SIDEWALK TALK

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ガーデニング

2012-05-28 10:34:57 | スポーツ
Gardening3少し酒が残ってる。
きのうは、義父母と昼間っから BBQ で一杯やった。
夜も女子バレー見ながら飲んだくれてたから、
まぁ、無理もないかな?


義父母は、よく家に遊びにきてくれる。
いや、「遊び」じゃなくて、「ガーデニング」をしにきてくれる。
僕は、ガーデニングや野菜作りに暗い。
というか、まったくの無知だ。
だから、お義父さん&お義母さんが見かねてやってくるんだろう。


きのうは、グリーンカーテン用にヘチマを植えていただいた。
あいかわらず僕は手をこまねいて、立ち尽くしているだけだった。
無能な婿としては、せめて作業後の食事をご馳走するのが精一杯だ。


拙宅には庭と呼べるほどの庭はない。
玄関横の小さな花壇とプランター、家裏の一畳ほどの菜園、
わずかな広さなんだけど、僕には手が終えない。
ガーデニングにきていただけるのも義父母が元気な証拠だし、
頼るのも親孝行としばらくは甘え続けてみようと思う。


労働災害

2012-05-26 11:00:13 | 写真
Obinoko弊社のような工場では、会社の中の最悪事というのは労働災害、
つまり怪我や事故ということになる。
怪我をすれば一番痛いのは本人だから、
起こしたくて起こす人はいない。
それでも起こってしまうのが労働災害だ。


きのう、製材所でアクシデント(事故未遂)があった。
稼働中の帯鋸が、継ぎ目から切れてしまった。
幸い怪我人はなかったとはいえ、
帯鋸での事故は大怪我、もしくは命に関わる事故になりかねない。


帯鋸を包むカバーは、敢えて木製になっている。
これは切れた鋸が木板に引っかかって止まることを想定していて、
一見頑丈に思える金属カバーだと鋸が撥ねて危険だからだ。
今回も、この木製カバーで事なきを得た。


安全については、用心してもしすぎるということはない。
さらに気を引き締めて社務にあたらなければ!
と、再認識させられたアクシデントだった。


魂までは売れなかった

2012-05-23 11:36:59 | うんちく・小ネタ
Sakamotoこの拙いブログを読んでくれている方々は
それぞれ色んなチームのファンであると思いますが、
これに関してはすべての読者への気配りはできません
と、断った上で...


プロ野球の話である。
巨人の調子がいい。
8連勝、開幕直後の惨状がウソのようだ。
単細胞だと笑われそうだが、ここんとこ目覚めがいい。


いうまでもなく、九州にはホークスのファンが圧倒的に多い。
白状すると、1988年に福岡ダイエーホークスが誕生したとき、
僕はホークスファンになろうと努力した。
シュールなデザインの「鳥ヘル」も購入したし、ファンクラブにも入会した。
さらに、九州の地図の上に鷹が舞ってる、
あのド派手なオレンジのグランドコートも着ていた。


結局、魂までは売れなかった。
ファン感情や好き嫌いってのは、理屈じゃなく、心の問題なんだよな。
要するに、僕(九州人)がホークスファンになる理由は九州の球団ってことだけで、
あとはなんの根拠もない。
ジャイアンツの金満体質やナベツネ会長などの批判を他球団ファンから浴びせられるんだけど、
恋愛と同じで、好きになるのは好きだからとしかいいようがなく、
偏狭なナショナリストみたいに、理詰めで攻められると閉口してしまう。


巨人が優勝すると景気がよくなる、
なんて迷信はさすがに信じてないけど、
ファンならどんな理不尽な論拠も採用したくなるのが人情だろう。
ということで、日本の経済のためにも、そして僕のためにも、
今年こそは優勝して欲しいぞ。

ジーク・カラアゲ!

