登呂遺跡は静岡市駿河区登呂五丁目にある弥生時代の集落跡です。昔は教科書に載っていたので超有名でしたが、吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡の発見で、今では登呂遺跡を知らない若者が大多数だと思う。。
さて、以前来たときは昭和の時代でしたから、もう30年以上ぶりです。懐かしい!まずはご覧の広い駐車場に停めました。1日400円です。
駐車場の片隅に漆喰壁(しっくいかべ)で雰囲気のあるトイレ、いや、厠と呼びましょう。寄ってみると毎日しっかり清掃してくれてて清潔感が溢れています。
駐車場の隣から北へ復元水田があります。冬だったので殺風景ですね。南の東名高速道路方向を望んでいます。
なん羽か鳥が飛んでて一羽舞い降りて休憩です。鴨かな?
そのまま北へ進むと登呂遺跡の東側居住域です。ちょっと説明看板を撮っておきました。
で、その横にそびえる祭殿。2,000年以上前に既にこんな立派な正倉院みたいな建物を作れたんですね。( ゚Д゚)
祭殿を正面から見た姿です。祭殿だから有名なねずみ返しがありませんね。両側斜めの棟持柱が特徴だそうです。
ハイ、弥生人が住んでた竪穴住居(たてあなじゅうきょ)群です。テケは竪穴式住居って習ったけど、パンフには「竪穴住居と同じ構造を持つ平地住居」と書いてあるので微妙に両者は違うのかな。。ときは弥生時代後期の登呂ムラだそうです。
見ての通り、竪穴住居入口です。入口の構造とか微妙に各住居が違うのは、当時も実際にそれぞれ個性があったと復元者が想像したためでしょうね。
中はこんな感じ。当時から三和土(たたき)とか使ってたとしたら空想が広がるね。それにしても、鉄器が使われ始めて間もない頃だと思うので、貴重な鉄の手斧(ちょうな)なんかで柱や板を削りだすことは大変だったろうな~。。
中から入り口を望む。こうやって朝日が差し込んで目覚めたのでしょう。
天井を見る。柱を組んで棟を作り、藁葺(わらぶき)なのか茅葺屋根なのか調べてませんけど屋根をふいたりして、囲炉裏の原型?があって、まさに日本家屋ではありませんか。
外に出て、祭殿を見る。祭殿前にこれだけの広場を設けてあるのは大切な祈りを捧げる場所だったんですね。
火おこし道具。当時は竹籠もあったのかな?それにしても、この家屋内の雰囲気も昔の日本です。そういう意味でテケの子供の頃の家を懐かしく思いました。
全部、復元してるわけではなく、住居の土台?も見せてくれています。高床式倉庫もありますね。
登呂博物館にあった住居の断面図です。わかりやすいですね。稲作を作るために湿地帯にすんでるので少し高い所とは言え、水はけとの戦いだったでしょうね。事実、2度目の大洪水がムラを飲み込んだようです。いち早く逃げおおせてくれたでしょうか。。
高床倉庫です。中には収穫した稲穂を保管しておいたようです。確かにねずみ返しが付いていました。
毎日、火おこし体験ができるのかも。火おこし体験時間割ですって。(午前の部9:15~11:30 午後の部13:15~15:00)テケは子供の頃から一度やってみたかった。未だに実現せず。オジーになったとは言え、実際に体験してみたい~。
火おこし体験
西側居住区。左のたき火は公園の管理人さんが落ち葉でも燃やしてると思って何気なく通り過ぎましたが、登呂博物館に行ったら、「今、土器を焼いてます。」と聞いてビックリ。
こんな看板もあったよ。これは分かりやすいね。
この日は幼稚園児が元気に走り回っていました。きっと近所の子たちかな。未来につながるお宝ですね。
とりあえず、ココまで。またね~!
PS:続きはコチラ⇒登呂博物館が勉強になった!2/2
【地図】住所:〒422-8033 静岡県静岡市駿河区登呂5丁目10番5号
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中華料理の味守香(ミルカ)でランチ 担々麺が旨い!
有東木の本ワサビが美味しい!
黄金の湯 梅ヶ島新田温泉でまったりしてね!
