気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

うぬぼれ ・・・ このたくましきもの

2011-02-14 09:00:47 | Weblog
      木の上

               榎本 栄一

  うぬぼれは

  木の上から ポタンと落ちた

  落ちたうぬぼれは

  いつのまにか

  また 木の上に登っている



昔 難攻不落といわれた城があったが

どんな堅固な城といえども

  姿 形のないうぬぼれの難攻不落にはとうてい及びそうもない。


不死鳥という伝説の鳥がある。

焼かれても焼かれても その灰の中から

  元の形をしてよみがえってくるという強烈な生命力だ。


自慢の鼻がへし折られるということばがあるように

うぬぼれの時にこっぴどくやっつけられて 再起不能と見うけられても

  その生命力の強靭なこと不死鳥もかくやと思われるばかり。

別に整形手術をうけなくても

  たちまち鼻たかだかとなるから不思議である。



これに陰性うぬぼれというのがあって

私などは至らぬ人間で とても他人(ひと)様の前へは ・・・

  と殊勝らしく口で言いながら

どうしてどうして 謙遜という美徳を知り 且つ実践できる私も

  これでまんざら捨てたものではない

  ・・・ といううぬぼれがシネシネと伸びてくる。


「それ誰のこと」

  「たよりないなア あんたのことを言っているんじゃないか」

「オヤ 私はまた 話しているあんた自身のことかと思った」

  「参った 語るに落ちるか」



有頂天になったら必ず落ちます。

これは物理の法則です。




* 2010.11  東ブータンで





厚化粧

2011-02-14 06:18:43 | Weblog
ぬぎすてて うちが一番よい という

                  岸本 水府



誰でも共感できる川柳ですね。


外出先から帰り 外出着を脱ぎ捨てていって ・・・

ホッと一息つきながら うちほど気楽なところはないと思う。


今まで外出先で張りつめていた心もゆるみ
 
  やっぱり自分のうちが一番いいなと 今さらのように感じ

  ・・・ 思わず口に出してしまうほどです。



ぬぎすててというのは 身につけた衣装のことですが

  これを「はからい」と考えてみてはどうでしょう。

私たちが衣装をつけるのは

  同時に はからいを身につけることではないだろうか。


この柄は自分に合うか合わぬかに始まって ・・・

たずねて行く先方に失礼にはならないか

  と 心をくばるのもはからいでしょう。

着ているもので自分が値ぶみされるように思うのもはからいでしょう。


となると 私たちは衣装をつけているよりも

  はからいを着こんでいるのではないだろうか。

衣装が重いのでなく 同時に着こんだはからいで

  ・・・ 身動きがとれないのではないだろうか。


衣装を脱ぎ捨てて からだが軽くなると同時に

  はからいも脱ぎ捨てるから 心も軽くなるのではないだろうか。



ありのままの私を 古人は凡夫と呼ばれたが

  凡夫に帰りつくことの なんと難しいことか ・・・

罪悪深重と呼ばれる程にまで

  私たちは「はからい」を着こみすぎ

  ・・・ 今では 私と一体にさえなっています。


はからいを捨てたら 私自身もなくなる程にさえ思っています。

それが不安だから さらに化粧を重ね 背のびして

  他人(ひと)におくれをとらじと気をはりつめているのでしょうね。


ノイローゼが現代病といわれるはずです。




* 2010.11  東ブータンで





虚飾の階段 ・・・ 女嘘つく

2011-02-14 06:17:52 | Weblog
  藤さわぎ 女嘘つくことに狎(な)れ

                      北村 寿満女



藤のうす紫の花房が 風に吹かれて波うつように騒いでいる。

  女の饒舌に似て。

女の嘘も口から出まかせ 風まかせ。


「まあお久しぶり。お元気でいいですわね

  (病気してやせたらどお。少しは見られるわ)」

「それが年のせいか すっかりダメなのよ

  (本当は年のわりに元気なんだけど あいさつとしてね)」

「何おっしゃるのよ。いつもお若く見えるのに

  (ナンテ 小ジワがずい分めだつわよ)」

「あらお世辞のいいこと

  (若く見えるはずよ。これでずい分 もと手かかってんだから。

     あんたも少しふんぱつしたら。今より見れるわよ)」

「お世辞じゃないわ ホントよ

  (お世辞でもうれしいくせに。

     ホントのこといったら 胆(きも)つぶすでしょうに)」

  ・・・ 虚々実々の鍔(つば)ぜりあい。外見はすずしい笑顔で。



しかし狎れるとは うまい字を使ったものです。

慣れるでは 嘘が口癖になっていて

  別に気にもとめていないことになるし

馴れるでは 親しさのあまりのふざけっこになるし


狎れるとなると しだれかかっての口説(くぜつ)同様

  うちに魂胆を秘めていることになります。

狎れるには 手練手管のにおいがするから いかにも女性的です。



女性的といったとて 女性全体をおとしめたわけではないから

  ・・・ お許し願います。

男でも この手を使えば女性的で

  昔ならさしずめ 女のくさったのいわれたものです。



この作者は いみじくも「狎れる」という字を使われたが

一句の底を探ってみると ・・・

「女嘘つく」の女に 自分自身を含めており

狎れに 嘘つくことに対するあさましさ

  ・・・ 痛みを感じているように思われます。



私たちは正直であらねばならないが

えてして嘘をつかねばならぬ破目におちいることの方が多いようです。

その時 嘘をついて平気というのでなく

  心ひそかに恥じるところに

  ・・・ 真人間への第一歩があるように思えます。