2012-05-18 10:32:02 | うんちく・小ネタ
Karaage2毎週木曜日、僕は長唄のお師匠さんと実家で食事をする。
実家を長唄のお稽古場として提供しているご縁で、会食するようになった。
僕自身は長唄(三味線)を習っているわけじゃなく、
お稽古終了後、単に先生と盃を交わしているだけだ。


きのうは、いつもの勝千次先生に加えて、唄方の喜三助先生も来られていた。
喜三助先生はまだ20代後半でお若いし、油ギッシュなものに目がなさそうだから、
中津名物のから揚げを手土産に買っていくことにした。


僕のふるさとはいつの間にか「からあげの聖地」などと呼ばれていて、
僕ら中津人はから揚げ大好き民族ということになっている。
僕の子ども時分は、から揚げのまちなんていう謳い文句はなかったと思う。
けど、何にしろ、まちが盛り上がるのだからこれに越したことはない。


からあげグランプリで3年連続しょうゆダレ部門金賞受賞している、
ぶんごや」さんという名店が実家の近くにある。
そこにあらかじめ電話注文しておき、受け取りにお店に立ち寄った。


入店してすぐ、店先にタクシーが横付けされ、
タクシーを外に待たせたまま、スーツ姿のオッサンがふたり入店してきた。
出張か何かで訪れて、から揚げの噂を聞きつけたんだろう。
明らかにジモティのそれとはちがう、よそ者オーラを発していた。
中津システムを理解してないようで、オーダーするのに戸惑っていた。


から揚げはグラム単位で売ってるのだけど、
僕ら中津人は「骨付きを千円分ください」とか「手羽先10本」と頼むことが多い。
それにオーダーを受けてから揚げはじめるので、商品はまったく陳列されていない。
初めての人は、やっぱ戸惑うよな。
ただでさえ普段から買い物慣れしてないオッサンは、尚更わかんないだろう。


オジサンたちは意を決したように、「手羽先200グラム」とオーダーした。
手羽先200グラムって何本もないぞ、と僕は心の中で叫んだ。
その直後、僕が電話注文していたから揚げができあがり店を後にしたので、
このオジサンたちの顛末はわかない。


カラアゲ公国の住人として、同じオッサンとして、
ヴィジターの手助けをするべきだったんじゃないかと少し悔いている。
ジーク・カラアゲ!


昭和的女子

2012-05-16 12:39:11 | テレビ番組
Matsuko誰にでもあるように、僕にも朝のルーティンがある。

目が覚めると TV をつけ、「早ズバッ!ナマたまご」をベッドの中から。
ストレッチして、アーリーワーク(ボート漕ぎ運動)を30分。
シャワーを浴びて、水遣りをして、いったん出社。
仕事段取りチェック後、帰宅して、朝ドラみながら朝食。
で、再度出社して、朝礼+ラジオ体操。


ドラマというものをほとんど見ない僕だけど、
朝ドラはずっと見てる。
別に好きというわけじゃなく、ルーティンになってしまってるからだと思う。
とはいえ、ほぼ毎日みてるわけだから、
だんだんストーリーが気になってくることは否定できない。


今は「梅ちゃん先生」という、
何だろ?戦後が舞台の学園ドラマ or ホームドラマ的な作品が放送されている。
昭和女子はいいなー
という、とりとめのないことを見ててボンヤリと思う。
とくに松子姉さん役のミムラの昭和的女子力には、ホント癒やされる。


逆説的にいえば、
昭和的女子というのは今や絶滅危惧種ということなんだろうな。


弔辞

2012-05-14 17:02:04 | 健康・病気
Letter2きのうは、数年前に退職した社員さんのご葬儀だった。
享年67歳。まだ、あまりにも早すぎる死。
とりわけ元気が特徴的な人だったから、訃報にしばし呆然とした。
ご家族のご心痛を思うと、居たたまれない気持ちをコントロールできない。


今回、喪主である、故人のご主人から弔辞の依頼があった。
慣れてないし、僕ごときの拙文では申し訳ないという怯みもあったけど、
生前の弊社への貢献を思うとお断りすることは憚られ、式で弔意を表すことにした。


弔辞には作法のようなもの、忌み言葉やタブーがあるんだろうが、
今回はそれをあまり意識せず、心の命ずるままに文章を綴った。
自分の言葉で心からの謝意を語ろうと思った。


弔辞のデキがどうだったかはわからない。
せめて個人の御霊に僕の鎮魂の祈りがわずかでも届いていることを
ただ願うばかりだ。


合掌


国営放送

2012-05-12 10:26:45 | テレビ番組
Nhk_bs訪中雑感、続けます。
今回は TV 事情。


以前は、20年以上まえでも、鄭州のようなマイナーな地域でも、
NHK BS 放送を見ることができた。
お陰で、ずいぶん夜の無聊を慰めてもらった。
それに異国にいても日本のニュースを知ることができるという、
便利さ以上に安心感みないなものがあった。


NHK だけじゃない。
かつては CNN も ESPN も放送されていた。
おそらく当時は、中国国内のテレビ局も少なく、
独自で番組を制作するノウハウも資金も乏しかったからなんだろう。


最近の中国の TV のチャンネル数はハンパない。
地上波アナログ放送だけでも、40チャンネルちかくあるんじゃないだろうか?
全国ネット的なものはもちろん、河南省の地方局番組もたくさんある。
けれど、NHK や CNN などは見られなくなってしまった。
まさか、受信料を払ってないから、というわけじゃないだろう。


北京政府にしてみれば、日本の国営放送なんて百害あって一利なしなんだろうが、
中国語をまったく解さない僕にとって、これは痛手だ。
TV つけても、何いってるか、まったくわかんない。
オマケに中国では Twitter や Facebook も閲覧不可だから、ますます窮してしまう。


解放が進む一方で、海外のメディアを排除していく。
ここに、この国の強かさと脆さがあるような気がしてならない。
蛇足だけど、閲覧不可の SNS も i-mode 経由ならみることができる。
そして、なぜかこの僕のブログも、中国のネットでは閲覧制限されている。
これって、このブログがマトモだってことなんだよな、たぶん...


桐とポプラ

2012-05-10 18:18:52 | 桐箱ブログ
Poplar20年ほど前、初めて中国河南省を訪れたときに見た風景は、
そこやかしこに桐が植えられていた。
街路樹のほとんどは桐だった。
もっとも街の景観を意識した街路樹という概念ではなく、
道ばたに植えた方が伐採やその後の輸送が簡単だという配慮だろう。


最近では、河南省近辺で桐を見かけることはほとんどない。
桐に代わってポプラが植えられている。
要は、ポプラの方がカネになるということだろう。


かつて日本の桐材輸入業者は、誰もが口々にこう言っていた。
「10年後、中国から桐材は無くなる」
それから20年が経ち、彼らは未だに言っている。
「10年しないうちに、中国から桐材は無くなる」
僕は、生来のオポチュニストということもあってか、その説をとらない。


彼らは、まだ幻想をみてるんだろう。
バブル期に、40フィートコンテナでピン板を 1000m3 以上、
毎週のように輸入していた過去の夢を。
その意味では、もう中国には桐材は無い。
けれど、今は日本国内の桐材消費量は往時の10分の1以下だろうし、
僕ら箱屋が使う量なんて高が知れている。
こっちがキャッシュで買う以上、必ずピン板を作製する業者は存在し続ける。


今回、河南省商丘で高速を降り、一般道で安徽省亳州へ向かった。
あいかわらず街路樹はポプラばかりだったけど、
亳州に近づくにつれ、ポプラに交じって
桐もチラホラ目につくようになっていった。
ちょうど開花時期だったから紫色の花が美しく、ひと目でそれと判別できた。
日本の桐の花はもう少し藤色がかって鮮やかな気もするけど、
あっちは埃っぽいからくすんで見えたのかもしれない。


先ほど桐材輸入業者から電話があり、
僕の訪中の成果と感想を訊ねられた。
僕は包み隠さず、虚心坦懐に情報を提供した。
彼も今月末、訪中するらしい。


狭い桐業界、材料屋も箱屋も一蓮托生だ。
悲観論はもういい。
桐がポプラに取って代わるその日はもうこないかもしれないが、
それでも前を向いて歩いていきたい。

微笑みの法則

2012-05-09 13:05:04 | アート・文化
Oosan中国人というのは、基本、気さくなんだろうか?
20年以上まえ、初めて訪中したときもそうだったけど、
飯時になるとこっちが知らないヤツがやたらと登場する。


20年前は途上国という以上に後進国だったから、
タカリにきてるのかと思っていた。
まだ共産党(国)の支配が強力だったから、
日本でいうところの市の商工労働課の役人や会議所議員みたいな人がよく同席していた。


けど今は、そんな役付きの人はこない。
代わりといってはなんだけど、工場長の同級生とか、親友とその恋人とか、
説明されても理解不能な人たちがやってくる。


鄭州での最後の夜、
唯一日本語をわずかに話せる陸さんが、一足先に香港に戻ってしまった。
残ったのは、日本語はおろか英語もろくに話せない王さん&張さん、そして僕。
ともかく、3人で夕食に出かけた。


そして、やはり現れた。
どういう間柄かは知らないけど、武さんという名の人らしい。
そして手土産に、酒精度52度の白酒(バイチュ)を2本持参していた。


言葉は、とにかく通じない。
武さんが僕にニッコリと笑いかける。そして白酒をイッキ飲み。
また、武さんが僕に微笑みかける。また白酒をイッキ飲み。
中国人通しで盛り上がって馬鹿笑い。またまた白酒をイッキ飲み。


ヤツらの微笑みは、イッキ飲みのサインなんだろうか?
ともかく2本を4人で空けてしまった。
その後のことは、よく覚えてない。
あさ起きたらホテルで寝てたから、何とか帰り着いたんだろう。


白酒のイッキ飲みは勘弁してほしいが、
この夜会った武さんはなぜか憎めない人だった。
アメリカ人並みの大仰なリアクションが、見てて痛快だった。
どうせストレンジャーと食事するハメになるなら、
武さんみたいな微笑み力がある人との方が遙かに楽しい。
めずらしくもう一度会いたいと思わせてくれた武さんだった。


Incident in Shanghai

2012-05-05 15:30:21 | 旅行記
Mu初めて鄭州を訪れたのは、今からもう20年以上も前になる。
香港経由だったんだけど、
当時の鄭州空港はまだ有視界飛行だったんだろう、
香港(啓徳)空港で2日も足止めを喰らった。
そのとき同行してた中国(香港)人の武くんが、
「中国民航(CAAC)は "China Airlines Always Cancel" の略だ」
と、自嘲気味に語っていた。


初体験がそんな具合だったから、
訪中するときは、ことさらにトランジットの時間には余裕をもつ。
今回は上海経由で、往復とも4時間ちかい乗り継ぎ時間を確保していた。
特に復路は、国際線の上海浦東空港に直で着くというので、
いつもより余裕をこいていた。
それが....だ!


復路、鄭州空港では、予定時刻よりも早くボーディングの案内があった。
(通路側をリクエストしたのに)めずらしく窓側だったから、早めに搭乗した。
ところが、1時間経っても飛び立たない。
それどころか、機内食を配りだした。
機内アナウンスは中国語のみで、状況がまったくわからない。
けれど、僕にはまだ余裕があった。


搭乗から2時間、機内が険悪な雰囲気に。
CAと乗客との押し問答がはじまった。
そうこうしてるうちに、昇降タラップが横付けされて、待合室にバスで移動。
僕は、上海でのトランジット、つまりはその日の帰国をあきらめた。


上海でも尾紆余曲折あっけど、航空会社が翌日の便とホテルを手配してくれた。
ホッとしたのも束の間、手配してくれたホテルは見知らぬ中国人と同部屋だという。
そりゃないぜ!と係員に猛抗議したんだけど、
GW、そして中国はメーデーの休みということで、どうにもならないと。


相手は中国だから、飛行機ディレイ、そしてトランジット・ミスはある程度覚悟していた。
けど、知らないヤツ、それも外国人との相部屋はまったくの想定外。
中国東方航空、これはあり得んだろ!