気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

無限の中に ・・・ 1.本音

2011-02-24 10:00:37 | Weblog
      慈悲の唄

                 竹部 勝之進

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス

  ワタシヒトリハ

  ワタシヒトリハ

  モウタスカラズトモ

  ヨロシュウゴザイマス

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス



他の者はどうなろうともかまわん

ワタシヒトリはどうでも助かりたい

どうか私ひとりだけお助けください というのが

  どうも私たちの本音としか思われぬとき

こういう詩に出くわすと とまどわざるをえない。



君 本気かとついききたくなる。


一時の気まぐれや

熱にうかされての世迷い言じゃないか

よく気をおちつけて もう一度考えた上でいってくれ

  ・・・ と念をおしたくなるのが本当だ。



だが これがこの人の本音らしく

  ・・・ 念をおしてくり返していっている。




* 2010.11  東ブータンで





指定席 ・・・ 4.指定席

2011-02-24 06:40:01 | Weblog
さては あなたは教えを聞いたな。

教えを聞いて 自分の自我を照らしだす光に遇(あ)ったな。



このつぶやきは 決して不貞腐れているんじゃなくて ・・・

自我いっぱいに生きている自分を

  それを照らしだした光の前に

  ・・・ 素直にさらけだしたんですね。



そこには 深い痛みの影がさしている。

照らしだした光といえば外だけれど

  自己の底なる真実の自己

  もうひとり私に遇えたからの ・・・ このことばなんですね。


ここでうっかりとそうですと こちらの誘い乗っては駄目。

あなたは ここから一生 一歩も動いたり 浮いたりしては駄目。



ここがあなたの そして ・・・ 私たちの指定席。




(再掲)   無題

               織田由太郎

  白状したくない 私

  思いだしたくない 私

  よろこぶことのできない 私

  身にうけられない 私

  空をむいている 私




* 2010.11  東ブータンで





指定席 ・・・ 3.自分のアラ(粗)

2011-02-24 06:00:30 | Weblog
自我は 自我を知らない。

自我とちがったものがあってはじめて 自我だとわかるんでしょう。



これは一見自我のつぶやきだが

  ・・・ 存外 そうでないかもしれん。


もっと深いところから あるいは 自我を超えたところから

  自我をとらえているからこそ 自分のアラ 自分の盲点が

  ・・・ みえてきているんじゃなかろうか。




(再掲)   無題

               織田由太郎

  白状したくない 私

  思いだしたくない 私

  よろこぶことのできない 私

  身にうけられない 私

  空をむいている 私




* 2010.11  東ブータンで





指定席 ・・・ 2.つぶやき

2011-02-24 05:06:18 | Weblog
(再掲)   無題

               織田由太郎

  白状したくない 私

  思いだしたくない 私

  よろこぶことのできない 私

  身にうけられない 私

  空をむいている 私




白状したくないのは

  ・・・ 面子(メンツ)にかかわるからだし

思いだしたくないのは

  ・・・ 失敗の経験で自信がゆらいだからだし

よろこぶことができんのは

  ・・・ もっともっといい待遇があたえられるはずと

      思っているからだし

身にうけられないのは

  ・・・ いつもうわのそらでいるからだし

空を向いているのは

  ・・・ 一切を軽蔑しているからだし


ということになると

  傲慢不遜(ごうまんふそん)な自我のつぶやきじゃないですか。


その自我だけで生きているんだったら

  ・・・ こうしたつぶやきがでるだろうか。




* 2010.11  東ブータンで





指定席 ・・・ 1.自我

2011-02-24 05:05:34 | Weblog
      無題

               織田由太郎

  白状したくない 私

  思いだしたくない 私

  よろこぶことのできない 私

  身にうけられない 私

  空をむいている 私



えらくまた 私をたくさんならべましたね。

ほんとうはもっとある?!

