発展・・・。
アフリカの一部で今も残る、女性割礼(女性性器切除)という慣習。
文字通り、主に幼い子供の性器を切り取り、
縫合するというもの。
映画の中では”手術”なんて言われているけど
不衛生な場所で、麻酔もなしに、さびたナイフや
カミソリなどでその儀式は行われるといいます。
出血多量やショック死、術後の感染症で亡くなる少女も
少なくない、ということは容易に想像できます。
母親自身が割礼の恐怖と問題を経験しているのに
”娘が後ろ指さされ、結婚すらできない”という
社会の慣習に逆らうことができず、
わかっていても受けさせるのです。
コレの娘は、村長の息子との結婚が決まっていたのにも
かかわらず、今回の騒ぎで、割礼をうけていないために
結婚を断られ、ショックを受けます。
その息子、パリに働きに出ていたという、
スーツをぴしっと着た現代的な若い男性なのに、
この、時代錯誤的な儀式にひと言も異を唱えない。
それだけ長老、家長の権限は絶対なんだろうか。
パリに暮らしたのなら、いかに自分の故郷と違うか、
異常なことなのかわかってもよさそうなものを。
この頼りない息子には ちょっと腹が立ってしまいます。
でも、コレたち”母”はどこまでも強く、
少女たちを守り通します。
そのたくましい姿!
映画の最後には希望があってよかったです。
女子割礼はコーランに定められている、と男たちは言いますが、
そのような事実はないそうです。
ただ、男が女の貞操を守るため、女を自由のないモノとして
扱うための都合のいい悪しき慣習にすぎません。
今もこのようことがまだ行われている国がある。
また、アフリカから移住してきた、これらの国の人々が
ニューヨークであろうと 娘にこの儀式を施しているために
世界中にこの儀式は広がっているのだといいます。
私は別にフェミニストじゃないけど、こんなばかげたことは
早く世界中からなくなってしまえばいい、と切に願います。
興味のある方はこんな本を読んでみてください。
「砂漠の女ディリー」
幼い頃に割礼は受けたものの、意に沿わない結婚から逃げ出し、
モデル、国連特別大使になった女性の半生。
割礼を受けた女性が、どのような苦しみを味わうのか
率直に描かれていて、怒りがこみあげてきます。
「ファウジーヤの叫び」
割礼から逃れて アメリカに亡命し、自由を勝ち取るために
生きるトーゴ出身の女性の手記。
「生きながら火に焼かれて」
すこし違いますが、同じくイスラムの国で、
社会から”ふしだらな娘”と烙印を押された女性は
家族によって処刑されるという”名誉の死”。
結婚してくれる、と信じた男性の子を身ごもったために
火あぶりにされそうになった女性が生き残り、
第二の人生を歩む手記。
日本で普通の生活を送っている私には
想像もつかない人生です・・・。
感想を拝見しなかったら見なかったかもしれなかったです!
ありがとうございました。
上に挙げた本、どれも衝撃的でした。
でも、こうして世界に向けて声を上げることができる人なんて
数えるほどしかいない・・・命を落としていった女性も
たくさんいるのですから。
「ホテル・ルワンダ」とか見ても、こんな世界に対して、
自分にできることってなんだろう?と思ってしまいます。
>irukaさん
娘さんを持つお母さんの立場からすると、絶対に考えられないことでしょうが
娘の幸せな結婚のため・・・。
多くの場合は、施術中、娘を押さえつけるのは母親の役目なんですって。
本を読んでいたおかげで、この映画もより理解できました。
女性として生きるって 大変なことです。
以前新聞で取り上げられてた記事を読んだことがありますが、この映画は知りませんでした。
どんなに痛いことか。
可哀想です。早く無くなるといいですけでど。
kinoさん、本も読んでるなんて、さすがです!
ところでエライ!!関連の本を読まれているのですね。私はこの映画の直後に読もうと思っていてそれっきり。。反省。