気の広場

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一瞬の重さ ・・・ 妻の死

2011-02-20 05:00:34 | Weblog
      妻の死

                   草野 天平

  糸巻きの糸は切るところで切り

  光った針が

  並んで針刺しに刺してあるそばに

  小さなにっぽんの鋏(はさみ)が

  そっとねせてあった

  妻の針箱をあけて見たとき

  涙がながれた



針仕事を終わったあと きちんとかたつける。

それは 一日の仕事のおしまいでであると同時に

  明日の仕事が いつでもはじめられる準備でもある。

縁の下の力持ちとして 目たたずつつましく生きるのほんの女の

  あまりにもあたりまえであるがゆえに

ほめるのもいささか気がひけるような美しいたしなみである。



男はいっしょに暮らしていても

  そんなところまで気をとめようともしないが

二十九歳の若さで亡くなられて

ボタンのとれたのを自分でつけようと針箱をあけたとき

  そこに故人の俤(おもかげ)を見たのであろう。


故人は生きていた時と同じつつましさで 黙ってひかえていた。

天平でなくても

  ・・・ しみじみと涙が流れようというものだ。



一瞬一瞬を大切に心をこめて生きた故人の一生を

  その針箱の中味が荘厳している ・・・ といえよう。


私たちの遇(あ)っている一瞬一瞬は

  完結であると同時に 永遠なのであるまいか。


私たちは何気なく見過ごしているが ・・・

日々の仕事のきりをつけるのは

  ・・・ 一瞬の完結であるとともに 未来への出発であろう。




* 2010.11  東ブータンで





後生の一大事 ・・・ 3.その何かは

2011-02-20 02:40:03 | Weblog
健康で環境が恵まれているものと 生死の境にあるものとの思いが

  一つのはずはない といわれようが ・・・ 同一なのである。


死線にあるからこそ

  ただその人の眼をとらえて 放さないのだ。



この何かを 人間は一度はっきり確かめておかなければならない。

このように このように人間は生まれついているのである。


その何かは

  自分はどこから来てどこへ行くのか という問いといってもよい。



恵まれていてもみたされないのは

  この不安がぼんやりした形であらわれているのであり

死線にあるときは

  身近に迫って人をとらえて 放さないのである。




* 2010.11  東ブータンで





後生の一大事 ・・・ 2.何か落ちつけない

2011-02-20 02:39:02 | Weblog
家庭的にも経済的にも恵まれているけれども

  何か落ちつけない と訴えた主婦があった。

また

会社のいたれりつくせりの設備された寮に生活していて

  しかも何かみたされないものがあると訴えた一群の青年があった。



高見順が死線を彷徨(ほうこう)しつつみつめていた何かと

  この主婦ならびに寮生の何かとは

  ・・・ 実は 同じではあるまいか。




* 2010.11  東ブータンで