代表だけ出したんですか。


たくさん私があるようだけど せんじつめれば

これはひとりの私であって

  それがその時々にあらわしている表情なんでしょうね。


このひとりの私が いわゆる自我なんでしょう。




* 2010.11  東ブータンで





往生予定日 ・・・ 3.馬鹿の存在が貴重

2011-02-23 12:09:14 | Weblog
いいじゃないですか ・・・

桜の満開の下で おまけに月は満月

  淡い光がうす紅の花びらを透(す)かしてふりそそぐ中で

  ・・・ 往生をとげるとは。



この節は コンクリートの病院で

  ・・・ 癌か 心筋梗塞で死ぬことにきまっているようです。


西行は 注文通り二月十六日に世を去って本望を達したが

  ・・・ 現代人はみな 心ならずも死んで行くのでしょう。



古人は死場所を探したが それは ・・・

  自分なりの生の完成 成就を期したのではないでしょうか。


今は 徒(いたずら)に生きること

  それも 自我の欲望の満足ばかり追求しているから

  ・・・ かえって 生が弛緩しているのではないだろうか。



西行を馬鹿ときめつけたあなた(山村暮鳥)も

一文にもならぬ詩を書きつづけて

  ・・・ 存外馬鹿であったかもしれませんね。


馬鹿の存在が ・・・ ことに貴重な現代です。




* 2010.11  東ブータンで





往生予定日 ・・・ 2.花の下で死にたい

2011-02-23 09:08:27 | Weblog
西行は 本来北面の武士だったのに

  闘諍修羅(とうじょうしゅら)の世がいやになったのか

  ・・・ 若くて蒸発して 仏門に入ってしまった。

そして 自然に逃れ 風雅に生きた。

だが 青白い文学青年ではなかった。


彼に一泡ふかせてやろうと待ちかまえていた荒僧の文覚が

  少しも手だしできなかったどころか ・・・

一夜を共に語り明かしただけで

  すっかり彼(西行)に傾倒してしまったのですから。



彼は 自然を歌の素材としていたのではありません。

だからこそ 花の下で死にたいという願いも

あなた(山村暮鳥)によって

  桜がいわせたのだろう ・・・ 見やぶられたわけですね。






(再掲)
      ある時


                山村 暮鳥

  どうせ死ぬなら

  こんな日だと

  うたったばかがあるそうだ

  桜が

  うたわせたんだろう




* 2010.11  東ブータンで





往生予定日 ・・・ 1.どうせ死ぬならこんな日

2011-02-23 06:07:54 | Weblog
      ある時


                山村 暮鳥

  どうせ死ぬなら

  こんな日だと

  うたったばかがあるそうだ

  桜が

  うたわせたんだろう



あなたが馬鹿と折り紙をつけたのは たぶん 西行のことでしょう。

彼には

  「 願わくは花のもとにて春死なん、

      そのきさらぎの望月(もちづき)のころ 」

  ・・・ という歌がありますから。



あなたは 口先では馬鹿ときめつけているけれど

  内心 大いに共感しているのではないですか。


桜がうたわせたんだろうが ・・・ それを暴露していますね。



そうです。

彼は桜が好きでした。 桜の歌をいくつも残しています。




* 2010.11  東ブータンで





春一番 ・・・ 3.全身で生きる

2011-02-23 05:11:22 | Weblog
全身で生きることが 私たちに一番大事なんだがね。

全身で生きる時 三千大千世界とともにあるんだね。



こういう生き方をことばで出すと

  もったいない

  かたじけない

  ありがたい

  冥加(みょうが)に余る ・・・ というんだろうなァ。


こういうことばは 卑屈ととられるかもしれんけれども

  ・・・ そうじゃない。

全身で全世界をうけとめた いや いただいた叫びだ。

ここにこそ ほんとうのいのちが息づいているんだね。



坊やの今の感動 鮒の子の目の光をみつける心

  これを童心というのだろうが ・・・ 忘れないようにしてね。




      ふなっこ  (再掲)

                   宮沢 章二

  氷が はっても こおらずに

  小川の どこかで 生きていたんだね

  春がきたんで 春がきたんで

  ふなっこ すーい すい


  草の芽 木の芽が わらうから

  おねぼうしてなんか いられないよね

  春が来たんで みんなの目玉が

  ひかって すーい すい




* 2010.11  東ブータンで





春一番 ・・・ 2.大人の目

2011-02-23 05:10:21 | Weblog
おとなになると ・・・

そろばんがコンタクトレンズのように 目にはりついて

  ・・・ いのちの光を見とおしてしまうんだろうなア。


損か得かだけで 外をみわけるんだろう。

鮒の目の輝きなんて一文にもならんものには目がとまらんだろう。

忙しい忙しいって ブツクサつぶやいてさ。


そういう時 人間は全体で生きていないんだね。

欲だけがキョロキョロしてるんだな。



子どもは欲がないから 全身で生きてるんだろう。

だから もののいのちを全身でうけとめるんだろう。



ほんとうの詩人とか宗教人といわれる人は

  そういうもののうけとめ方

  ・・・ ものをみる純粋な目を一生忘れぬ人なんだろうなァ。




* 2010.11  東ブータンで





春一番 ・・・ 1.子どもの目

2011-02-23 05:09:50 | Weblog
      ふなっこ

                   宮沢 章二

  氷が はっても こおらずに

  小川の どこかで 生きていたんだね

  春がきたんで 春がきたんで

  ふなっこ すーい すい


  草の芽 木の芽が わらうから

  おねぼうしてなんか いられないよね

  春が来たんで みんなの目玉が

  ひかって すーい すい



いいね 春って。

雪の山も光るけど鋭いね。

春の光はやわらかでなつかしいね。



坊や 鮒っ子の光ってる目玉みたことある?

