気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

弱虫 ・ 馬鹿虫

2011-02-09 06:10:24 | Weblog
      足の下

                  宮沢 章二

  足の下に なにかが広がっていなければ

  突っ立つぼくらの存在はなかった


  つねに なにかをふんずけていなければ

  ぼくらは 生の知覚を持ち得なかった


  ときに 草萌えの緑野を踏み

  ときにまた髑髏だらけの廃墟を踏み ・・・


  なにかに支えられる その安堵感を

  後生大事に守りつづけた 虚弱なぼくら



お山の大将という言葉があるが みんなこれになりたいんだな。

手下の欲しいのは 博徒の親分だけだけではなさそうだ。

弱いものは 何かによりかかりたいもんだよ。


おとなだと威張っても 虚弱児童かも知れないな。

精神的にね。


自分の子を謙遜して

「なり」ばかりでかくて からきし「ねんね」で困りますわ

  なんてよくいうが ・・・ そのご当人があやしいもんだね。


「ねんね」は 自分以外のものに全身を託しているんだろう。


奥さん面(ずら)したって 存外旦那さんに

  というより 経済力によりかかってるんじゃないかな。

そんなつもりはないって?

よりかかりが急に倒れると

  世も身もないほどうろたえ騒ぐのは だれだっけ。



人間は 個人も民族も弱いんだよ。

むしろ 弱さを素直に認めて頭を下げるんだな。

強い者に?

  いいや 人間を超えて一切を生死せしめる存在そのものにだ。

自分の弱さに 素直に頭をさげて

  今日まで足の下に踏んづけてきたものを

  ・・・ かえって いただく のだね。


そうなると 広い明るい世界がひらけてくるよ。


弱いものが 弱さに徹して独り立ちできる道だ。

真実に生きるものの道だ。




* 2010.11  東ブータンで





不思議

2011-02-09 05:09:06 | Weblog
      ふしぎ

                岩田 有史

  雲が白いことも

  風が音をたててふいてくることも

  ささの葉が青いことも

  犬が犬で

  猫が猫で

  あることも

  不思議でたまらない



10歳のこの少年に眼に映った不思議は

  永遠に また誰にとっても不思議である。

ただ 世なれたおとなだけは 無関心に通りすぎていく。


人間が不思議という場合

あり得ぬことが(人間の頭で考えて)あることを

  不思議というのであるが ・・・

真実の不思議は 平凡な当たり前の事実にあるのではないか。


これを 妙ということばで讃嘆する。

存在するものはすべて 妙というより他はない。


妙と思われるのは

こちらの頭がぼけているか 何かにのぼせているからであろう。



私たちはあまりにも代用品の豊富な文化時代に生きているために

  人間さえ代用品がきくと思いちがいして

  ・・・ 簡単にひき殺している

  生きている人間よりも

  ・・・ そのポストの方が重要視されている。



静かに思いをひそめて

  白い雲 青い笹 犬や猫の存在の不思議に

  ・・・ 素直におどろきたい。

そこに世界は ・・・ 無限の深さをもってくる。




* 2010.11  東ブータンで






聴覚脱失 ・・・ 幼い日

2011-02-09 05:07:50 | Weblog
      幼い日

               八木 重吉

  幼い日は

  水がものをいう日

  木がそだてば

  そだつひびきがきこえる日



子どもが一人で遊びながら しきりに何かしゃべっている。

あれはひとり言ではなくて 会話である。


会話の相手は もの言わぬ石であり 草であり 水である。

子どもにはわかるのだ。

  水のことばが。 風のことばが。木のことばが。


子どもにとっては 一切が生きているのだ。

生きて動いているのだ。


全身で語っているのだ。

子どもは 人間のことばが未熟であるがために

  かえってもの言わぬ世界の一切のものの

  ・・・ 語りかける声がきこえるのだ。


人間のことばを覚えるにつれて

  ・・・ 水や石と語ることを忘れてしまうのであろう。



コンクリートの壁がそびえるようになってから

  私たちの耳に入るのは 騒音ばかりになってしまった。



自然は はるか彼方に後退して

  人間の暴力におびえるような目つきで

  ・・・ じっと沈黙を守っている。




* 2010.11  東ブータンで