瀬戸内海の海の幸を求めて下蒲刈島へ日帰りバス旅行に出かけた。
1年ぶりの職場OB会の行事で笑い声の絶えない車中。
出発前の秋突入を感じさせる雲も微笑んでいるよう。
町村合併で呉市になった蒲刈島は江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として
公式の海駅に指定され、本陣と番所が設けられていた。
そして、江戸時代に善隣友好の使節団である朝鮮通信使が12回来日したうち、
11回立ち寄ったという古い歴史と伝統を持つ、由緒ある町だ。
朝鮮通信使の来日に際し、藩の接待所・玄関口として大歓迎をした記録が残され
ており、なかでも「安芸蒲刈御馳走一番」と言われたほどの歓待ぶりは語り草。
三汁十五菜の饗応料理が復元されている(撮影禁止によりお見せできない)
これは、ささやかな私たちのお昼御膳、でも、美味しかった。
豪華な食事も高齢者には食べれない・・・量的に無理。
ここには宮島から移転復元した町屋や山口県上関町の旧家「吉田邸」、
砺波地方の代表的な商家造りの「有川邸」が移築されており、
なかなか見ごたえがある。
そうそう、肝心の海を忘れていた。いやー、やっぱり山の人間にとって海はいい!
安芸灘大橋をバックに、パチリ。
1年ぶりの職場OB会の行事で笑い声の絶えない車中。
出発前の秋突入を感じさせる雲も微笑んでいるよう。
町村合併で呉市になった蒲刈島は江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として
公式の海駅に指定され、本陣と番所が設けられていた。
そして、江戸時代に善隣友好の使節団である朝鮮通信使が12回来日したうち、
11回立ち寄ったという古い歴史と伝統を持つ、由緒ある町だ。
朝鮮通信使の来日に際し、藩の接待所・玄関口として大歓迎をした記録が残され
ており、なかでも「安芸蒲刈御馳走一番」と言われたほどの歓待ぶりは語り草。
三汁十五菜の饗応料理が復元されている(撮影禁止によりお見せできない)
これは、ささやかな私たちのお昼御膳、でも、美味しかった。
豪華な食事も高齢者には食べれない・・・量的に無理。
ここには宮島から移転復元した町屋や山口県上関町の旧家「吉田邸」、
砺波地方の代表的な商家造りの「有川邸」が移築されており、
なかなか見ごたえがある。
そうそう、肝心の海を忘れていた。いやー、やっぱり山の人間にとって海はいい!
安芸灘大橋をバックに、パチリ。