霧の海通信・ふるさとの風景

三次市高谷山からの霧の海通信。見逃した人にも美しい景色を。変わる街の様子や四季折々の自然を発信したいと思います。

ヤマモモじゃないよね?

2008年06月25日 | 山野草
昨日やま苺はまだあるかな、と思い出かけて見ました。
苺はもう駄目でした。

 あちこち見て歩くと

道端なのに取り残されたタラの芽は大きく成長しています。
マタタビはハンゲショウのように葉の一部が白い。

この木の実は何でしょう。知ってる名前を言えばヤマモモじゃないでしょうね。

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うっすらと霧の海

2008年06月25日 | 霧の海ライブカメラ
お早うございます。
肌寒く感じますが気温は18度、今朝はうっすらと霧の海が見えます。
輝く太陽はしばらく見ていない気がします。梅雨だモノね。

そうそう、先日、NHK・BS放送でたまたま「私がこどもだったころ」
という番組を見ました。登場人物は財津一郎。 見た人います?

戦後、何処にでもあった非農家の苦しい食料買出しの日々。

小学生の一郎が着物などを田舎にもって行き、
芋などわけてもらおうとする。

やっとの思いで交換してもらった食料をリュックに入れる。
帰り道「食い物あさり」と、田舎のガキ大将たちにいじめられる。

リュックから道に飛び出した豆などを、泣きそうな自分を必死でこらえ
一粒づつ拾いリュックに入れる。

そんな一郎を見かね通りがかりのおばあちゃんが農家に連れて行き
優しくご飯を食べさせる。

1日のうちに「いじめ」と「いたわり」を経験した一郎が、我が家にたどり着く。
母は栄養失調で倒れ床に臥している。
 
お母さんの顔を見る、しばらく何も言えない。
やがて、こみ上げる涙をこらえきれず、号泣する。
一日の出来事がよみがえり、母の顔を見た途端安堵したのだろう。

 一郎のお母さんもそれを見て、息子に顔を見せないように反対側に向き
こらえることの出来ない涙を流している。

 こんな内容でした。

 私にはそこまでの経験は無いが、同じように田舎に疎開し、
 似た様な思いはしている。苦労していた母の姿は忘れられない。

悔しくて、悲しくて、親子の温かさを感じて、いろんな思いが重なって思わず
もらい泣きしてしまった。

 当時の生活を思えば、今の食を半分にしても充分生きていけると 反省しながら

「何と人間は勝手なものだろう、何時の間にダイエット等ということを平気で言い出したのだろう」と今更ながら思い知らされています。

 どうしても記しておきたかったので、今朝書きました。

どお、あたし きまってるでしょ!


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