「あたりまえ」という詩を紹介します。
「あたりまえ」の日常がどんなに素晴らしいことか考えさせられます。。。
作者は井村和清さんという人です。
【井村和清さんプロフィール】
●1947年に富山県生まれる。
●日大医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務。
●1977年 30歳のときに骨肉腫が発見される。
●右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右足を切断するが、腫瘍は両肺に転移。
●詩「あたりまえ」は亡くなる直前に家族へ残した愛の手記。
●1979年1月21日 32歳の若さで亡くなる。
●1980年 死の直前まで綴った手記が、本人の死後「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」というタイトルとなって出版され、ベストセラーとなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)
あたりまえ こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう あたりまえ
『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
与えられた命を大切にしなければ。。。
と、痛切に思いますね。。。
和清さんが亡くなるとき、長女の「飛鳥」ちゃんがいて、まだ見ぬ子である奥さんのお腹にいた「清子」ちゃん。
二人の幼い娘を残して死んでいく無念さは推し量ろうとしても、推し量りきれません。。。
毎日、生かされていることに感謝し、人には優しく、一日一日を大切に生きたいものです。。。
そうだ!テケの祖父は、幼い娘二人を残して35歳で赤紙招集令状で海軍に入り36歳でフィリピン諸島のトラック島で戦死。。。
帰還した遺品、遺骨は無し。唯一、日本海軍の帽子が届き、祖母はそれを骨壷に入れて墓を作ったそうです。
長男のテケが生まれて、爺さんにそっくりだって祖母がよく言ってた。
祖母には、可愛がってもらったな。。。・゜・(ノД`)・゜・
よし!明日も頑張ろう!(*^_^*)
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●日大医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務。
●1977年 30歳のときに骨肉腫が発見される。
●右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右足を切断するが、腫瘍は両肺に転移。
●詩「あたりまえ」は亡くなる直前に家族へ残した愛の手記。
●1979年1月21日 32歳の若さで亡くなる。
●1980年 死の直前まで綴った手記が、本人の死後「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」というタイトルとなって出版され、ベストセラーとなる。
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「あたりまえ」 昭和54年1月1日新年の贈り物(井村和清)
あたりまえ こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう あたりまえ
『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』より
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与えられた命を大切にしなければ。。。
と、痛切に思いますね。。。
和清さんが亡くなるとき、長女の「飛鳥」ちゃんがいて、まだ見ぬ子である奥さんのお腹にいた「清子」ちゃん。
二人の幼い娘を残して死んでいく無念さは推し量ろうとしても、推し量りきれません。。。
毎日、生かされていることに感謝し、人には優しく、一日一日を大切に生きたいものです。。。
そうだ!テケの祖父は、幼い娘二人を残して35歳で赤紙招集令状で海軍に入り36歳でフィリピン諸島のトラック島で戦死。。。
帰還した遺品、遺骨は無し。唯一、日本海軍の帽子が届き、祖母はそれを骨壷に入れて墓を作ったそうです。
長男のテケが生まれて、爺さんにそっくりだって祖母がよく言ってた。
祖母には、可愛がってもらったな。。。・゜・(ノД`)・゜・
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テケさんのお祖父さん、永遠の零みたいな出来事を経験されてたのですね(T_T)
お祖母さんも、悲しかったでしょうね(T_T)
あたりまえに感謝出来る男になります!
ご先祖に恥ずかしくない生き方をしていきたいと思います。
食べる事は、生きていくためには当たり前の事ですよね!もちろん呼吸をする事も、当たり前に自然にしています。でも、当たり前なんて無いんですよね~。自然に出来る事は、全て当たり前だと思いがちですが、出来るというのは 本当は、ありがたい事なんだって実感しました。
”当たり前”感謝しかありませんね。。
生きるためには文句や批判は欠かせません。。でも、今一度、そのことが本当に文句や批判に値するのか考えることが大切だと思います。
世の中、簡単に批判をし過ぎではないかと思う今日この頃です。。