さて、以前来たときは昭和の時代でしたから、もう30年以上ぶりです。懐かしい!まずはご覧の広い駐車場に停めました。1日400円です。
駐車場の片隅に漆喰壁(しっくいかべ)で雰囲気のあるトイレ、いや、厠と呼びましょう。寄ってみると毎日しっかり清掃してくれてて清潔感が溢れています。
駐車場の隣から北へ復元水田があります。冬だったので殺風景ですね。南の東名高速道路方向を望んでいます。
なん羽か鳥が飛んでて一羽舞い降りて休憩です。鴨かな?
そのまま北へ進むと登呂遺跡の東側居住域です。ちょっと説明看板を撮っておきました。
で、その横にそびえる祭殿。2,000年以上前に既にこんな立派な正倉院みたいな建物を作れたんですね。( ゚Д゚)
祭殿を正面から見た姿です。祭殿だから有名なねずみ返しがありませんね。両側斜めの棟持柱が特徴だそうです。
ハイ、弥生人が住んでた竪穴住居(たてあなじゅうきょ)群です。テケは竪穴式住居って習ったけど、パンフには「竪穴住居と同じ構造を持つ平地住居」と書いてあるので微妙に両者は違うのかな。。ときは弥生時代後期の登呂ムラだそうです。
見ての通り、竪穴住居入口です。入口の構造とか微妙に各住居が違うのは、当時も実際にそれぞれ個性があったと復元者が想像したためでしょうね。
中はこんな感じ。当時から三和土(たたき)とか使ってたとしたら空想が広がるね。それにしても、鉄器が使われ始めて間もない頃だと思うので、貴重な鉄の手斧(ちょうな)なんかで柱や板を削りだすことは大変だったろうな~。。
中から入り口を望む。こうやって朝日が差し込んで目覚めたのでしょう。
天井を見る。柱を組んで棟を作り、藁葺(わらぶき)なのか茅葺屋根なのか調べてませんけど屋根をふいたりして、囲炉裏の原型?があって、まさに日本家屋ではありませんか。
外に出て、祭殿を見る。祭殿前にこれだけの広場を設けてあるのは大切な祈りを捧げる場所だったんですね。
火おこし道具。当時は竹籠もあったのかな?それにしても、この家屋内の雰囲気も昔の日本です。そういう意味でテケの子供の頃の家を懐かしく思いました。
全部、復元してるわけではなく、住居の土台?も見せてくれています。高床式倉庫もありますね。
登呂博物館にあった住居の断面図です。わかりやすいですね。稲作を作るために湿地帯にすんでるので少し高い所とは言え、水はけとの戦いだったでしょうね。事実、2度目の大洪水がムラを飲み込んだようです。いち早く逃げおおせてくれたでしょうか。。
高床倉庫です。中には収穫した稲穂を保管しておいたようです。確かにねずみ返しが付いていました。
毎日、火おこし体験ができるのかも。火おこし体験時間割ですって。(午前の部9:15~11:30 午後の部13:15~15:00)テケは子供の頃から一度やってみたかった。未だに実現せず。オジーになったとは言え、実際に体験してみたい~。
火おこし体験
西側居住区。左のたき火は公園の管理人さんが落ち葉でも燃やしてると思って何気なく通り過ぎましたが、登呂博物館に行ったら、「今、土器を焼いてます。」と聞いてビックリ。
こんな看板もあったよ。これは分かりやすいね。
この日は幼稚園児が元気に走り回っていました。きっと近所の子たちかな。未来につながるお宝ですね。
とりあえず、ココまで。またね~!
PS:続きはコチラ⇒登呂博物館が勉強になった!2/2
【地図】住所:〒422-8033 静岡県静岡市駿河区登呂5丁目10番5号
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中華料理の味守香(ミルカ)でランチ 担々麺が旨い!
有東木の本ワサビが美味しい!
黄金の湯 梅ヶ島新田温泉でまったりしてね!
なんだかとてもきれいに整備されたように思います。
当時は長野の平出遺跡とかに行ったりもしました。
吉野ケ里にも行きましたが、まだ三内丸山遺跡には行ったことがありません。
機会を見つけて行ったみたいと思っていますが・・。
古代に思いを馳せるのは楽しいですね。自分たちのご先祖かも知れませんし。
テケは有名な遺跡は行ったことがないので絶対に行ってみたいと思いを強くしました。
また、報告しますね~♪