大げさにいうと 鮒の子の命と 坊やの命との再会だ。

心がおどるはずだ。



宮沢のおじさんがいうていたよ ・・・

自然と遊ぶ子どもの目が

・・・ 鮒の目の光をみつけるんだって。




* 2010.11  東ブータンで





人間誕生 ・・・ 3.生への讃歌

2011-02-22 06:00:14 | Weblog
島 秋人の生涯は短かった。


しかし

死刑を前にしての一日一日は いや 一刻一刻は

  実に充実したひかりかがやいた生であったといえよう。


それに較べると

私たちの生は ぬるま湯につかっているみたいだ。



彼の歌は 知的操作でことばを配列したものではない。

魂のうめきというか 歌の形を借りた深い懺悔(ざんげ)であり

  ・・・ 生への讃歌でもあった。


生きることは 他人へのなんらかの働きかけとするなら

彼ののこした遺愛集が読む人の魂に訴え 魂を目ざめしめる

  ・・・ そこに いまも彼は生きているのだろう。




  白き花つけねばならぬ被害者の子に

  詫びたりず悔をふかめし       (再掲)

                    島 秋人




* 2010.11  東ブータンで





人間誕生 ・・・ 2.死刑囚の人間革命

2011-02-22 04:09:28 | Weblog
  白き花つけねばならぬ被害者の子に

  詫びたりず悔をふかめし       (再掲)

                    島 秋人


島 秋人は 26歳のとき

窮乏の極 二千円の金がほしくて農家に押し入って

  彼を妨害したその家の主婦を殺した。


彼は 死刑囚として刑務所に収容されたが

  ・・・ やがて 彼に人間革命が起こる。


彼の殺した主婦に子どもがあって

  その子は 今日はかわいそうにも白い花をつけねばならないのだ。

その子に白い花をつけさせるようにしたのは ・・・ だれか。

ここに思いを致すとき 彼の胸ははげしく痛んだ。



彼は 引き揚げ者の子で 敗戦後の郷里での生活は苦しく

  母は結核で斃(たお)れ

自分は低能児と呼ばれて 学校でも相手にされなかったのだ。


彼が盗みを働き 揚げ句の果て 人を殺したとしても

それは社会が悪い 政治が悪いと

  責任を転嫁しようと思えばじゅうぶんできるだけの環境にあった。



初めは彼自身もそう思いこみ

  またそのように主張もしたのではないか。


その彼に人間革命が起こったのだ。

彼は 真実の自己に目覚めたのだ。

煩悩の赴(おもむ)くままに暴走したおのれの自我を懺悔した。


被害者の子の悲しみ 寂しさを身しみて感じられる自己が

  ・・・ 誕生したのである。




* 2010.11  東ブータンで





人間誕生 ・・・ 1.母の日

2011-02-22 04:08:31 | Weblog
  白き花つけねばならぬ被害者の子に

  詫びたりず悔をふかめし

                    島 秋人



5月第2日曜日は 「母の日」である。


アメリカから学んだ風習であろうが ・・・

この日

  母のある子は 赤いカーネーションを

  母のない子は 白いカーネーションを胸につけて

母への感謝をあらたにし または亡き母をしのぶという

  ・・・ まことに美しい風習である。




* 2010.11  東ブータンで





身軽な財布

2011-02-21 17:00:39 | Weblog
  狐は穴あり空の鳥は巣あり 人には

  少しの銭あれかし

                 清水 比庵



この世の中には百億の金でも

  その人にとっては 「少し」という人もあるようです。



この人(清水氏)のすこしは かけ値なしの少しなのでしょう。


あるいは すこし金のいることがあって

  それには持ち合わせが足りなかった時の歌であるかもしれしれません。



いずれにしても つつましい庶民の願いであって

          ・・・ 野心的ないやしさは 感じられませんね。




* 2010.11  東ブータンで