気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

凡夫のみち ・・・ 縫い針 

2011-02-08 06:34:43 | Weblog
      針
               安積 得也
  お人好しの針
  どこにでも割って入り
  どんなぼろでも縫い合わせる
  勇気のある針
  曲がるくらいなら折れてしまう
  威勢のいい針
  無限の糸を尾に引いて
  縫って行く縫って行く


私たちの心の奥に
  自分自身を育ててゆきたいという願いがいつも生きていれば
  ・・・ 教えはどこにでも見いだせるのだろう。

庭を掃いていた時 竹に小石がはねとんで 
  その音で悟りをひらいたとか
桃の花のひらくのを見て
  悟りをひらいたとかいう禅僧があるが
いずれも 心のうちに平素あたためてきたものが 時熟して
小石が竹にあたる 桃が花ひらくという縁を得て実を結ぶのであろう。

小石や花に特別な意味があるわけではない。
これに意味を見いだすのは
  私たちの心の中に生きつづけている願いであるはずだ。


この人は平凡な縫い針の中に教えを見いだしている。
よそ行きの衣装だから
  ぼろだからというえりごのみをせず 無心に縫う。

縫って役に立つものをつくる。
それをつくることに自身を役立てて
  役目が終わればただちに針山にもどって
  ・・・ 次の役を仰せつかるまで黙っている。
その針は 真っすぐで 正直で
  ・・・ 自分の利益のために妥協することを知らぬ。

文化は進んで 蛮勇は減ったが
  節操を貫く勇気にいたっては 針に対してはずかしい。

自分の仕事の跡をはっきりと残してゆく。


いわゆる先達とは この針のような存在であろうか。
その人は亡くなっても 業績が人々の心の中に生きて残っている。

仕事が生きつづけて行くのを伝統というのであろうが
伝統をきずきあげた人の尊さが
  ・・・ 一筋の糸の跡目にも感じさせられる。



* 2010.11  東ブータンで





流通阻害 ・・・ 心のコンクリート

2011-02-08 05:32:52 | Weblog
      春
                八木 重吉
  ひとつの田から
  もひとつの田へながれてゆく水
  わずかの勾配を落ちてゆく水


ひとつの田に水がいっぱいになると
  次の田をうるおすべく水が流れ落ちてゆく。
今うるおすべくといったが 水にそんな意志があろうはずもない。

人間が 水は低きにつくというそれ自身もっている性質を利用して
  田を配置したまでだ との反論が若い人からでてきそうだ。

理屈はまことにその通りであろう。 だが重吉は ・・・
水がわずかの勾配を落ちてゆくところに目をとめ 心をとめ
自然の妙というか 摂理というか
  あるいは 大自然の慈悲心というべきものにうたれて
  ・・・ いたく感動したのではないか。

こうして 次から次へと田に水がはられて苗が育ってゆくのである。

生きとし生けるものを哺(はぐ)くんで飽くことを知らぬ大自然の力。
それがあるゆえに 私たちも生きていられるのだ。


以前は旱魃(かんばつ)になるとお百姓の水争いが起こった。
無理もない 生活権の問題だから。
現代では耕地整理もすすみ 灌漑用水の岸もコンクリートになったから
  すべての田に合理的に灌漑がなされることであろう。

それはいいにしても 人間が発明したコンクリートは
  やがて ・・・ 人間の心をもかためてしまったのではないか。
断絶の時代というのは コンクリートがもたらしたのではないか。

人と人の間に 心と心の間に やさしいこ交流が途絶えつつある。
  ・・・ 親と子の間にさえ。


自然に帰れと叫んだのはルソーだったろうか。
あの時代よりさらに時が経った今
  自然に帰ろうにも帰れなくなった私たちに
せめて心のコンクリートを融(と)かして
  人間同志温かく交流しあう道をひらくべきではないだろうか。



* 2010.11  東ブータンで





おはずかしくて顔もあげられません

2011-02-08 05:31:40 | Weblog
      鰯
                  榎本 栄一
  私は 何匹かの
  鰯を食べた
  鰯のいのちは
  私のいのちと いっしょになって
  ややこしい 人間世界を
  ぐるぐる 泳ぎまわる


私たちも鰯をいただいておりましたが
これはすぐれた蛋白源で 値段のわりにカロリーも多い
  という学者先生の説を念頭にただ食べておりましたが
真実は 鰯のいのちをいただいていたのだとは
  お説をうかがうまで少しも気がつきませんでした。
まことにもったいない次第だと存じます。

お説を元に思いをめぐらしますと
私どもは 米のいのち 大根のいのち
  そして鶏のいのち 牛のいのちをいただいていたわけですね。
それで 私たちのいのちがつながってきたわけでございます。
私たちがいただいてきた一切のもののいのちが
  私たちのいのちと一つなって
  ・・・ 生きて下さっていたのでございますね。

私どもは愚かで
これは食物だ 栄養があるかないか 
  うまいかまずいかで 口に入れたり捨てたりしてきましたが
・・・ 大自然の恵みに対して 何たる不遜であったことでしょう。
われひとりをはぐくまんと
  一切のいのちがご苦労下さってきたのでありました。

そのご苦労に対して
  私どもは何をもってお報いしてきたことでありましょう。
省みますと ・・・ おはずかしくて顔もあげられません。

食前に いただきますと合掌するのは
私どものいのちと今一つになって下さるもののいのちに対する
・・・ 厳粛な儀式でございましたね。


あなたは鰯のいのちの力をかりて
むつかしい世間を泳ぎまわっていると
  ユーモアたっぷりにおっしゃいましたが
察するところあなたの泳ぎまわられる範囲は
  小さくかわいらしいものではないかと思いますのですよ。

目下 一枚看板で図々しく泳ぎまわっていられる政治家という人種は
いったい何のいのちをいただいていられるのかと
  ・・・ 不思議になりますもの。



* 2010.11  東ブータンで