気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

後生の一大事 ・・・ 1.何かを

2011-02-19 09:00:41 | Weblog
      みつめる

                高見 順

  犬が飼い主をみつめる

  ひたむきな眼を思う

  思うだけで

  僕の眼に涙が浮かぶ

  深夜の病室で

  僕も眼をすえて

  何かをみつめる



食道癌の手術をうけて ベットに寝ているこの人は

  看護の妻も眠って たった一人めざめている真夜中 ・・・

飼い主をみつめる犬の眼(まな)ざしのひたむきさで

  ・・・ 何をみつめていたのだろう。



「何かを」としか表現できなかった。


それが何であるか はっきり言いあてられないけれども

この人がみつめているというよりも

  この人の眼をとらえて放さぬものがある。


これは はたしてなんだろう。




* 2010.11  東ブータンで





一人あり ・・・ 3.自身の重さ

2011-02-19 06:10:15 | Weblog
 あめつちの中に我あり一人あり  (再掲)

                     吉川 雉子郎



天地の中にたった一人自分がいる。


これは孤独を悲しんでいるのではありません。

天地の恵みをうけて

  生かされて生きている真の自己の存在に

  ・・・ おどろいていることばです。


その一人の我なるがゆえに

  大切に一瞬一瞬を生きよう

  ・・・ ということばでもあります。



私たちは自分の欲を大事に考えて

  自身の重さを忘れていはしないでしょうか。



雉子郎とは 川柳に熱中した青年時代の吉川英治です。




* 2010.11  東ブータンで




  

一人あり ・・・ 2.自己自身をいただく

2011-02-19 05:12:19 | Weblog
我独(ひと)り尊しとは お山の大将おれ一人 ではありません。


お山の大将は 他を見下(くだ)した自我の満足です。

いつ他にとって代わられるかもしれない 危ない存在です。



我独り尊しとは そんな相対的な話ではなくて ・・・

天地の中にただ一人かけがいのない存在としての自己を

  身しみて感ずる さらには その自己の尊さにおどろいて

  ・・・ 自己自身をいただく ということでしょう。



人間だれでも 自分が一番かわいいですが ・・・

その自分を天地の間において再認識し 自己自身をいただくまでに

  ・・・ その尊さに目ざめているでしょうか。


自己以外のものをささえとして生きていたら

  ・・・ 真の自己には 目ざめていないのです。




* 2010.11  東ブータンで





一人あり ・・・ 1.七歩

2011-02-19 05:11:25 | Weblog
  あめつちの中に我あり一人あり

                     吉川 雉子郎



二千年の昔 4月8日に生まれた嬰児(みどりご)が

  七歩歩いて 「 天上天下唯我独尊 」と叫んだといわれます。


この伝説は

人間の尊さはどこにあるかを究明することを

  生涯の使命として生きるべく

  ・・・ この世に出られた人だ と物語っていると思われます。



七歩というのは

  地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天人 の六道

( つまり 人間の智恵でまかなわれている日常生活
  真の自己を見失って 
  欲望のままに外物にひきずりまわされている生活をさすのだが )

  ・・・ を はじめて超えた意味だといわれます。



文化は当時より進んだけれども

  六道が複雑化したというにすぎなく

その複雑化のために

  精神不安定者が大量生産されているということであれば ・・・


六道を超える道というのは

  健康な精神生活のために

  ・・・ いよいよ重要性をましてきているのでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで