SIDEWALK TALK

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中原をゆく

2012-04-26 11:42:32 | 社会・経済
China4ということで、明日から中国へ。
昨年の11月以来かな?
毎度のことながら河南省鄭州市をベースキャンプに、
安徽省、山東省を巡遊。
4日間の予定です。


中国に出張するということは、決していいことじゃない。
つまりは材料(製品)に問題があるからいくわけで、
決して気晴らしや酔狂で訪中するわけじゃない。
勘弁してほしいよ、実際のところ...


鄭州市は人口800万人の大都会だからまだしも、
亳州市や菏沢市での滞在は何度いっても馴染めない。
今回も、酒精度60度超の白酒(バイチュ)やグロい料理が僕を悩ますだろう。


毎回訪れるこの地域一帯は、かつて「中原」と呼称されていた。
三国志でいえば魏国で、亳州市は曹操の故地ときいた。
中国滞在中の数少ない慰めは、この手の知的好奇心への刺激と、
普段できない読書が暇に任せてできること。
今回は「ガンダム UC」と「入唐求法巡礼行記」を旅のお供に持参しようと思う。


今回、ラッキーだったのは、復路の飛行機がチョクに上海浦東空港に着くこと。
そんな便あったんだ。何十回も訪中してるけど、初めてだ。
上海で虹橋空港からの移動がないだけでも、ずいぶん気が楽だ。
「なら、往路も!」と思うのは、人間の俗欲というものなんだろうな。

危険運転

2012-04-25 12:56:59 | ニュース
Drive_2京都での無免許運転事故。

運転していた18歳無職のバカ野郎は無免許で
「2人の友人を乗せて一晩中運転し、居眠りしていた」
と、供述している。
こんな重大事故でも府警は刑の重い危険運転致死傷罪ではなく、
7年以下の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金となる
自動車運転過失致死傷罪を適用する方針という。


法律はまったくの門外漢だから、これが妥当かどうかは判断できないが、
遺族が納得できる刑罰とは到底思えない。
確かに、コイツに殺意はなかっただろう。
それに危険運転致死傷罪で争点となる飲酒も、今回はしていない。
でも.....だ。


僕は、危険運転致死罪どころか、
過失致死罪、もしくは殺人罪を適応してもいいと思っている。
ド素人の見解はこうだ。


コイツは、無免許だった。
ならば、運転者でもない。
無免許野郎にとって車は凶器でしかなく、
その凶器を自発的に一晩中寝ずに使用していた。
屁理屈といわれようが、こんなキチガイを道路交通法で裁くのはどうだろうか?


しかもコイツはインターネットの交流サイトに「趣味はドライブ」と書き込み、
恒常的に無免許運転を繰り返していた。
これが危険運転じゃなければ、何をもって危険運転とするのだろうか?
飲酒運転はもちろん看過できないが、無免許運転はそれ以上に危険じゃないだろうか?


わが国は法治国家だ。
いうまでもなく、法は厳正に適用しなければならない。
しかし、その法自体に欠陥があった場合、
被害者は泣き寝入りするしかないのが現状なのだろうか。


珈琲は...

2012-04-21 11:04:08 | うんちく・小ネタ
Coffee_2珈琲は...
悪魔のように黒く
地獄のように熱く
天使のように純粋で
愛のように甘い


出身大学に輔仁会館という貸室棟があって、
学生時代、放課後に管理人のバイトをしていた。
このテキストは、その管理人室の壁に無造作に貼られていた。


ところで、僕にはお茶や間食をする習慣がない。
だから、スタバや喫茶店には入らないし、
家や会社でお茶やコーヒーを飲むということもほとんどなかった。


ところが数年前から、新しく勤めだした経理の女の子が、
毎朝、コーヒーを入れてくれるようになった。
ま、ホントのところは、その子自身が飲みたいだけなんだろうけどね。
とにかく、コーヒーを飲む習慣ができた。


そんなだから、僕はコーヒーに頓着はない。
基本ブラックだけど、砂糖やミルクが入っててもいいし、
甘い缶コーヒーやコーヒー牛乳も美味しく飲める。


弊社は、土曜日は工場のみ稼働で、事務所は僕ひとりだ。
でも、コーヒー習慣が身についてしまったので、今や自分で入れて飲む。
ときたま、クリープをたっぷり入れてみたりする。
そんなとき、なぜか幸せを感じてしまうんだよな。


The E Street Shuffle

2012-04-20 11:46:40 | 音楽
E_street_band最近、ブルース・スプリングスティーンをよく聴いている。
新作『Wrecking Ball』がリリースされたことが、
トリガーになったのかな?
理由は何であれ、
ティーンエイジャーのころに聴いてたアーティストの音楽を
今も瑞々しい気持ちで聴けるなんて幸せなことだ。


友だちで、ボス好きが高じて、
実際にアズベリーパークに旅行した物好きがいる。
そいつからの聞きかじりだけど、
アズベリーパークがあるニュージャージー州ベルマーには、
10th Avenue (Freeze-Out) と (The) E Street (Shuffle) が交わる交差点が
本当に存在している。


ところでボスの盟友、The E Street Band
このバンド名の由来について何かの本で読んだことがあるんだけど、
どうも思い出せない。
"Big Man"クラレンス・クレモンズの自伝だったかもしれない。


拙い記憶ではこうだ。

バンド結成当時、10th Avenue と E Street の角、
ここの近くに当時のキーボードだったデイヴィッド・サンシャスが住んでいて、
ライヴの時にデイヴィッドを迎えにいくんだけど、決まって彼は遅刻する。
ボスとバンドメンバーは、E Street に車をいつも長時間駐めて、彼を待つ。
で、ある日、ボスがいった。

このバンドは、この通りであまりにも多くの時間を過ごしすぎている。
だから、このバンドは「E Street Band」と呼ぶべきだ!


それから30年以上の歳月が流れ、
ビッグマンと"Phantom"ダン・フェデリーシは鬼籍に入ってしまった。
先日みたフィルム『Houston Bootleg '78: House Cut』の「Prove It All Night」の間奏、
ビッグマンとファントム・ダンのツーショット演奏は涙なくして見られなかった。


現在の 10th Avenue と E Street の交差点には、
『Born to Run』のジャケ写、ボスとビッグマンのツーショット写真が飾られてあって、
多くのファンが追悼や献花に訪れている。
その模様がニュージャージーのPRサイト〈nj.com〉に紹介されていて、興味深い。


ボスも、バンドメンバーのほとんども、齢60を過ぎた。
1999年の再結成以来、むしろ40代のころよりアクティヴなボスとバンド。
最近は、とくに今作は、ウディ・ガスリーのようなプロテストソングが目立つ。
オールドファンとしては、かつての青春群像を描写した作品にどうしても肩入れしてしまう。
僕はまだ、E Street で Shuffle していたいんだよな。

Milestones

2012-04-15 16:26:37 | アート・文化
Nogaku大学の先輩でプロの能楽師になられた方がいて、
この度、文科省から重要無形文化財保持者の認定を受けた。
年齢的にもそうだが、
また能という血統主義の伝統世界においてはなおさら、
この認定は異例のことらしい。


先輩とは、数年前にブログを通じて再会し、
今はFacebookでも繋がっている。
そのご縁もあって、今回、そのお祝いの会に呼んでいただいた。
祝賀会には、先輩のお弟子さんに加えて、
僕の他に大学サークル関係のゲストも複数いた。
懐かしい顔や、初対面の後輩、むかし叱られた先輩...etc
楽しかったな。


先輩の謝辞にはグッときた。
まったくの素人からプロになるには、
相当な覚悟と想像を絶する修行が必要だっただろう。
けど、そのことにはほとんど触れず、
室町時代から脈々と続く、歌舞伎や長唄、日舞、
日本のほとんどの芸能の源流といえる
能を受け継ぐ者としての覚悟と役割を述べられていた。


先輩の親友でジャズ・ピアニストがおられて、
この会にも出席されていた。
このKさんは、僕にとっても、先輩同様、
大学のサークルの先輩ということになる。
会の中程で、ご祝儀とエールを兼ねて、
ピアノ演奏をおこなった。


Kさんが演奏したのは、
マイルス・デイヴィスの「Milestones」という曲。
この曲のテーマやモチーフは知らないが、
タイトルの「一里塚(Milestones)」が後の先輩の謝辞と
ピッタリと符合したのには鳥肌が立った。


先輩は能の世界ではまだ若い方だから、
今後、さらなる高見に登られると思う。
無能で無力な後輩としては見守るしかないのだけど、
ご活躍を祈らずにはいられない。

酔眼読書

2012-04-13 15:49:09 | 悩み
Reading以前に比べると、本を読む時間が減った。
出張などで公共交通機関を利用するときは何冊か読破するけど、
家にいるときはトイレで読むくらいだ。
けっして上品な習慣とはいえない。


話が変わるようだけど、
酒を飲んでひと晩寝ると、記憶のピースが欠けてることが多くなった。
若いころは記憶が飛ぶなんてこと、まずなかったんだけどな。
ま、歳のせいだろ。


家でお酒を飲んでると、無性に本が読みたくなことがある。
その欲望に任せて読むんだけど、
前述の通り、翌日はその読んだ部分をほとんど覚えてない。
けど、読書中に知的好奇心をくすぐられた快感みたいなものが、
仄かにカラダに残っている。


最近は、開き直って、酔っ払っててもかまわず本を読む。
「どうせ、覚えてない」と高をくくって、読んでも栞の位置は動かさない。
こうすることによって気分が楽になって、楽しく読める。
酔眼で本を読み漁るもの悪くないな、と感じる今日この頃だ。


逆輸入

2012-04-11 11:38:13 | うんちく・小ネタ
僕は、アメリカの戦後占領政策によって、
洗脳されてるんだろう。
どうも、あのクソッタレな国を嫌いになれない。
あれほど身勝手な国はないんだけどな。


円仁 唐代中国への旅 (講談社学術文庫) 円仁 唐代中国への旅 (講談社学術文庫)

 エドウィン・O・ライシャワー
 価格:¥ 1,575(税込)
 発売日:1999-06-10


なかでも、とくにリスペクト(感謝)している米国人が二人いる。
エドウィン・ライシャワーと、
昨年、震災を機に日本国籍を取得したドナルド・キーンさんだ。
キーンさんだけ「さん」付けしたのは、
ライシャワーはすでに鬼籍に入られていて、
もはや歴史上の人物になっているからだ。


当然ながら、この二人は第二次世界大戦のとき、
敵国の軍隊に所属していた。
ライシャワーは陸軍通信隊に、
キーンさんは情報士官として海軍に勤務していた。
おそらく、その卓越した語学力を駆使して、
わが邦の暗号を数多く解読したにちがいない。
それほど、お二人は日本語に精通している。


僕は、ライシャワーから円仁(入唐求法巡礼行記)を、
キーンさんからは「源氏物語」を、
いわば逆輸入で教えてもらった。
この偉大な旅行記と小説も、この二人がいなければ(発見していなければ)、
現在のような世界的普遍性を勝ち得なかったと思う。
二人は、単なる訳者じゃない。


たとえば「入唐求法巡礼行記」を例に挙げると、
この紀行文を原文で読みこなすことは相当ハードルが高いものであり、
同書を読むには、仏教の知識はもちろん、
精緻でややこしい注記を読む忍耐が必要である。
それをライシャワーの卓越した学識でフォローし、
そしてアメリカ人特有の平明な視点で書かれていて取っつきやすい。


キーンさんは、その生涯の最後を、
日本で日本人として終えることを選んでくれた。
キーンさんが終の棲家として選んでくれた日本に住む僕らは、
その温情に応えるためにも、この国をよりいい国にしなくては。
一連の政治報道や原発対応などをみて、
最近そんなことをボンヤリと考えている。

花冷え

2012-04-09 12:32:34 | 写真
Hanami2012金曜の午後、急に思い立って、
翌日土曜に会社のお花見をおこなった。
弊社は敷地内に、お花見をするためだけに、桜を1本植えている。
けど、ここ2年ほどは仕事の都合でやってなかった。


ウチの会社のお花見は、就業時間内におこなう。
要するに給料払ってお花見するわけで、
桜や酒宴の好き嫌い関係なく、全員強制参加ということになる。


ま、やってよかったかな。
にしても、花冷え。土曜日は、ホント寒かった。
女子社員の大半は震えてた。
余ったおにぎりやお酒がお土産になったのも、結果オーライ。


今年の花冷えにはホント懲りたから、
来年は、王道の焼き肉じゃなくて、おでん or モツ鍋にしようと思う。
覚えてればね!


俺たちに割り勘はない!

2012-04-07 09:07:16 | うんちく・小ネタ
Yakitori2きのうの夕方、あくちゃんがひょっこり会社に遊びにきた。
あくちゃんは、20代、30代のころ、
毎晩のように一緒に飲み歩いていたポン友。
おそらく(いや、確実に)1000回以上は飲んでると思う。
けど、最近は年に1~2回に激減している。


何の用事かと思えば、要は飲みの誘いだった。
で、5時半を待たずして街に繰りだして、
行きつけの焼鳥屋さんののれんを二人でくぐった。


メニューに、最近ではめずらしいことに、レバ刺しがあった。
6月からは法律で規制されて出せなくなるらしいから、
ソッコーでオーダーした。
マスターが言うところでは、
違反すると懲役刑、もしくは罰金200万円という重罪になるらしい。
レバ刺しなんて、今まで(論証なしだけど)年間数十億食も
食べられてきたんじゃないだろうか?
それを全面禁止とは、ちょっと大げさな気がする。
これも、民主党が標榜する、政治家主導なんだろうか?


それはさておき、おあいそ。
誘った側のマナーとして、あくちゃんがおごってくれた。
僕たちには割り勘の習慣はない。
どちらかが全額払うのだ。


焼鳥屋さんを辞去したのが7時半。
居酒屋を連チャンというのもアレなんで、
知己のあるママさんに TEL して店を開けてもらった。
で、さっきおごられた側のマナーとして、
その店は僕があくちゃんをおごった。


きょうは早く帰ろうや、という約束は何処にやら、
その後、もう1軒スナックへ。
また、あくちゃんのおごり。
その後、さらにショットバーへ。
もちろん、僕のおごり。


こうやって、酔っ払いの夜は更けていったのだ。
何かとりとめがなくなってきたけど、
要するに、俺たちに割り勘はない!という独り言をつぶやいてみたかった。
ただ、それだけ...

IWGP

2012-04-04 11:04:11 | スポーツ
Iwgpガキのころから、プロレスが好きだった。
とくに、新日本プロレス。


物心ついたとき、アントニオ猪木の全盛期だった。
僕は金八世代でもあるわけだけど、
金曜8時は『ワールドプロレスリング』と決まっていて、
『金八先生』はただの一度もみたことがない。
そのころは、藤波&長州の名勝負数え歌、初代タイガーマスクの時代だった。


UWF ムーヴメントを経て、90年代は闘魂三銃士。
新日本プロレスがもっとも栄華を誇った時期だ。
その後、K-1 や総合格闘技が格闘技界を席巻し、プロレスは下火になった。
そして僕も、歳のせいもあってか、だんだんプロレスから離れていった。


先日、夜中に目が覚めて TV をつけると、『ワールドプロレスリング』が放送されていた。
新日本の旗揚げ記念日興業で、新日本の至宝、IWGP ヘビー級選手権試合だった。
王者 オカダ・カズチカ vs. 挑戦者 内藤哲也、というマッチメイク。
ん?どっちも知らないぞ。
IWGP 選手権を争うようなレスラーの名を、この僕が知らないなんて...
しばし呆然とした。


けど、さすが新日本、この二人の身体能力は素晴らしかった。
それにそのプロレスは、いい意味での昔ながらのストロングスタイルだった。
K-1 や総合でブレていたプロレスが本卦還りしていた。


とくにチャンピオンのオカダ・カズチカは、いい雰囲気をもっている。
190センチ、24歳というのも大きな魅力。
彼の必殺技「レインメーカー」とは、お金の雨を降らせるという意味だろう。
新日本の金庫を潤す新たな大型スターの誕生を感じた。


僕にとっての IWGP 王者は、故 "破壊王" 橋本真也。
このオカダという若い選手に、破壊王のような殺気あるプロレスラーになってほしい。
僕もこれを機に、もう一度プロレスの世界に浸ってみようと思う。